書評

『報われた血の愛』(Lectorum Pubns)

  • 2021/12/28
Sangre De Amor Correspondido / Puig, Manuel
Sangre De Amor Correspondido
  • 著者:Puig, Manuel
  • 出版社:Lectorum Pubns
  • 装丁:ペーパーバック(208ページ)
  • 発売日:1982-01-01
  • ISBN-10:9788432213991
  • ISBN-13:978-8432213991
これまでの作品でも、インテリを登場させるコルターサルやサバトとは異なり、周縁と大衆にむしろ焦点を合わせてきたマヌエル・プイグだが、新作『報われた血の愛』ではその傾向は一段と強まっている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1983年)。

亡命生活の続くマヌエル・プイグは、最近はニューヨークとリオ・デ・ジャネイロを根拠地にしているが、現在はリオにいるようだ。昨年、バルセロナのセイクス・バラール社から出た、七つ目の長篇『報われた血の愛』は、そのリオ周辺の町と農村を舞台にしている。これまでの作品でも、ブエノスアイレスのインテリを登場させるコルターサルやサバトと異なり、周縁と大衆にむしろ焦点を合わせてきたプイグだが、新作ではその傾向は一段と強まっている。つまり主人公はコブラの出没する農村出身の労働者であり、その他の登場人物もすべて地方の大衆なのだ。

主人公ジョゼマールは貧しい農夫の息子として生れるが、毛色が違うことから父親に憎まれ、叔母の下で成長する。左官の技術を身につけた彼は十六になると我慢できずに実家に戻るのだが、所属した町のサッカー・チームのエース・ストライカーとなり、その美貌もあって、娘たちのアイドルとなる。こうして、帰郷したその日に見初めた少女との愛をはじめとする彼の華やかな女性遍歴が開始される。例によって、しばしば現れる性愛の場面は、卑語・俗語を混じえた直截な表現で描かれている。だが、それを語るのは主人公であり、しかも一人称ではなく三人称を用いているために、声は生(なま)ではなく一種のフィルターがかかっている。つまり今回も、ポルノ小説のパロディーが用いられているのだ。

プイグの小説に登場する人物は、顔を持っていないことが多い。ドノーソの『隣りの庭園』の表紙にも使われている、ルネ・マグリットのあの顔のない男女にどこか似ている。それは多くの場合、登場人物たちの内的独白や会話、雑多な素材のコラージュによって作品が成り立ち、人物や情況を描写する第三者の語り手がいないことと関係している。読者はわずかな情報を手掛りに、想像するより仕方がないのだが、その情報自体が一定していないので、いきおい顔なしのマネキンに様々な仮面や衣裳をつけるか、あるいは顔のないまま受け入れることになる。

ジョゼマールはまさにその顔のない男だ。〈時々自分の顔を忘れてしまう〉と彼は言う。その言葉は、理想からはほど遠い〈問題だらけの〉現在における主人公の存在を象徴している。かつてリオで見た、目映い照明が忘れられず、電気技師にあこがれ、未来を求めて恋人の住む郷里を後にした彼だったが、今ではしがない左官工として、リオまでバスで働きに出かける身でしかない。そこで彼は、自分が顔を持っていた過去を、物語ることによって再現しようとするのである。ここに〈個々の人間の孤独と心理的逃避の必要性〉という、この作品の中心的テーマが現れている。それはプイグと映画の関係を言い表わすものでもある。導入部とエピローグに見られる同じ表現は、現在と過去の間の堂々巡り、逃れえぬ孤独を象徴しているといえるだろう。
Sangre De Amor Correspondido / Puig, Manuel
Sangre De Amor Correspondido
  • 著者:Puig, Manuel
  • 出版社:Lectorum Pubns
  • 装丁:ペーパーバック(208ページ)
  • 発売日:1982-01-01
  • ISBN-10:9788432213991
  • ISBN-13:978-8432213991

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初出メディア

海(終刊)

海(終刊) 1983年4月号

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