『万葉集』15年ぶりの本格的注釈書の刊行
このたび國學院大學創立140周年記念事業として、『万葉集』の注釈である『萬葉集正義』の刊行が始まった。編集は、原案を作成した辰巳正明名誉教授を委員長とする編集委員会によって進められた。
「正義」という命名は、中国古典において伝、箋・注、疏、正義などといった様々な注釈のシステムが存在したことに由来する。日本における注釈もこれらに由来するものが多く、方法論として漢意の排除を唱えた本居宣長の『古事記伝』さえもこのシステムに淵源を持つ。
そのため、本注釈は東アジア文化のなかで誕生する『万葉集』の生成過程を明らかにすることを目的とし、その方法として、江戸期の国学者で漢籍・仏典の用例を注釈の基礎文献とした僧契沖の『万葉代匠記』の注釈態度を尊重する立場をとった。
各歌に詳細な語釈・成立論・内容紹介を付した『万葉集』全注釈の決定版
構成は、訓読本文・現代語訳・校訂本文・注釈・作品の成立・作品の特質・補説からなり、これらにより歌を総合的に理解することに努めた。訓読本文・校訂本文は、『万葉集』全二十巻が揃った最古の写本である西本願寺本(石川武美記念図書館蔵)を底本とし、底本書写時の文字理解を考慮した上で、出来うる限り底本を尊重し校訂した。
漢籍の出典などを重視した比較文学研究
注釈には、漢籍・仏典を多く引用することで、作品の理解の助けとした。ただし、それらは漢字・漢語・仏典語の直接的な出典であるよりも、それらの書物を通して東アジア文化を背景に成立した『万葉集』の理解をさらに推し進めるために示したものである。基本的には『万葉集』成立以前の用例を中心に引用したが、加えて『万葉集』成立以降の漢籍・仏典も用例に含めるのは、同じ東アジア文化という基層文化のなかで生まれた作品の間に見られる発想の共通性を知るためである。
後世のこれらの用例に『万葉集』と似た発想が見えてくるのは、東アジア文化という基層文化のなかで生まれてくるからこそ、発想の共通性が生じるためである。ここには、誤読も含めた東アジアにおける漢字文化の広汎なあり方も見えてくる。
あわせて、作品の成立・特質に民俗学的な観点を加えて歌を解釈したことも同様の理念による。それらを並べ見ることによって、『万葉集』における系統発生と個体発生の問題も透けて見えてくるのである。
本注釈は、『万葉集』を東アジア文学史のなかに位置づける注釈として、世に問うものである。
[書き手]
萬葉集正義編集委員会