スペシャルオンラインスクール『鹿島茂「渋沢栄一の思想と生涯――道徳的であることが最も経済的である」』、2021年2月開催決定!

  • 2021/01/09
昨年大好評だった「ALL REVIEWSのオンラインライブスクール」、第2弾開催が決定!
今回は、2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、「日本資本主義の父」とも称される「渋沢栄一」を、
伝記『渋沢栄一』(文藝春秋)も執筆されているフランス文学者・鹿島茂さんが深堀りします。

2021年2月14日(日)からの「青天を衝け」放送に合わせて、2月7日/14日と2週連続で開講。
緊急事態宣言が続きますが、より充実したSTAY HOMEのため、鹿島茂さんと「日本資本主義の父」を学びましょう!
※YouTubeでライブ視聴が可能なオンライン講義になります。PC/スマホ/タブレットなどからの視聴が可能です。
※鹿島茂さんのコレクションを映したりもしますので、PCなど大きい画面での視聴をおすすめします。
※ライブ講義当日はYouTubeのチャット上で質疑応答も行います(チャットへの参加はYouTubeへのログインが必要です)。
※最終回(第2回目)終了後には鹿島茂さんとのオンライン懇親会(Zoomを使用)を予定しております。
※参加者は動画のアーカイブ視聴が可能、必ずライブで視聴する必要はございません。


スペシャルオンラインスクール 鹿島茂「渋沢栄一の思想と生涯――道徳的であることが最も経済的である」

■日程

第1回: 2021年2月7日(日)15:00-16:30
第2回 :2021年2月14日(日)15:00-16:30

■企画趣旨(鹿島茂)

渋沢栄一が新しい一万円札の「顔」と決まったというニュースが流れたとき、ネット・メディアからいっせいに「渋沢栄一ってだれ?」という声が挙がりました。また、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」が渋沢栄一を主人公にすることが公表されたあとでも、あいかわらず、「渋沢栄一ってだれ?」の声が続いているようです。
渋沢栄一についての二巻本の伝記を書いた私としては、少しガックリしましたが、反面、いい機会だから、このさい渋沢栄一について啓蒙活動をもう一度、初めからやり直してみようという気持ちになりました。
なぜなら、渋沢栄一は、明治・大正・昭和の時代で「知るに値する」唯一の人であるばかりか、日本人が真に誇っていい偉人であると断言してもかまわない人物だからです。
しかし、いくらこう力説しても渋沢栄一のことを知らない人には何の効果もないでしょうから、私が主宰するALL REVIEWS友の会で用いられているYouTubeの放送枠をつかって二回にわたってオン・ライン講演会を催し、「渋沢栄一ってだれ?どんな人で、どこが偉いの?」という素朴な疑問に答えてみようと思います。
本当は、講演会で直接にお話しするのが筋でしょうが、コロナ禍が拡大しそうな現状では、たとえオン・ラインでもできる限りのことを試してみるべきだと考えました。
しかし、漫然と講演するのは私にとってもおもしろくないので、今回は、みなさんと一緒に考えるために、あらかじめ問題設定を行ってみたいと思います。
それは以下の通りです。
①[全体的に]渋沢は、なにゆえに、またどのようにして、近代日本の資本主義を築くことができたのか?
②[内在的に]渋沢のどのような気質なり性格が、また彼の生まれ育ったどのような環境と教育が、渋沢栄一という人間を生み出すことを可能にしたのか?
③[外在的に]当時のどのような世界情勢が、また、渋沢が徳川昭武使節団の一員として赴いたフランスのどのような社会状況が渋沢をして資本主義の父となるように仕向けたのか?

つまり、自分で問題提起を行い、自分でそれに答えるという問答形式で、講演を組み立ててみたいと思っているのです。

しかし、そのためにも、渋沢栄一という人物の概略をつかんでおく必要がありますから、簡単な素描を掲げておきましょう。

1840年(天保11年)、現在の埼玉県深谷市の血洗島という村で生まれた。父・市郎右衛門について藍玉売買の見習いを始め、経営農民としての才覚を発揮し始めたが、幕末の混乱で尊王攘夷運動に加わり、漢学の先生である尾高惇忠や従兄の渋沢喜作らとともに高崎城と横浜居留地の襲撃を計画する。十七歳のときに岡部の陣屋で代官から侮辱を受けて以来、士農工商という幕藩体制に疑問を持つようになっていたので、一気にテロリストになったのだ。計画は中止となり、渋沢は一橋家家の家臣団に加えられる。 ここで第二の転機が訪れる。一八六七年に開かれるパリ万国博覧会に幕府派遣の徳川昭武使節団の一員に加えられることとなったのだ。
パリで渋沢は使節団の世話役の銀行家フリュリ・エラールから経済のシステムを詳しく学ぶがが、その多くは第二帝政期に皇帝ナポレオン三世のブレーンとなったサン・シモン主義者たちの採用した「循環」をキーワードとした経済政策だった。すなわち、カネとモノとヒトとアイディアが循環することによって富は生まれるという思想である。渋沢はそれがサン・シモン主義であることに気づかずに、銀行や株式会社、証券取引などについて学んでいったのだ。
幕府の瓦解で明治元年に帰国した渋沢は慶喜の隠棲先である静岡で日本初の株式会社「商法会所」を始めるが、一年もたたないうちに大蔵省に出仕することになる。大蔵省では度量衡、郵便制度、貨幣制度、徴税制度などの改革を担当し、辣腕を奮う。明治政府最大の改革だった廃藩置県も渋沢が考え出した公債証書発行というアイディアがなければ実行不可能なものだった。
しかし、明治六年に至って、予算均衡の件で時の大蔵卿・大久保利通と衝突して大蔵省を辞め、野に下って第一国立銀行を創設する。
では、どのようにして渋沢は日本の経済と産業のグランド・テザインを描いたのだろうか?そうとは知らずにフランスで学び身につけたサン・シモン主義の循環理論に拠ったと思われる。渋沢はこれを「細流主義」と呼ぶ。すなわち、それぞれの家のタンスに眠っている滴のような金も銀行に集められ、そこから大きな流れとなって新事業に投資されれば、金は循環し、日本経済の血液として大きな活力を作り出すにちがいないという考え方である。そのために、渋沢は第一国立銀行を創設するとすぐに証券取引所を開設し、株式や債券の流通に心を砕く。いっぽう、貨幣制度に欠かせない紙幣のための「抄紙会社(後の王子製紙)」、証券や紙幣を印刷するための「共同印刷」、モノを動かすための鉄道会社や損害保険会社や汽船会社など矢継ぎ早に創設し、カネ、ヒト、モノ、アイディアを循環させるためのシステムを構築していく。渋沢が直接、間接に創設にかかわった会社は団体は、その数、なんと五百に及ぶ。
また、その一方でホームレスや孤児などの社会的弱者を放置しておくことは、まわりまわって社会の大きな負担になるという「マイナス循環」理論的な考えから社会福祉事業にも力を入れ、東京養育院の院長を長きに渡ってつとめる。
さらに、経済界を七十七歳で完全引退したあとには、日露戦争以後、日本人移民排斥運動もあって急速に悪化してきた日米関係を立ち直すために、民間外交を推進して、日米の相互理解を深めることに努力した。

このように、渋沢は一人の人間にできるとはとうてい思えないほど多くの業績を残しました。

果たして、二回だけの講演で語り尽くせるかどうかわかりませんが、私が監修したムック『別冊太陽 渋沢栄一』(平凡社)の副題にあるように、「天命を楽しんで事を成す」の伝で、みなさんと語らうように、楽しみながら話を進めていきたいと思います。

■受講料金

[2回通し受講]一般:7,500円 / 「ALL REVIEWS 友の会」会員:5,000円
[各回受講]一般:第1回4,000円 第2回4,500円 /「ALL REVIEWS 友の会」会員:各2,500円

■イベント詳細・参加申し込み

https://allreviews.shop/items/5ff8f8c7f0b1086afe0fb25e

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