対談・鼎談

吉村 昭『破獄』(新潮社)|丸谷 才一+木村 尚三郎+山崎 正和の読書鼎談

  • 2023/05/01
破獄 / 吉村 昭
破獄
  • 著者:吉村 昭
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(448ページ)
  • 発売日:1986-12-23
  • ISBN-10:4101117217
  • ISBN-13:978-4101117218
内容紹介:
昭和11年青森刑務所脱獄。昭和17年秋田刑務所脱獄。昭和19年網走刑務所脱獄。昭和22年札幌刑務所脱獄。犯罪史上未曽有の四度の脱獄を実行した無期刑囚佐久間清太郎。その緻密な計画と大胆な行… もっと読む
昭和11年青森刑務所脱獄。昭和17年秋田刑務所脱獄。昭和19年網走刑務所脱獄。昭和22年札幌刑務所脱獄。犯罪史上未曽有の四度の脱獄を実行した無期刑囚佐久間清太郎。その緻密な計画と大胆な行動力、超人的ともいえる手口を、戦中・戦後の混乱した時代背景に重ねて入念に追跡し、獄房で厳重な監視を受ける彼と、彼を閉じこめた男たちの息詰る闘いを描破した力編。読売文学賞受賞作。

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丸谷 実録に基いた犯罪小説というよりも脱獄小説ですね。刑務所から脱出するのが主人公の人生の目的で、そして読者もまた、人生の至上の行為が脱獄であるかのような気持にさせられてしまう。そういう奇妙な、しかし興味津々たる長篇小説です。

昭和十年四月に青森県下で準強盗致死事件が起り、犯人の佐久間(仮名)が逮捕され、昭和十二年、死刑の求刑を受けたが、六月、刑務所から逃走する。これは間もなく捕まるんですが、十一月に無期懲役に決まって、昭和十五年に東京の小菅刑務所へ送られる。ところが、戦局があわただしくなると、無期や長期刑の囚人は、東京の刑務所に置くのは危険だというので、翌十六年、佐久間は秋田刑務所へ移されました。ここでは、明り窓のついた天井までの高さが三・二メートルもある鎮静房へ入れられていたのに、十七年六月、その天窓から逃走する。これが二回目の脱獄です。そして妻に会いにいって一晩だけ泊り、九月に、小菅刑務所の看守長の自宅へ自首して出ます。

十八年三月、彼は網走に送られました。ところが十九年八月、佐久間は特別製の重い手錠をはずし、視察窓から裸ですり抜けて、天窓を破って脱獄します。手錠と視察窓のナットには、毎日少しずつ味噌汁の飲み残しをふりかけて腐蝕させていたんですね。このとき、大正十一年に網走刑務所と改称して以来はじめて非常ベルが鳴ったそうです。これが三回目の脱獄。

厳重な捜査にもかかわらず、彼の行方は知れませんでした。しかし何しろ戦争中で食糧不足の頃でしたので、多分どこかで野垂れ死にしたんだろうなんて、みんなは思っていたけれど、生きていたんですね。二十一年の八月、北海道の砂川村――石狩ですから、まあ札幌の近くで、網走からはずいぶん遠い――で捕まった。北見の廃坑の中に隠れていたんだそうです。

そして四回目は、二十二年の三月に札幌刑務所から脱獄しました。便器に嵌めてある鉄製の平たい籠を外し、これに鋸状の歯をつけて床板を切り抜いて、床下から逃げたんです。翌年一月、札幌市の郊外で逮捕、札幌刑務所は設備が悪いため、東京の府中刑務所に入れることになるのですが、この北海道から東京までの道中に付添う看守たちの苦心がまた大変だった。ところが府中刑務所の所長は佐久間が到着すると、いきなり彼の手錠と足錠をはずさせ、やがては炊事場での作業を与えたりする。こういう配慮のせいで、この天才的脱獄者は脱獄の意志を捨てる、という筋です。

一般に現代の小説では、リアリズムの決定的な支配のせいで、超人的な主人公、派手な筋の変化、性善説的な人間の把握、この三つが非常に難しくなっています。ところが吉村昭さんは、好個の題材を得て、この三つの禁止事項をあっさり破ってみせました。まるで佐久間さながらの破り方です。(笑)

山崎 ずいぶん褒めたなあ。(笑)

丸谷 そのせいで、非常に面白い、巻をおくあたわざる長篇小説が出来上がったわけで、作者の沈着冷静な叙述の力備には感嘆せざるをえません。「とにかく面白いから読めよ」と会う人ごとに勧めたくなる本です。
しかし、強いて文句を言えば、超人間的な人間を書く都合上、主人公の心の内部へは一度も入らない。常に外部からだけ描いている。そこで、人間の魂の底へ降りていくという近代小説の大目的は一切放棄されてしまいました。それが、この小説が結局、よく出来た娯楽読物という感じを与える最大の理由でしょうが、しかし、われわれは、人間の魂を書いていないという欠点と引替えに、現代日本を舞台にした、手に汗にぎる冒険譚を得たわけです。

山崎 これは日本という奇妙な国、及び日本の行刑当局に対する大変なオマージュ、頌歌だという気がしました。そこに私の感動もあれば、不満もあります。
まず素朴に感動したことは、日本の戦前戦後の行刑当局が、大筋において極めて近代的、合理的であり続けたということですね。これほどの凶悪犯に、最後まで、法の限界を越すような懲罰を与えていない。のみならず、戦争中、食糧が不足して看守たちが飢えて死ぬような時にも、日本の監獄は囚人に一人一日六合の主食を維持すべく必死の努力をする。

丸谷 あれは、われわれに対する態度に比べて、あまりにも気前がいいねえ。(笑)

山崎 映画にもなりましたが、フランスの娯楽小説『パピヨン』と比較するとよく分ります。
「パピヨン」における行刑当局の、憎悪の念で凝り固まった残酷さ。これに対して囚人は命を賭けて脱獄する。その意志と意志との対決が劇的な物語として非常に面白い。『破獄』の場合は対決は七割程度に留まって、最後に幸福なオチがある。つまり鈴江という刑務所長が人道的な待遇をすると、それが佐久間にまんまと感応する。何か得体のしれない怪物のように描かれていた凶悪犯が、一皮むけばやはり日本人であり、もろくも普通の人間であったことを露呈する。このへんのところに、私は、非常に複雑な感想をもちました。

この作品の中心的な主題は、人が人を捕えると、捕えた者もまた捕えられるということですね。

どんなに寒いみぞれの降る中でも、看守は合羽を着ないで見張っていなければならない。自分が飢えていても罪人にはめしを食わせなければならない。一対一の場面では、しばしば心理的な逆転があって、囚人が看守を桐喝する。その悲しいような、おかしいような宿命の論理が印象に残りました。

木村 われわれが知ることのない刑務所の世界を実にリアルに描いていますね。この本の本当の主役は脱獄犯の佐久間ではなく、刑務所長や看守ではないでしょうか――。戦争中は、看守の家族も大変苦労して、そのため看守たちよりも遥かに恵まれていた囚人の食物に手をつけて懲戒免職になった看守もいたとか、軍の要求に応じ、南方赤誠隊という囚人たちの作業隊をテニヤン、ウォヂェ島に送った話などとともに、刑務所をめぐる戦争中の社会状況が、脱獄犯物語としては不必要なくらいに詳しく描かれてあります。私はこの本に一つの交響曲を感じました。シンフォニーには主旋律がありますが、この本の主旋律はといえば――佐久間に脱獄されたあと、刑務所長が、当番の看守を叱責する場面があります。「佐久間の寝顔を見て、異常なしといったのか」と所長は詰問する。看守は「ふとんが寝ているようにふくらんでいたし、それがかすかに上下しているかのように見えましたので」と狼狽して答える。囚人がふとんをかぶって寝ることは厳禁されていた、にもかかわらず佐久間に限って看守たちが大目に見ていたわけですね。それは佐久間に「きびしいことをいうと、あんたの当直の日に逃げますよ」といわれたためだと書かれている。ここには、人間の弱さが実によく出ていると思います。そこで所長は看守に「お前たちは佐久間に負けたのだ」という。この「佐久間に負けたのだ」という言葉が、脱獄のたびくり返しこの本に出てくるんですが、吉村さんの意図した主旋律はここにあるのではないか。その意味でこれは見事な心理小説だと思いました。看守の心理がよく描かれています。

丸谷 いま、社会状況っておっしゃったでしょう。僕は、それがこの小説の面白さだと思ったんです。

つまり、佐久間には社会ってものがない。戦争の勝敗とか、社会の変遷とかがまったくなくて、ただ自分の人生がある。というよりも、自分の脱獄がある。(笑)そういうむき出しにされた人生、それを吉村さんは書きたかったんじゃないのかなあ。あまりにも社会論的な現代文学の人間把握に対して、そうじゃない、社会なんて一切なくても人間はあるんだ、と。

これは岩波の「世界」に連載されたものですが、私が仄聞したところでは、「世界」ならば、いい加減なことを書かないだろう、信用できるというんで、法務省の上のほうから声がかかった。
それでこれまで喋らなかった看守たちも口を開いた、ということがあるらしい。

ところが、佐久間に当る人物は、四回目の脱獄以後も、実は何回もやっているんですって。夜になると「では、ちょいと行ってこようか」と、外へ出てブラブラ遊んできて、また戻ってくる。(笑)そこへくると、吉村さんは、とてもこんなのは書けない、四回で切り上げようということになったらしいんです。

つまり、主人公は、われわれの持っているリアリズム小説の型から、はずれた人物なんですね。
そういうリアリズム小説の型からはずれた登場人物をもってきて、リアリズム小説の型に処理する、その処理されたものをわれわれが読んで、ロマンチックな興奮に浸るという、そこの構造が大変面白かったんです。

山崎 私は複雑な気持をこめて、これは秀逸な日本人論になっていると思います。戦後、占領軍のオックスフォード大尉という、余りにも紋切り型のアメリカ的正義派がやってきて、日本の行刑当局を桐喝します。彼の立場は、囚人には拳骨一つ振ってもいけないという人道主義に傾くかと思うと、破獄するような囚人はセメント樽に詰めてしまえという、極度の現実主義に大振れする。その間に立つ日本の官僚、それも小役人が、あれほどの執念深さで終始一貫する、一種の法的実務主義というのは何だろうという気がするんです。つまり、あれほど左右から踏まれても蹴られても、自暴自棄にならず、囚人を憎まず職務放棄もせず、営々として法を守る、この実務的精神――。

感情的な対応物がまったくないんですね、正義感があって正義を守る。これは分ります。怒りがあって法を守る。これも分る。しかし、ここには怒りもなければ誇りもない、ただ陰々滅々と法を守る。しかもそれが最後には凶悪犯にも勝利を占める。

丸谷 そこがおかしいんだ。(笑)いま実務主義とおっしゃったけれど、これは実務主義と実存主義の闘いの小説だと思います。実存主義といってもサルトル以前の、社会性を考えない実存主義。その二つがわたりあって、実務主義が勝利をしめるわけですね。

木村 オックスフォード大尉が看守たちに、「囚人を虐待しただろう、囚人の足を見せろ」という。たしかに囚人の足はみな痩せていた。しかし「私たちの足も見て下さい」といって看守が自分たちの足を見せる、するともっと痩せていて、やっと納得させる。あそこは印象的ですね。

山崎 佐久間を北海道から東京へ送るのに、四入の看守が貨車にのり、まっ黒になって護送する場面も、ちょっと鬼気迫るものがありますね。看守の方が食いものに困る。だのに、最後にパンの一切れを見つけると、とにかく囚人に食わせようとする。しかし腐っていたらいけないと、ちぎってみたら糸を引いているので食わせなかった。これは何ですか……遵法精神?

丸谷 職業倫理ね。(笑)

木村 いや、それどころじゃありません。いま刑務所では、毎朝受刑者の顔色を診断して、ちょっとでも悪いと医務室行きです。企業より健康管理が徹底している。(笑)人権問題になるからということもあるけれども、もともと日本の刑務所は受刑者を人間扱いしてきたんです。欧米では受刑者と子供は人間ではないと思っている。その証拠に、子供が成人することを、フランス語でエマンシパシオンといいます。この言葉は、奴隷や囚人の解放、親からの解放に使う言葉です。

戦争中、左翼の人々が転向したのは、一つは、鎖もつけず、看守と一緒に監獄の外を散歩したりして、そのふれあいの中で自分から進んで、というケースが多いんですね。護送のときもまず囚人の食事に気を配る。これは、受刑者を人間扱いする伝統のあらわれだと思います。

山崎 たしかに特高に拷問されたという話は残っているけれど、行刑当局にひどい目にあわされたという話はあまり聞きませんね。

しかし何だか気が滅入るんだなあ。僕らが役所へ行って判こ一つでも間違えると叱る、石のように融通のきかない小役人根性、その同じ精神が他方では世界にも珍しい実存的反抗を手なずけてしまう。このやりきれない気持をどう説明したらいいんですか。

丸谷 そこが僕も分らない。

山崎 繰り返しになりますが、パッションに基いて義務に奉仕するのはわかるんです。特攻隊が国のために死ぬ。私はそれをあまり異常とは思わない。十字軍の兵士もやったし、現在でもイランの兵士がやっている。しかしこの看守たちにパッションが皆無なのは明らかなんです。それでも営々と義務に奉じ、見事なまで実務的に囚人を扱っている。

丸谷 しかも佐久間は、看守の実務性に対して、極端に遊戯的に脱獄するのねえ。(笑)『パピヨン』や『モンテクリスト伯』の脱獄は、何かする目的があって脱獄する。ところが佐久間は脱獄して何かしようという目的はないんですね。したのはただ一つ。奥さんのところへ一晩行ったことだけ。(笑)つまり、遊戯としての脱獄なんですね。

山崎 ちょっと修正させていただくと、彼自身も看守の獄則違反をめざとく見つけて、いわばその懲罰として脱獄しているんです。(笑)

丸谷 それは佐久間の言いわけとおどかしだけど、本音という面もすこしはありますね。

山崎 看守側は何の情念だか分らないけれど、徹底して法律を守っている、しかしちょっとでも落ち度があると、佐久間はそれに対する官僚的懲戒として脱獄する。彼も極めて遵法的に脱獄しているわけね。(笑)どちらも小役人的なんですよ。

丸谷 まあ、そういってもいいんだけど、なんだか可哀想だなあ。(笑)

木村 私は年に何回か、看守たちにお会いする機会があるんですが、彼らは一生懸命ですね。日本では「わたしゃしがない籠の鳥」といって、籠とか艦の中に入れられるのが最大の不幸です。
その点、ヨーロッパ人は、自分で城壁をつくってその中に生きるのが安全だと思っているから、「籠の鳥」になれるのが幸せなんですね。日本では椎の中へ入るのは、不幸の極みで、そこから、看守の囚人に対する、ある種の共感、同情が生まれるんです。

それにしても佐久間という男は脱獄する以外、人生の愉しみは何もなかった。結局、彼には脱獄が人生であり、趣味だったんですね。(笑)この珍しい趣味を通じて日本人を描いてみせた。それがこの小説の魅力だと思います。

破獄 / 吉村 昭
破獄
  • 著者:吉村 昭
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(448ページ)
  • 発売日:1986-12-23
  • ISBN-10:4101117217
  • ISBN-13:978-4101117218
内容紹介:
昭和11年青森刑務所脱獄。昭和17年秋田刑務所脱獄。昭和19年網走刑務所脱獄。昭和22年札幌刑務所脱獄。犯罪史上未曽有の四度の脱獄を実行した無期刑囚佐久間清太郎。その緻密な計画と大胆な行… もっと読む
昭和11年青森刑務所脱獄。昭和17年秋田刑務所脱獄。昭和19年網走刑務所脱獄。昭和22年札幌刑務所脱獄。犯罪史上未曽有の四度の脱獄を実行した無期刑囚佐久間清太郎。その緻密な計画と大胆な行動力、超人的ともいえる手口を、戦中・戦後の混乱した時代背景に重ねて入念に追跡し、獄房で厳重な監視を受ける彼と、彼を閉じこめた男たちの息詰る闘いを描破した力編。読売文学賞受賞作。

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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文藝春秋

文藝春秋 1984年6月1日

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