書評
『ヤズディの祈り』(赤々舎)
未来をおさめたポートレイト
「ヤズディ」とは中東の少数民族で、トルコ、シリア、アルメニア、ドイツなどに分散し、なかでも多くがイラク北西部のシンガル山付近の村々で独自の信仰を守って暮らしている。その村々が、二〇一四年、ダーシュ(過激派組織IS)によって攻撃され、住民は集団で殺害され、若い女性たちは拉致された後、奴隷としてダーシュ戦闘員と結婚させられた。林典子さんは、このヤズディの人々を取材し続けている。この写真集はまず破壊された村々の写真からはじまる。崩壊した建物、荒れた地に落ちる片方の靴。事件の生々しい痕跡というよりは、地に染みこんだ人々のかなしみをとらえるような、静かな写真が続く。それから、生き延びた人々のポートレイトがある。拉致された場所からなんとかして逃げた女性たち、難民キャンプや避難先で暮らす人々。
攻撃を受けて自宅から逃げる混乱のなか、多くの人が写真を持ち出したという。その思い出の写真が、さらに続く。結婚式や何かの儀式といったとくべつなもの、何気ない日常の家族をとらえたひとこま、家族写真、友だちと並んで撮った写真。
私はこの写真集を開くまでヤズディという民族を知らず、二〇一四年の事件も知らなかった。彼らの守ってきた独自の宗教がどういうものかわからないし、慣習や暮らしぶりもわからない。この事件も、どこか遠くで起きた、今も起き続けている、侵略と内戦のひとつだと思ってしまいそうになる。けれどこの、彼らが何よりも優先して持ち出した写真を見ていると、そこに写る人々、花婿や花嫁、その両親、笑い合う友人、祖父母、家族、私の知らない人々の声が、実際に耳にしたものとして聞こえる気がする。その言語を解さないとしても、誕生会の歌声や、ふざけ合って笑う声、暮らしの細部に織り込まれたひそやかな声を私の耳はとらえる。写真におさめられた一瞬は永遠に奪われたのだと実感する。
持ち出された写真を見たあとで、写真家の手による、生き残った家族や個人の写真を見返すと、写真というものの力を思い知らされる。悲しみは癒えず、衝撃は消えず、不安は去らずとも、ここにはまたあらたなかけがえのない瞬間があり、この先、写真に撮られた人があらたな自分たちの写真を見返す、未来のまなざしまでもが、写真に写っているかのようだ。過去の悲惨を静かに伝えながら、そんなふうに、この先彼らが生きていく未来をも、この写真集はとらえている。
最後に、写真におさまった人々による証言がある。どのようにダーシュが村に攻めこんできたか、どのように彼らにつかまり、どこに集められ、そこからどのように戦闘員の家に連れていかれ、そこで何が起きたか――信じがたくおそろしい経験のひとつひとつを、まず若い女性たちが語る。それから、多くの男性たち、女性たち、カップル、家族たちが、それまでの暮らしと、今の暮らしを語る。それぞれの証言を読んで、ふたたび最初からページをめくっていくと、ひとりひとり、今を生きる人々の表情がさらに印象深くなる。私が驚くのは、拉致されて性的暴力を受け、もうだめだと幾度も諦め、命からがら逃げ出してきた女性たちの、何にも屈していないかのような毅然とした表情だ。地獄のような日々を「思い出したくない」と彼女たちは言う、でも、屈していない。顔がわからないよう薄いベールで顔を隠す女性もいるが、そのベール越しにも、彼女たちの毅然とした様子は伝わってくる。この写真集は、ただ表面的なものをとらえているだけではないと、それで知る。