書評
『ベジタブルハイツ物語』(光文社)
ぬるい日常の中の危機
円滑な人間関係を保持したいので内心ではむかついても表面上は笑って、「ぜんぜんオッケー」と言う。重大な危機が迫っているのだけれども、そのことを問題にすると自分や周囲が暗い気持ちになるので重大な危機のことは考えないようにして、日常の些細(ささい)なことにかまけて時間をやり過ごす。
といった振る舞いに我々は及ぶことが多いが、小説に登場する、危機感、緊張感を極度に欠いていたり、なんの根拠もなく他を賛美・賞讃したり、稚拙な自己表現に没頭したり、他と関係したいと思いつつ他というものをイメージできず誤った努力をし続けてたりする、「普通の人」もまた、危機から目を背け、内面の危機をなかったことにして、自分はゆるい日常、ぬるい日常を生きていると思っている。
小説は、それらの人々の、さらさらと流れる川のようで川底には堆(うずたか)いヘドロが積もっているような心の様子、ただならぬ悲哀、鈍痛のような危機を描いて見事である。
その筆致は、一見、現代風の軽い文章でありながら、その実、よく読むと、きわめて周到で、ごく細かいところまで神経が行き届いている。
非常に乱暴に見えるカッコをつかった表現はその分かりやすい例である。
それら表現が作者の直感によるものか、計算によるものかは分からないが、どちらにしても優れた表現であるに違いなく、感心した。
描かれる人々のありさまは当然のように滑稽(こっけい)で珍妙なのだけれども、その人の宿命的鈍くささや、母と子がふたりきりであることを描いたくだりでは儚(はかな)く切ない哀しみの調子が高まって心がざわめいた。何気ない仕草や会話に人間の本質が描かれた、たいへん優れた小説であると思った。戦慄(せんりつ)した。
ALL REVIEWSをフォローする




































