書評

『編集ども集まれ!』(双葉社)

  • 2018/10/27
編集ども集まれ! / 藤野 千夜
編集ども集まれ!
  • 著者:藤野 千夜
  • 出版社:双葉社
  • 装丁:単行本(424ページ)
  • 発売日:2017-09-20
  • ISBN:4575240575
内容紹介:
漫画をこよなく愛する芥川賞作家のデビュー前夜と今。自伝的長編小説。

ささやかな人のありよう

青年漫画誌や実用・娯楽書をおもに扱う、J保町にある出版社、青雲社に小笹(こざさ)一夫が入社したのは一九八五年。大学卒業後、契約社員として働くことになったのである。中学高校と漫画研究会に属していた一夫は、研修の後、運よく漫画編集部に配属される。

その当時のことを思い出しながら、三十年後のJ保町を歩いているのは、どうやら「笹子(ささこ)」と名乗る一夫と、その連れ、アダっち。物書きとなった笹子(一夫)が、二十二年前クビになった出版社勤めのことを書くために取材しているのである。

八〇年代、コンピュータも携帯電話もなく、ファクシミリも導入されたばかり。担当者は漫画家に会いにいき、ときには担当を外されたり、ときには忘れがたい言葉をかけてもらったりする。どことなく牧歌的でのどかで、現実から少しばかり浮いたような雰囲気が漂うのは、のほほんとした文体のせいか、それとも、我が道をいきつつもヒット作を出し続ける編集部の色合いのせいか。漫画家名や作品名のほとんどが、仮名や伏せ字を使わず描かれているので、一夫が受けた梶原一騎からの電話には私も震え上がり、つげ義春作品の写植を貼るところでは私も胸を震わせ、やまだ紫のサインをうらやみ、一夫が中崎タツヤの担当者になったときは心底驚き、桜沢エリカと岡崎京子が登場するあたりでは、読者としてその時代の興奮を思い出す。私の知らない漫画も漫画家も登場するが、でも、興奮はびしびし伝わる。

もちろん小説は当時の漫画文化だけを描いているのではない。その渦中にいながら、それに拠(よ)って立つ人々の姿をも描く。彼らは一夫同様、一般的な「ふつう」さから、いつも無言ではじき出され、そのことを受け容(い)れながらも傷ついているような人たちだ。小説は、そういう人たちに名を与えない。オタクとかマイノリティなどという出来合いの言葉で括(くく)ってしまえば、とたんに消えてしまうような、かすかでささやかでユニークな人のありようや感情を、なくさないように、踏みつぶさないように、ていねいに掬(すく)い上げて作者は言葉を紡いでいく。

そういう人たちに囲まれた場所だからこそ、一夫は本来の自分自身に立ち戻っていくのだと思うが、皮肉なことに、本来の姿になっていく「笹子」を、会社組織は認めない。スカートをはいて出社した笹子は、正式に解雇される。

これが今だったら解雇ということはないだろう。「性同一性障害特例法」の成立は二〇〇三年、〇四年には戸籍の性別変更が認められている。さらに十年以上たって、セクシュアリティについて社会はもっと理解するようになったし、そのことへの無理解・偏見・差別はよくないという空気は浸透している。けれども、作者が書こうとしたのは、特例法だとか申し立てだとか、あるいは性同一性障害とかLGBTといった「用語」とは遠く離れたことなのだと読んでいて思う。そうした言葉からはみ出してきたもの、今なお、はみ出し続けているもの、括ってしまえば消えてしまう何かをこそ、書いているのではないか。

アダっちとともにJ保町を取材し、トキワ荘や手塚プロにまで出向いていく現在の笹子は、当時を回想しつつも怒りや失望に身をゆだねることなく、いつも何か食べては何かおかしなことを言って笑っている。その姿勢が、この小説の、もっといえば藤野千夜という作家の、確たる背骨だ。そのしなやかな骨格の、意外なたくましさに触れた、そんな読後感が深く残る。
編集ども集まれ! / 藤野 千夜
編集ども集まれ!
  • 著者:藤野 千夜
  • 出版社:双葉社
  • 装丁:単行本(424ページ)
  • 発売日:2017-09-20
  • ISBN:4575240575
内容紹介:
漫画をこよなく愛する芥川賞作家のデビュー前夜と今。自伝的長編小説。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年11月26日

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