後書き

『鼎談書評』(文藝春秋)

  • 2018/01/24
鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

本を食べる

告白すると、私は本を読むのが嫌いである。商売柄、本を読まねばならないのは確かだが、最初から最後まで全篇を読み通すのは、私にとって全くの苦痛で、書評を依頼されたとき以外は、あまりやったことがない。新聞・雑誌の場合もそうだが、「読んで下さいナ」と切実に訴えかけ、押しかけ女房式に迫ってくる記事だけに、「ヨシヨシ」とばかり、チラと眼を走らせる。どう見ても、良い読者とはいえない。

書物の場合は、もっとひどい。どういうわけか、目次も腰帯も見ず、「まえがき」も「あとがき」も省略して、いきなり最終ページから前のほうに向ってパラパラとめくりながら読み進み(?)、ときおりどこかのページにヒタと眼を吸いつける。そして、アッそうか、と無責任に驚いたり感心したりしている。

フランス料理なら、いきなり最終コースの肉料理にむしゃぶりついて、魚料理、オードーヴルへと遡ってゆき、途中、魚料理の付け合わせなぞに、特別の、衝撃的な美味を感じる、というところかも知れない。女体なら、まず核心から……そして……ときて、最後に顔や衣裳に眼か手が及び、そのプロセスのなかで、当の女性にとっては微細な、つまらぬ、どうでもよい部分に熱中するようなものだ。

まことに荒々しく、品がなく、一方的で、相手を愛しているなどとは、御世辞にも言えそうにない。しかし手順を踏んでいず、いわば相手の術中に陥ることがないから、そのような食べ方をしたときの印象はじつに強烈で生々しく、楽しい。いわば相手をバラバラに解体して、自分にとって美味しいところだけを食べてしまうのだから、相手の犠牲において、食べたものすべてが血や肉になる感じである。

早い話が、本を勝手に食べてしまい、相手を恣意的に誤解し、誤読しているわけだ。だから大学でぜミの時間にその書物を改めてテキストに使い、最初から「誠実に」読んでみて、以前読んだ印象が誤読だと分ると、途端に白けてしまい、その本からはもはや何も得るところがない。

「鼎談書評」のときは、この誤読、この私の密かな楽しみが許されなかった。最初から最後まで、本の全部に眼を通す必要があった。そうしないと、丸谷才一氏、山崎正和氏というわが国最高の犀利な頭脳と、月に一度かなりの長丁場を丁々発止切り結ぶとき、読んでいないことがすぐにバレてしまう。

だから、一年半のあいだは正直のところ大変に辛かった。ふだん関心の外にある本が大部分だったせいもあるが、毎回、宿題の書物を読み上げるのに、恐ろしく時間がかかった。一度通読し、大事な箇所にエンピツで線を引き、しおりを無数にはさみこむ。つぎにしおりの箇所を再読して、とくに大事なしおりに、丸印などのマークをつける。そして別紙に、その本の面白い部分の要旨を箇条書きしてページ数を付し、問題点もいくつか書き出す。ほとんど毎回、会合のギリギリ直前までこの作業を繰り返しやっていた。

しかし苦痛はそこまでで、「鼎談書評」の会合それ自体はじつに楽しかった。丸谷・山崎両氏の高度に知的で絶妙なやりとりは、ちょうど二人の名人によって、白いカンヴァスに見る見る華麗な名画が描き出されるのに似て、食べ飲みつつ思わずうっとりと見とれ、聞き惚れてしまうばかりであった。

しかし、お二人のお蔭で、話はその都度思わぬ方向に展開された。だからふだんは恥ずかしくて心の奥底にしまいこんであるようなものが、つい釣られて口から出てしまったりする。こうしてサロンの醍醐味をたっぷり味わうことができたのも、毎回の経験である。

文藝春秋編集部の御配慮で、出されるお料理はいつも美味しかった。しかしその味を本当にしみじみとかみしめることのできたのは、鼎談が夢中のうちに終ってホッとしたころ出される、最後の御飯とお新香であった。

晴のときも、雨のときも、風のときもあった。胆のう炎に苦しんだときもあれば、風邪を引いてうっとうしいときもあった。しかし夜九時半ころ、会合がお開きになって家路につくとき、身も心も満たされ、街の灯はいつも美しくにじんでいた。

この一年半のあいだは辛くも楽しくもあったが、つねに真剣で誠実でありつづけたお二人とともに、真に知的なふれ合いの場に身を置くことができたのは、まことに幸せである。そしてこの懐しくも優しき戦いから解放されたいま、私はふたたび以前の、荒々しく品のない、一方的な、本嫌いの読み手に帰ろうとしている。

【この後書きが収録されている書籍】
鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

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鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

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