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鼎談書評 (文藝春秋)

  • 2017/08/28
鼎談書評 (1979年) / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評 (1979年)
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • ASIN: B000J8ET3C

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※詳しい購入方法は、各ネット書店のサイトにてご確認ください。

鼎談と書評と

「三人寄れば文殊の知恵」といふのは、たぶん日本特有の格言であり、とりわけて日本的な知恵のあり方をいひあてた言葉だ、といふ気がしてならない。なるほど、西洋にも三賢者の聖母子礼拝といふ物語はあるが、これはべつに、三人が集まつたから賢者になつたといふわけのものではあるまい。「父」と「子」と「聖霊」の三位一体といふ観念もあるが、この場合、三者のあひだにははつきりした格の違ひがあつて、おまけに一体といつても、三者が力や知恵を寄せ合ふといふ意味ではないのは、いふまでもなからう。

同格の人間が、それも二人ではなく三人集まると特別の知恵が出る、といふ考え方は、もう少し学問的な歴史を探つても、どうやら西洋の知的風土にはなじみの薄いものだ、といひきつてよいやうに思はれる。もつとも、さういふと、ただちに西洋の一元論的発想とか、自我中心的表現といつた決り文句が浮かびさうだが、じつは二人の人間による対談的な思考法なら、意外に西洋の文化に長い歴史を持つてゐるのである。

ソクラテスの対話は、西洋の哲学的な思索の原点を築いた作業であつたし、のちにそれが方法として発展したとき、近代の弁証法が生まれたことは誰でも知つてゐる。ゲーテとエッカーマンの対話のやうに、現実の対談の記録と呼べるものも少なくないし、ディドローの『俳優についての逆説』のやうに、表現の方法として対話のかたちをとつた論文は、さらに珍しくない。これに、おびただしい往復書簡といふものを加へれば、むしろ二人の対談は、西洋的な思考の本流のひとつだといつてもいひすぎではなささうである。対談があつて、鼎談がないのは一見ふしぎなやうに見えるが、しかし、実際にやつて見ると、このふたつのあひだには、思ひがけぬ決定的な違ひがあることがわかる。ひと言でいへば、対談には休みがないが、鼎談では談話の重要な瞬間に休みをとることができる。重要な瞬間といふのは、たいてい残りの二人の対話が白熱してゐるときであつて、いひかへれば、しばしば二人の意見が対立してゐるときに、第三の鼎談者はそれを横から眺めることができるのである。

しかも、かんじんなことは、第三の鼎談者はけつして傍観者ではなく、つぎの瞬間には対話に割りこんで、今度は自分自身が眺められる立場に立つことになる。いはば、鼎談といふのは、つねにそれ自体の内部に自己を客観視する視点を含み、その視点をさらにそれとして客観視して行くやうな、独特の思考方法だといへる。「三人寄れば文殊の知恵」といふのは、たぶんかうした思老の仕掛をさしてゐるのであつて、答へが独善的になることを避ける、この二重の安全装置を意味してゐるのだと見ることができる。

考へて見れば、二つの立場といふのは、しばしばじつは一つの立場の変容にすぎない場合が多く、二つの立場から考へるといひながら、本当は一つの立場からしか考へてゐない例が少なくない。神と悪魔、精神と物質、善と悪、有と無、表と裏といつた両極的な対立は、たいていさうした偽の対立であり、第二のものは独立の立場ではなくて、第一のものの意味のなかに始めから含まれてゐる。

逆にいへば、一つの立場が一つの立場として、それなりの意味を持たうとすれば、必ずそれが否定するそれでないもの、あるいはそれと反対のものが必要なのであるから、一つの立場とは結局、必然的に二つの立場の別名にすぎないのだといひかへてもよい。そこで、一元論と二元論とはもともと同じ穴のむじなであり、三元論にこそ見るべきものがありさうだと、私はかねて予感してゐるのであるが、もちろん、ここはそんな小難しい理屈に立ち入るべき場所ではあるまい。ただ、一冊の書物といふ複雑な多面体を相手にしたとき、鼎談は批評の方法として格別に有効でもあり、また得がたい楽しみでもあるといふことを、私は今回の経験から学ぶことができた。数百ページの本を公平に、しかもすべての角度から批評しようとすれば、おほむね結果は無内容に終るものであるが、鼎談では他の二人の評者を信頼して、私は思ひきり偏見にふけることができた。私は読書を楽しむとともに、論争のゲームを楽しむことができ、あはせて一冊の本を一夜に三度読むといふ稀有の贅沢を味はつたのであつた。

いふまでもなく、それができたのは、丸谷才一、木村尚三郎といふ私のもつとも尊敬する対話相手を得たからであり、安んじて自分の偏見に立て籠ることができたからである。一々の議論の立場よりも、相手の人間が大きいといふ信頼がなければ、論争のゲームも鼎談の楽しみもあつたものではないが、お二人は終始、私にとつてさういふ信頼を抱き得る先輩であつた。ちなみに、この意味で鼎談や対談を楽しみ得る人間関係を探すとなると、今度は、現代の日本は必ずしも恵まれた環境とはいひかねるのである。
鼎談書評 (1979年) / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評 (1979年)
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • ASIN: B000J8ET3C

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