尊い家族への無自覚な暴力
スマトラ沖地震で両親を失ったクマさんことクマラさんは、十八歳のとき来日し、自動車整備士として働いていた。夫を病で亡くしたミユキさんと彼は、東日本大震災時にボランティアとして出会い、ゆっくりと距離を縮めていく。はじめて会ったとき、クマさんは二十四歳、ミユキさんは三十二歳、ミユキさんのひとり娘、マヤは八歳だ。小説は、マヤの言葉で語られていく。小学生だったマヤが中学生になったときに二人は婚約するのだが、その後すんなり結婚とはいかない。大なり小なりの困難があり、そのあいだにクマさんの在留資格は切れ、それでもなんとか二人は婚姻届を出す。あたらしい在留資格をもらうために入国管理局に向かったクマさんだが、それきり戻ってこない。在留資格を取得する直前に逮捕されたのだった。それから入管に収容されたクマさんを取り戻すための、ミユキさんとマヤの闘いがはじまる。
小学生から中学生、そして高校生になっていくマヤの語りは、闘いなんて言葉が不釣り合いなほど、一貫してやわらかくわかりやすい。思春期にいるマヤは、恋もするし受験もする一方で、強制送還とか在留資格とか、聞き慣れない言葉の氾濫のなか、この家は「ふつうじゃない」とぶち切れる。
ふつうじゃないこと。大多数からこぼれる人やものごと。クマさんだけでなく、周囲の至るところに、そういう人がいてそういうことがあると、マヤはじょじょに知っていく。自分の家がふつうではないと怒った少女は、大多数だと信じることがいかに無自覚な暴力を振るい得るかに気づいていく。そして、入管に通いクマさんと面会を続けていくことで、ふつうではない、唯一無二の家族を作り上げていく。どこかとんちんかんでユーモラスなマヤとクマさんのやりとりには、子どものころから積み重ねた時間の厚みがあり、それゆえの了解事項と、そこからしか生まれない思いやりに満ちている。それらをひっくるめたものを、つまりは愛と呼ぶのだろう。
しかしこの愛というものを、裁判で証明することがいかにむずかしいか。後半の、在留資格を得るための裁判で、言葉巧みな検事側の「愛」のこじつけ翻訳に、いらいらしながらも、社会が無自覚に抱いている差別意識や偏見に気づかされ、はっとさせられる。
この小説は二〇二〇年五月から二一年四月まで読売新聞の夕刊で連載され、私は夢中で読んでいた。二一年三月、入管でひとりのスリランカ人女性が亡くなった。私はこの連載を読んでいたから、そのニュースがひときわ大きく耳に入ってきた。日々更新される新聞連載と、現実のできごとが、象徴的に通じ合うのを今まで私は数度見てきた。それはたんなる偶然ではなくて、小説が、私たちの生きる社会から生まれるものであり、その社会に石を投じる機会になり得る証左なのだと、私はあらためてこの小説に教えられた。入管の事件を知ったのち、八月に刊行されたこの小説を、連載時のように落ち着いて読むことができなかった。クマさんの、クマさんとミユキさんの、彼ら家族の、どんなささやかな瞬間も、だれにも奪われてはならない、まばゆく尊い光に思えてしかたなく、それが消えることのないよう、祈るように読まずにはいられなかった。