書評
『蝶か蛾か』(文藝春秋)
馬鹿と利巧がいて、どっちが難しいことを考えているかと言うと、利巧の方が難しいことを考えている。では、馬鹿と利巧のどっちが複雑なことを考えているかと言うと、それは馬鹿の方が複雑なことを考えている。というと、「なにを言っとるんだ。馬鹿は単純なことしか考えてないに決まってる。なるほどそんなことを言う君はきっと馬鹿なのだな」という利巧がでてくるが、それは誤り。なんとなれば利巧は本来不可思議なる天地間のことを秩序立てて説明がつくように理解するが、馬鹿はそれをまるごと頭のなかにぶちこんで考えるからで、だから小説などを書こうとする場合、粗忽(そこつ)者として観察することはできても馬鹿の主観により添うて書くことはできない。この小説はそんな馬鹿の考えを改行の多い、独自のやり方で表した珍しい小説で、利巧には分からない複雑で奥行きのある人間のすること考えることを描いて成功していると思った。