書評
『やすらい花』(新潮社)
音と匂いがただ響く
携帯電話の説明書を読んで、実際にはまあ言われたからそうしているのだけれども、心の奥底ではどうも得心がいかず、ええっ? そんなあ、と思ってしまっているのに、長押し、というのがある。なにに得心いかぬかというと、ある操作ボタンを一定以上の時間、押し続けると、普通に押した場合と別の操作ができる、つまりひとつのボタンに、ふたつの機能が割り当てられていることに得心がいかない。
いずれ小さく設計しなければならない携帯電話に多くの機能を盛り込むための工夫のひとつと思われるが、しかしそれは、機械に習熟した者にとっては操作だけれども、携帯電話に限らず、ATMや券売機といった機械の操作が不得手で、果たして正しい反応が得られるだろうかという不安から、つい必要以上に力を込めて操作してしまう不器用者にとっては、反応、のようなもので、同じボタンを押したつもりなのに、機械の方で異なった反応を示す、と感じて戸惑ってしまうのではないか、と思うからである。
確かに説明書には、何秒以上、と書いてある。しかし、実際にタイムを測る訳にもいかないから、いきおい、長い、短いは個人の感覚に任せられることとなって、そんな、曖昧な感覚みたいなことに頼った設計というのは果たしてどうなんだろうか。みなは黙っているが実はあかぬのではないだろうか、と思うのである。
と考えて、二十年くらい前に買ったシンセサイザーという楽器のことを思い出した。シンセサイザーはいろんな波形を合成して音色を作るための楽器だけれども、そのシンセサイザーには予めいくつかの音色が組み込まれていた。
その、楽器としての成り立ちは私にとって複雑で、その複雑な成り立ちのひとつに、レイヤー、というのがあった。レイヤー、すなわち、層ということで、ひとつの鍵盤にふたつの音色が割り当てられていて、鍵盤を押すとある音色が鳴るが、そのうえでさらに強く深く鍵盤を押し込むと、また別の音色が響き、演奏者はこれを自在に活用して、同じ鍵盤を用いて異なる音色を響かせるのである。
ところが、未熟な演奏者である私は、これを操作することができず、響く音はその都度、楽器の心のままの反応のように思えた。そんな体たらくで音楽を奏でることはもちろんできず、訳の分からぬ音をぷーぷー鳴らして、自分も周囲も困惑、そのシンセサイザーは当時の私のバンドの鍵盤奏者がもっぱら用い、その楽器自体が時代遅れの代物と成り果てたいま現在は記憶の物置の片隅で溲瓶や古雑誌と一緒に埃をかぶっている。そして。
「やすみしほどを」の、私、の頭に、異物のように、
長き夜のいづこに見るや朝ぼらけ
という発句が浮かんでしまう。
なぜそんなものが浮かぶかというと、「間違えて」自分を長押ししてしまったからで、「間違い」であれば、それは一回限りのものであろうと、私、は判断、
霧より明けて鳥の鳴き立つ
と、いうことにしてしまおうと企図するのだけれども、それで終わらず、くるおしい独吟を続けてしまうのは、意識として一度しか生きぬ以上、人間を操作することに習熟していない人間が、「間違えて」必要以上の長押しをしてしまったからである。とこの時点では思えてしまう。そして。
そうして、長押しをしてしまって、その長押しの結果、生じた、反応に、また、反応してしまうのが人間である。というと、まだ救いがあって、そうして、何回も言うてすみませぬ、「間違って」長押しをした結果、また生じる反応に、また、反応するも人間で、ということは、こと人間に関する限りレイヤーは無限、ということになってしまう。
無限ということは空ということで、そして無ということで、そんなことはおそろしいので、女の肌、という言葉にすがったら、そこにまた、無のような匂いが立ちこめて読者はどうしたらよいのか、おほほ、わかりませぬ。
と、混乱して申し訳ないが、そうした層というものは人間の場合、実は、二層、三層ではなく、無限とか永遠みたいに深く、その人間の出てくる小説を書こうとする場合、大抵の作者は、その小説の間口はできるだけ大きくとろうとするし、奥行きも深くしたいし、大伽藍、高層建築のようなことをしたい場合もあるし、その解像度も極力あげたいので、その層をなるべく深いところまで掘りさげようとするのだけれども、その努カは、やっとこさ二層か三層掘ったところで、様々の力の限界の岩盤に突き当たって、無限にまで突き抜けることはないのに、この小説では冒頭からそれが突き抜けて、空無、空無、食う産む、食う産む。亡母と間違いと匂いと音と時間と記憶が、褶曲してそれを横に貫く一応の言葉が融通無礙みたいなことになって渋い。
作者は巧妙に、匂いと音のフィルターを通した過去と現在と未来をシンセサイズする。
その姿は自分で自分という楽器を演奏しているようである。
自分というシンセサイザーをもう一度、シンセサイズし、そのうえで聞こえてくる響きに反応する言葉の、文章の連なりがここにあるように思える。
層と層がシンセサイズされ、水の音や女の肌の匂いが響く。それらがただただ響いている。
そんな読後感を抱いたぜ、ベイビー、ロックンロール。と、もう気楽にぼくは言えませんわ。