心揺さぶられる「体温」がある書店
定有堂(ていゆうどう)書店、といっても、知らない人はまったく知らないだろう。私も鳥取を訪れるまでその存在を知らなかった。鳥取市を訪れる機会があり、知人から、定有堂書店にいったらいいよ、きっと好きだから、と言われて、向かったのだ。鳥取駅からほど近くにある店舗に入ったら、知っている感じと、まったく未知の感じが両方あって、興奮した。知っている感じというのは、本のセレクトショップみたいな、私の好きなタイプの書店で、そういう店がかならず持っている体温があり、でもその体温の種類がまったく未知だったのである。
日本文学外国文学、哲学宗教、などと、本が区分けされていない書店はよく見かけるけれど、定有堂の書棚に並ぶ本は私の知らない本ばかり。その知らない本たちが、ひそやかな声で私を呼んでいる。そういう本屋さんではかならず本が人を呼ぶから、それには驚かないが、呼んだ一冊に手をのばすと、その周辺に置かれた本がいっせいに私を呼ぶのには驚いた。まいったな、と思った。ぜんぶ読みたくなってしまうではないか。
定有堂書店はそういう本屋さんで、だから、二〇二三年に閉店したと聞いて「えっ」と大きな声が出てしまった。本書は、定有堂書店の店主、奈良敏行さんが一九九二年から二三年まで、新聞やミニコミ誌、ウェブに発表した文章と、図書館などで行われた講演をまとめた一冊である。これが、本当に深遠でおもしろくて、「定有堂書店はいかに定有堂書店となったのか」というテーマをはるかに超えて、自分の人生を見つけて生きるための哲学書のように私には思える。
奈良さんは大学卒業後、就職と転職ののち、配偶者の故郷である鳥取に移り、本が好きだから、本好きな人が好きだからという理由で本屋さんを開業する。本屋だけではなく、店舗の二階で読む会やミニコミ誌造り、映画について語る会など、さまざまな集いを現在も続けている。
くり返し出てくる言葉がある。「身の丈」「青空」「ビオトープ」「アジール」。どの言葉も書店経営とはかかわりのない言葉のようだけれど、奈良さんの語りかけるような文章を読んでいるとすとんと腑(ふ)に落ちる。なのでここでは説明しない。ぜひ、奈良さんの声で、本屋においてそれらの言葉の意味するところを聞いてみてほしい。
奈良さんのくり返すそれらの言葉のうち、「青空」というのが私には、わかるようでわからなかったのだが、第五章の講演原稿に出てくる、ある人が話す絵本の「きつねの窓」のたとえでものすごく深く納得し、納得したとたん強く心を揺さぶられた。棚で埋め尽くされた、窓の少ない書店でしか見えない青空がたしかにある。その青空は私だけのもの。ふだんあれもこれも見て聞いて、人の使った強い言葉ばかり心に残って、他人の考えを自分のそれと思いこんで、気負って、あるいは疲れて、ふと足を踏み入れた本屋さんで、その私だけのものにようやく出会い、そうだった、私はこれだけでよかったんだと気づく、そういうことがたしかにある。それが私の青空なのだ。
編者の三砂(みさご)慶明さんによる編集後記もすばらしい。他者から見た定有堂書店の意味合いと、そこで顧客は何を得たのかということが、ていねいに書かれている。この一冊はまさに、定有堂書店が私たちに渡すひとつの「宝」なのだと思う。