書評
『半自叙伝』(河出書房新社)
幼年との往復、積み重なる記憶
人は生き続ける限り、心の奥深くにいくつもの記憶を少しずつ積み重ねる。それらの記憶は、たいてい年齢を経るごとに移ろい変容してゆく。輪郭がぼやけて忘れてしまう場合もあれば、逆に輪郭がぼやけることで、かえって生涯にわたる意味合いを帯びてくる場合もある。古井由吉は、本書で自らの人生における二つの時期の記憶について語っている。第1部は2012年に発表された文章を、第2部は1982年から83年にかけて発表された文章を収めている。一方は40代、他方は70代になって来し方を振り返り、記憶に残った出来事や場面を、「矛盾はなまじ整合させずに」描き出している。
当然、両者には記憶の重なりがある。例えば、70年11月25日の三島由紀夫の自決を、著者は肺がんの母親を見舞いに訪れた実家のテレビニュースで知った。40代では三島由紀夫という文字そのものにまがまがしさを感じたのが、70代ではもう少し落ち着いた記憶になっている。ここには三島に対する心境の変化が反映しているように見えた。
その一方、敗戦直後の45年10月に岐阜から上京してきたとき、東京駅の連絡通路で遭遇したアメリカ兵がかじりかけの林檎(りんご)を子供に渡したときの記憶は、40代よりも70代のほうが「戦後の始まり」として認識されている。
両者に共通しているのは、記憶の根底にある空襲の体験である。45年5月の空襲で東京の自宅を焼かれ、父親の実家があった岐阜県の大垣に逃げたが、大垣もまた7月末の空襲で町全体が炎上した。
7歳の古井由吉が、赤々と燃えさかる大垣の町を慄(ふる)えながら眺めている。この体験こそ、たとえ40代になろうが70代になろうが、幼年の自己との間を無限に往復するこの作家の人生を宿命づけたのではないか。本書で語られる著者の生涯そのものが、まるで小説のように思えてくる。
朝日新聞 2014年5月4日
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