日常を包むやさしさ
明石新平八十九歳、妻の英子は八十八歳。孝史、建二、雄三の三人息子はみな五十歳前後。都内の一軒家には、孝史と雄三が同居している。新平の毎日はルーティーンで成り立っていて、目覚めると自身で編み出した健康体操をし、自身で考えた健康朝食をとり、新聞を読み、庭や鉢植えの手入れをして、英子に断って散歩にいく。健啖(けんたん)家の新平は、散歩の途中、昼食を外ですませ、甘味のみやげを買って、秘密の部屋に立ち寄る。かつて自宅のあった場所に建てた賃貸アパートの一室は、営んでいた明石建設の事務所も兼ねているが、新平が集めたお宝、昭和のエロス関連の雑誌や写真集といったコレクションもここにある。
まったく理想的な隠居生活ではあるが、新平には悩みもある。長男の孝史は高校中退以来引きこもりで、食事のとき以外は部屋から出てこない。ひとりで暮らしている建二はフラワーアーチストとして独り立ちしているが、自称「長女」と名乗ってひらひらした服装をしている。雄三はくまのプーさんとアイドルをこよなく愛し、アイドル撮影会を主催する会社を立ち上げたものの、毎月赤字続き、父の顔を見るや借金を頼みこむ。そうして妻英子は、もうじき九十歳になろうという夫の浮気を疑い続けている。……と、問題は山積みではあるものの、とりあえず早急になんとかしなければならないわけではなく、新平はのんきな散歩の日々を送っている。人好きのする新平は、九十近い今でも、年若い女性に気安く話しかけたり、親しい仲になったりする。
小説は、北関東のちいさな町で生まれ育った新平と英子が、交際をはじめたころに遡って回想していく。やがて戦争がはじまり、新平は徴兵され、戦後は英子を追って東京に出て、英子の姉の家に居候しながら祝言を挙げ、建設会社に勤め、建築士の資格を取って、明石建設として独立し、高度成長期と相まって軌道に乗り、子どもたちが生まれる。大正生まれの新平は激動の日々を歩んできたのだが、散歩しながら思い出すあれやこれやは、淡くて遠く、どことなくユーモラスだ。他者との対立も、妻との軋轢(あつれき)も、真剣だったはずの恋愛も。でもそれは、ものごとを深く煮詰めない新平が掘り起こす過去だからで、妻の英子にしてみれば、憤りや嫉妬やかなしみは淡くも遠くもなっていない。新平もそれをわかっているから、散歩に出たときにはかならず妻に甘味のおやつを買う。
読んでいるとまったき至福感に包まれる。晴天の午後、急ぐ用もなく足の痛みもなく、雲を眺めたり塀を歩く猫を眺めたりして、私まで散歩している気持ちになる。そうして散歩しているうちに、かなしみも激しい怒りも深い後悔も、時間とともに沈殿していく気すらしてくる。生きていくことがこういうことならいいなと思う。
自称長女の建二が唯一、わだかまりのあるらしい母に寄り添い、話を聞くのだが、この人のやさしさが小説の後半にどんどん胸に迫ってきて、エピローグで建二が猫の話をするときに、私は感極まって泣いてしまった。そうだ、読んでいるときの至福感は、まったく押しつけがましくない、こうした「適当な」やさしさが、小説全体を、そして、私たちそれぞれの、問題含みのなんでもない日常を、覆っているからだと気づく。