対談・鼎談

木村 伊兵衛『木村伊兵衛写真全集昭和時代』(筑摩書房)

  • 2024/08/16
木村伊兵衛写真全集昭和時代 / 木村 伊兵衛
木村伊兵衛写真全集昭和時代
  • 著者:木村 伊兵衛
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:大型本(199ページ)
  • 発売日:2001-06-01
  • ISBN-10:4480613021
  • ISBN-13:978-4480613028
内容紹介:
昭和の写真史を常にリードした不世出の名人、木村伊兵衛の決定版全集。名人芸の全貌と昭和写真の初心が浮き彫りに。
昭和二十年夏から、昭和二十九年にかけて撮影された作品により編集。
目次
1 戦後風景―作品1~26
2 甦える人々―作品27~72
3 庶民の街―作品73~105
4 日本列島―作品106~124
5 人物―作品125~150

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木村 日本写真界の巨匠である木村伊兵衛さんの無数の作品の中から八百点を選び四巻に纏めたものです。今回取りあげるのは最初に刊行された第二巻で、終戦直後の昭和二十年から二十九年まで、百六十七点が収められています。

ここには戦後日本の原風景が白と黒の世界を通して語られているわけで、靖国神社に参拝する庶民の姿、ストリップショー、あるいは様々の人物像、その一つ一つが私たちの心にその人なりの感慨を生じさせる力をもっています。

しかし、私たちが終戦直後について持っているイメージとは必ずしも一致しない面もあります。私は十五歳で終戦を迎えたわけですが、自分の痩せた姿と、ひもじかった思いを、いまだにつよく持っています。ところが、この写真集で見ますと、たとえばヤミ市での食事風景は光と影とのコントラストの中で、実に温く撮られていますし、引き揚げ者なども意外に痩せていない。(笑)活力に溢れています。戦後の悲惨、という固定観念を打ち破るような、力強い、未来に向って生きようとする日本人の姿が描かれているわけです。

と同時に、ここには奇をてらった風景が一切ない。ですから人それぞれに様々な思いを、この写真集から引き出すことができるだろうと思います。

たとえば原爆でやられた終戦直後の広島に「Bookseller Atom」なる本屋ができる。「本郷森川町」という作品の交番には「POLICE BOX」と出ている。ひところわれわれが神様の言葉のように受けいれた横文字文化の姿があります。

一方では、洋雑誌を食いいるように見つめる学生の目や、女性がマネキン人形を見つめる目、こういうところに欧米文明に対する飢えがよく出ています。

そして、いまはなくなった路地裏の姿とか、洟(はな)垂れ小僧とかがあり、さまざまな意味で、現代日本の原点を考えさせてくれる写真集だと思いました。

丸谷 写真というものは、こういうふうにして見ていくと、画面に意味賦与をしたくなるんですね。われわれはこれほど精密にきちんと外界を見ていない。それなのに細部に至るまで詳しく見せてくれる。それもこういう大型の豪華本で見せてくれる。さらにこれは巨匠の全集なんだという威(おど)しがかかる。(笑)

だから、こうして見せられる以上、見せる側は、意図があるはずだ、その意図を解読したい、とわれわれ見る側は思う。ところがその意図はなかなか分らない。これは写真一般がもっている宿命だろうと思うんです。誰かが写真とは「コードのないメッセージ」だといっていますが、特に木村伊兵衛のように、芝居かがりを排してある写真だと、コードはいよいよ消してあるわけです。意図が分らない。もどかしい。もどかしいから一層解いてみたいって気持が生じる。そういう奇妙な関係を、この本を見て感じました。

いったい木村伊兵衛の作品は、日本的リアリズムと写真の結合だろうと思うんです。日本的なリアリズムというのは無私のリアリズムとよく言われる。無私の陰にどんな私が隠されているのか、ぜひ探り当てたいとわれわれは思う。ところがなかなか探り当てることができない。どうも困る。無私の陰に隠されているのは、ひょっとすると本当に無私なんじゃないか……。

山崎 それは痛烈だ。(笑)

丸谷 あるいはコードのなさのせいで、意味ありげに見えるんじゃないか。そういう疑問を禁じえないんです。

この人の作品は、湯島天神を俯瞰撮影したものとか、浅草のそば屋での二人の女のひととか――古い日本の洗練によせる郷愁、それを叙情的に撮ったときは素晴しいんです。しかしさっきおっしゃった「本郷森川町」なんて、平板で別に何てことないなあ、という気がするんです。

一体にこの人は、不景気なものに対する関心が強く、景気のいいものは嘘だという根本的誤解がある。(笑)

たとえば昭和二十三年に撮った「両国花火」と題する三枚の写真があります。花火なら夜でしょう。で、花火自体を撮るのが普通でしょう。ところがうち二枚は、花火が始まるのを昼からボォーッと待っている群衆です。

木村 夜は撮れなかった。(笑)

丸谷 残る一枚は夜の花火ですが、何だか醜悪な、白い煙がゴニョゴニョとあるだけで、われわれが考える様式的な花火ではない。

木村 それは当時のフィルムの、感光度の関係ですよ。

丸谷 いや、ちょっと待って下さい。いろいろ制約はあったかもしれないけれど、何とかして江戸以来の花火、それを面白がる人間を撮ることはできたと思う。ひょっとすると彼はそれを撮ったのかもしれない。しかしこの本の編集者たちはそれをみんなはずしてしまった。そこに木村伊兵衛というカメラマンの横顔がくっきり出てくる。

つまり木村伊兵衛が大事にしたのは、自然主義的な真実だったと思う。その態度が、写真――真を写す、という概念にぴったりとあう。そこで彼は代表的な写真家になり、われわれが写真についてもつイメージの基本路線を定めたんだと思うんです。

山崎 いま丸谷さんが指摘された事実に百パーセント同感で、意味づけの点では百パーセント反対なのが、私の意見です。

私たちは、奈良原一高とか横須賀功光とかいうような、最先端の写真家の写真を見すぎている。あの人たちの写真はおっしゃるように「コードなきメッセージ」あるいは「コードがまる見えに見えているメッセージ」だろうと思います。しかし、それは写真という芸術の本来の姿と違うものかもしれない。本来の写真は九割受動的で、一割能動的であるところに、最大のエネルギーを発揮する芸術だろうと思います。

つまり、凡人でも天才でもシャッターを押せば、何かが写ってしまう小箱が写真機なんです。もしもメッセージを伝えたいなら、絵画という数千年の歴史をもつメディアもあり、あるいは文学というもっと主観的なメディアもある。写真というのは、ものが向うから写ってしまうという情けなさの上に開き直った芸術なんだろうと思う。

そういう意味では、木村伊兵衛は典型的な写真家で、そこを評価すべきです。

ところが、この本には一種の混乱がありまして、たとえば、もんぺを穿いた日本人が靖国神社におじぎをしている横に、「オフリミット」と書いた英語の看板が立っている。この諷刺性が木村伊兵衛の精神であるかのごとく解説には書いてある。しかし、それは根本的な誤りで、この手の写真は諷刺としても底が浅いし、つまらないと思う。

この人の本当のよさは、隅々まで透明な、一つの大きな画面の中に無数に要らないものが写っている。それも全部同じ焦点深度で、パースペクティブなしの明晰性で捉えられている。つまりここには対象が要るものか、要らないものか、判断しないという写真家の姿勢が出ている。

木村 そう。

山崎 そして、その結果、この人は戦後風俗というものを実によく捉えた。風俗というのはそういうものでして、パースペクティブを持って臨むと、突然消えてしまう。それとは逆にパースペクティブを持って臨むと、よく見えてくるものは精神なんですね。

で、この作者は常に画面の正面にあるものよりも、片隅に大事なものを見ています。駄菓子屋で子供が遊んでいる写真があって、その右上と右下の隅に布団が二枚写っている。この布団の模様は、やはりこの時代だけのものです。

木村 山崎さんの意見に、賛成です。私は三十年近く趣味で写真をとっているわけですが、いまの写真家はよく魚眼レンズとか二十一ミリ、二十四ミリといった短焦点レンズを使い、三百ミリ、五百ミリといった超望遠を使う。現実をわざわざ歪め、望遠レンズによって遠近感をなくし、あるいは広角レンズによって遠近感を強調し、それによって心の中の心象風景を写し出そうとしている。

ところが五十ミリレンズは人間の目に一番近い素直なレンズであって、誤魔化しがきかない。その五十ミリレンズの世界が――むろん望遠レンズも使っているんですが――木村伊兵衛の世界です。全体に素直で、撮り方にケレン味がない。素人が撮ったのでは、いや玄人が撮っても五十ミリレンズでは面白くもおかしくもない写真しか撮れない。人間の目なら同じ風景でも特定の人物とか建物とかに力点を置いて見ることができるが、五十ミリレンズではそれができないからです。木村伊兵衛はこの平板なレンズの視角でしかも感動を惹き起す写真を撮ったという点が、巨匠の巨匠たる所以だと思います。そして、いまのカラーの情報過度の写真ではなく、白と黒の世界で、戦後の日常生活を描ききっている。私は素晴しいと思いました。

昭和二十三年の銀座が写っていますが、ポツン、ポツンとしか人がいない。盛り場でもいかに人が少なかったかということがよく分ります。また、昭和二十年の新宿の焼けあとのバラックの写真で、「梅林堂薬局」と横書きにした看板の字が、左から右に書いてあるわけです。それまで右から左へ書いていたのを新聞が逆にしたのは、昭和二十一年十二月からですが、庶民は戦争が終った途端から、アメリカに倣って左から右に書いている。その変り身の速さなどを、木村伊兵衛はちゃんと撮っているんですね。

丸谷 そういう資料性は大変あると思うんです。しかし見ていまして、なにか甘美なものがない、そこが飽きたらないんです。甘美な時代でなかったといえば、それまでですが、それでも非常に綺麗な写真が少しはあるんです。これだけの技術の持主が、昔の文壇用語でいうと散文精神というのかな、そっちに自分の本領があると思っていた。そこのところが僕は寂しいんですね。

津村秀夫さんのこの本の解説によると、津村さんが連れていって初代吉右衛門の舞台を撮った、というんですね。いかにも吉右衛門ならふさわしかったろう、六代目を撮ったらダメだったろう、という感じが僕にするわけです。つまり花がないカメラマンなんですね。花のない芸術家を、実直とか、手堅いとか、人格が立派だとかいってむやみに褒める、それがついこないだまでの日本の評論の態度でした。そういう態度に非常に叶う人間として、木村伊兵衛は巨匠なんだろうと思います。(笑)

山崎 それは文芸家に対する批評であれば諸手をあげて賛成しますが、私は、写真とはそもそもそういうものだと考えていますので、そこに留保がある。

丸谷 ………(笑)

山崎 それにしてもこの人の手にかかった戦後の歴史というのは、非常によく分る。たとえば二十年秋に撮った四谷の写真。なぜか戦争直後はコスモスが多かったんです。どこへ行ってもコスモスが咲いていた。それから最高傑作は「学生生活」です。まず、こういう陽差しが、いまはなくなりました。別にスモッグのせいではなく、多分、縁側というものがなくなったことに関係するんでしょうが、建物の外に白々と当っている陽差しが、同じなだらかさで室内を捉えている。そして何ともいえない静けさが写っていますよ。学生が新聞読んでいて、横で下宿の小母さんがご飯を炊いている。

昔は貧しかった、といってもはじまらないんで、何ら批評性も文学性もないけれども、これはまさに写真以外の何ものでもない。

木村 この人は光の使い方が非常にうまい人ですね。ジョルジュ・ラトゥールという、光を上手に使ったことで有名な十七世紀フランスの肖像画家がいますが、それを思わせるものがあります。

山崎 先ほど褒めたのと別の意味で褒めたいのが「吉田文五郎」。これはかなり意図的であざとい写真です。わざわざフォーカスをはずし、全体を甘くして、奥のほうにみいらのように乾いた文五郎を、手前に艶やかな女の人形を置いている。文五郎は女の人形を使うのがうまかった人ですが、どちらもこの場では死んだようになっている。死んでるものを二つ並べることで、この二つが重なって舞台へ出たときの生動感を予感させる。そのときはフォーカスがビシッとあうんでしょう。これは作為によってできた傑作だと思います。うまいことはうまい写真です。しかしコロンブスの卵ですね。

丸谷 僕はこういうのが写真だと思うんです。

山崎 私はこれを褒めます。褒めますが、二度とやってほしくない。

丸谷 しかし、こういう作為をするのが、玄人が写真を撮るってことだと思うな。

山崎 なるほど、面白い見解の相違ですね。もし文学者でこれをやれないとしたら軽蔑します。しかし写真家に対しては……奇手、妙手ではあるけれど、留保をつけたい。

丸谷 これなら専門家だと思いますよ。「本郷森川町」の写真なんて、われわれが撮るのを少しうまくしただけの話でしょう。

木村 と思って撮れないの。(笑)

丸谷 それはそうですよ。でも、「……と思って撮れない」ってのは、虫の死ぬところを見て志賀直哉が書いた文章、これはなんだ作文じゃないかと思っても、ぜったい書けないのと同じですね。(笑)

山崎 しかし、写真の良し悪しを括弧に入れても、これが僅か三十年前の日本の風景ですか。

木村 ええ、日本は本当に変りましたね。

丸谷 とにかくわれわれの生涯は大変でしたねえ。(笑)

山崎 面白かったですねえ。(笑)

木村伊兵衛写真全集昭和時代 / 木村 伊兵衛
木村伊兵衛写真全集昭和時代
  • 著者:木村 伊兵衛
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:大型本(199ページ)
  • 発売日:2001-06-01
  • ISBN-10:4480613021
  • ISBN-13:978-4480613028
内容紹介:
昭和の写真史を常にリードした不世出の名人、木村伊兵衛の決定版全集。名人芸の全貌と昭和写真の初心が浮き彫りに。
昭和二十年夏から、昭和二十九年にかけて撮影された作品により編集。
目次
1 戦後風景―作品1~26
2 甦える人々―作品27~72
3 庶民の街―作品73~105
4 日本列島―作品106~124
5 人物―作品125~150

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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文藝春秋

文藝春秋 1984年7月

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