書評

『まど・みちお全詩集<新訂版>』(理論社)

  • 2021/11/16
まど・みちお全詩集<新訂版> / まど・みちお
まど・みちお全詩集<新訂版>
  • 著者:まど・みちお
  • 出版社:理論社
  • 装丁:単行本(800ページ)
  • 発売日:2001-05-28
  • ISBN-10:4652042310
  • ISBN-13:978-4652042311
内容紹介:
少年詩、童謡、散文詩など、まど・みちおの全詩を収録。国際アンデルセン賞、芸術選奨文部大臣賞、産経児童出版文化賞大賞、路傍の石文学賞特別賞受賞。
実は全詩集を手にとる前から、この文章の書き出しはこう、と決めていた。

「まど・みちお、という名前に出会うより、ずっとずっと前に、私は『ぞうさん』に出会っていた。」

そうしたら全詩集の編集をされた伊藤英治さんが、後記にまったく同じことを書かれていたので、びっくりした。きっと日本中に、同じような記憶を、心になつかしく持っている人がいるのだろう。

あれはまだ、幼稚園に入る前のことだった。ある日母が、バスタオルを買ってきてくれた。かわいい象の親子の絵が描かれている。「ぞうさん」の歌が、大好きだった私は大喜び。体を拭くために使うことは断固拒否して、私はそのバスタオルと一緒に寝ることにした。正確には、バスタオルのなかに住んでいるぞうさんと一緒に。

  ぞうさん
  ぞうさん
  おはなが ながいのね
  そうよかあさんも ながいのよ

何度この歌を歌ったことだろう。「そうよ」のところで、ときどき音程をはずしてしまう私の歌を、両親も飽きずに(いや、ほんとうは飽きていたのかもしれないけれど、とりあえずニコニコして)聞いてくれた。父のために、「とうさんバージョン」を勝手に作ったりもした。つまり、かあさんをとうさんに替えるのである。

このバスタオルのことを私は「ぞうさんのまくら」と呼んでいた。まくら、といっても、頭の下に置くのではなく、抱いて寝るのだけれど。そしてなんと、小学四年生まで、「ぞうさんのまくら」と一緒だった。親戚の家に泊まりに行くときも、連れていった。

今でもたまに、「ぞうさんのまくら」が家族の話題にのぼることがある。

「もう洗濯に洗濯をかさねてボロボロだったわねえ。端のほうなんかほつれちゃって。ぞうさんの顔だって、かすれてたわよ」と母はなつかしそうに言う。そしてついにバスタオルの原型をとどめないほどになり、(母の表現によると「スダレのようになっちゃって」)ぞうさんのまくらは、たんすの隅にしまわれることになった。

私にとってぞうさんは、夜眠る前の話し相手であり、一人で目をつむるときのちょっぴり寂しいような一瞬を、あったかいものにしてくれる友だちだった。

なぜそこまで仲良くなれたかということを考えてみると、やはり「ぞうさん」の歌のおかげだろう。この歌の会話のスタイルが、自然に体に染みこんで、私はぞうさんに話しかけていた。「ぞうさん」という詩の言葉は、作者のものであると同時に、私のものでもあったのだと思う。

全詩集でこの詩を見つけて驚いたのは、作者が四十代のときに書いたものだった、ということ。まど・みちおさんの詩は、この「ぞうさん」に限らず、ほんとうに無垢で柔らかな、子どものつぶやきを聞くようだ。言葉が、なんというか赤ちゃんの肌のような状態に保たれている。すごいことだと思う。

無垢な言葉に出会って私たちは、はっとさせられたり、にやっとしたり、うーんとうなったり、ぎくっとしたり。そうしてその後に、言いようのない感銘の波が心に広がってゆく。やさしい言葉に出会った心は、ゆっくりとほどけてゆく。やさしい言葉とは、易しい言葉であり、優しい言葉だ。

私が自覚的に詩人まど・みちおの名前に出会ったのは、かなり後のことである。中学生の国語の教科書の編集に携わるようになり、教材として詩作品をいろいろと探していたときだった。川崎洋さんの『すてきな詩をどうぞ』という本にまど・みちおさんの詩が何編か紹介されていた。

すっかり虜になった私は、まどさんの詩を集め、教材として熱烈推薦したのだった。そのとき、ご一緒していた編集委員のある人が、

「あー、やっぱり好きなんですねえ。きっと、そうだと思ってましたよ」

と、我が意を得たり、という顔をして頷いたのが、印象に残っている。何か私自身の作る短歌と、響きあう部分があるのだろうか。とても嬉しかった。

ところで、『すてきな詩をどうぞ』では、阪田寛夫さんによる評伝小説『まどさん』のなかから、次の一節が紹介されていた。まどさん自身が「ぞうさん」について語った言葉だという。

童謡はどんな受けとり方をされてもいいのだが、その歌がうけとってもらいたがっているようにうけとってほしい。たぶんこういう風にうけとってもらいたがってる、というのはあります。詩人の吉野弘さんの解釈が、それに一番近かった。吉野さんは、「お鼻が長いのね」を、悪口として言ってるように解釈されています。私のはもっと積極的で、ゾウがそれを『わるくち』と受けとるのが当然、という考えです。もし世界にゾウがたったひとりでいて、お前は片輪だと言われたらしょげたでしょう。でも、一番好きなかあさんも長いのよと誇りを持って言えるのは、ゾウがゾウとして生かされていることがすばらしいと思っているから。

子どもには、相手の身体的な特徴を、平気であげつらったりする残忍性が潜んでいる。

心を傷つけるような悪口を、けろりと吐く。無垢であるということは、そんな恐ろしさをも含んでいるのだ。それに対して、「かあさんもながいのよ」と堂々と答えられるゾウの、生きていることに対する誇り……。

単純なように見えるやりとりのなかに、なんて深いものがこもっているのだろう、と思った。単純なままに受けとっていた自分が、ちょっぴり恥ずかしい。「ちょっぴり」というのは、自分を甘やかしてのことではない。単純なままに、すうーっと心に入りこんでゆく、という読まれかたも、一方では許されると思うから。

それに、もしかしたら子どもだった自分の心にも、ゾウに対するそういう残忍性が潜んでいたのかもしれない。だから、悪口が悪口に見えなかったのだろう。青いサングラスをかけると、青い文字が見えなくなるように。


今回全詩集を読んで、あらためて感じたことがある。一つは、さきほども触れた「赤ちゃん肌の言葉」ということである。そしてもう一つは、見たことのないような風景や、聞いたことのないものというのが、いっさい登場しない、ということだった。

それなのに、なんという新鮮さだろう。

  リンゴを ひとつ
  ここに おくと
  リンゴの
  この 大きさは
  この リンゴだけで
  いっぱいだ
  (「リンゴ」より)

  まちかどは まいにちまいばん
  まじめに まちかどっとしている
  (「まちかど」より)

見慣れた言葉も、急に不思議な光を放つ。

  豆に「まめ」という
  ぴったりの名まえを
  だれが つけたのだろう
  (「まめ」より)

  「めだまやき」ということばは いたい
  いたくて こわい
  いきなり この目だまに
  焼きごてを当てつけられるようで…
  (「めだまやき」より)

まるで、生まれて初めてこの世界を見たような、驚きと疑問。そして、計り知れないというよりは得体の知れないほどの想像力。いったいどうやってこの詩人は、目や心の煤はらいをしているのだろうか。その秘密の一端を、ほんの少し覗けたような気がしたのは、第二部の「魚を食べる」を読んだときだった。

【旧版】
まど・みちお 全詩集 / まど みちお
まど・みちお 全詩集
  • 著者:まど みちお
  • 出版社:理論社
  • 装丁:単行本(783ページ)
  • 発売日:1992-10-01
  • ISBN-10:4652042132
  • ISBN-13:978-4652042137

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【この書評が収録されている書籍】
本をよむ日曜日 / 俵 万智
本をよむ日曜日
  • 著者:俵 万智
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(205ページ)
  • 発売日:1995-03-01
  • ISBN-10:4309009719
  • ISBN-13:978-4309009711
内容紹介:
大好きな本だけを選んで、読んだ人が本屋さんへ行きたくなるような書評を書きたい-朝日新聞日曜日の書評欄のほか、古典文学からとっておきのお気に入り本まで、バラエティ豊かに紹介する、俵万智版・読書のススメ。

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まど・みちお全詩集<新訂版> / まど・みちお
まど・みちお全詩集<新訂版>
  • 著者:まど・みちお
  • 出版社:理論社
  • 装丁:単行本(800ページ)
  • 発売日:2001-05-28
  • ISBN-10:4652042310
  • ISBN-13:978-4652042311
内容紹介:
少年詩、童謡、散文詩など、まど・みちおの全詩を収録。国際アンデルセン賞、芸術選奨文部大臣賞、産経児童出版文化賞大賞、路傍の石文学賞特別賞受賞。

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