書評
『いつも誰かが入れない:「女人禁制」から考える日本の性差別システム』(エトセトラブックス)
「伝統」という言葉で議論を封殺する風潮
先日、「だんじり祭り」で、だんじりが横転した結果、2名の死者と複数のけが人が生じた。SNSを覗(のぞ)くと、あろうことか、リスクはわかっていたはずだとか、自己責任ではないかといった声が目に入る。あまりにグロテスクな意見にたじろいだが、その意見の支えとなっていたのが「伝統」という言葉。長らく続いてきたのだし、同様の事故はこれまでも起きてきたのだからと、起きてしまった事故ではなく、保持されてきた歴史や意義を優先する動きがあった。何なんだこれは、と苛立(いらだ)ちながらも言葉を持てずにいる時に、書店でこの本を手に取った。祭りの伝統を問う本ではないが、根っこの問いが共通していた。女人禁制と聞くと、私たちの多くは、「(伝統だから)仕方ない」「(伝統だから)女性差別ではないかも」と考えがち。しかし、その考えって、理由としてあまりに弱い。差別の温存を、伝統ごときに握らせている。今、「伝統ごとき」という言葉選びに嫌悪感を覚えた人がいたかもしれない。では、伝統の重みとは何か、どこにどのように存在しているのか。何が起きたら、その伝統がようやく度外視されるのだろうか。
2018年、大相撲の土俵上で市長が倒れ、慌てふためく男性たちの間を分け入るように、女性看護師らが土俵上で救命処置をほどこしていると、「女性は土俵から降りてください」とのアナウンスが繰り返された。人が倒れた、助けなければいけない、幸いにも自分にはそのノウハウがある、その場に向かう、処置をほどこし、結果として一命をとりとめた。しかし、降りろ、と連呼された。なぜか。女性だから。女性は上がってはいけないという伝統があるから。
「命の危険」と「伝統」がぶつかった時、伝統なんてどうでもいいと私は考える。日本相撲協会が挙げる土俵の女人禁制の根拠は、「(1)相撲は太古より続く神事が起源(2)大相撲の伝統の遵守(じゅんしゅ)(3)土俵は力士が戦い鍛錬する神聖な場」の三つ。この歴史的な根拠は明確になっていない。いつの間にか「伝統」とされるようになった状態から「神聖さ」が生まれ、そのために「穢(けが)れ」が強調される。
かつて、小泉純一郎首相(当時)が負傷を押して取り組みに臨んで優勝した貴乃花に対し、「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!」と述べたのは今から四半世紀前のこと。怪我(けが)をしながらも優勝、という物語は陳腐で乱暴だが、あれは内閣総理大臣杯を授与した時の発言だった。では、日本で初の女性首相が誕生した現在はどうか。高市早苗首相は、「私は伝統を重んじる。これからも私は相撲の土俵には上がりません」「これは男女平等とかそういう話じゃない。大切に守られてきた日本の伝統の話だ」と述べて、土俵に立つつもりはないと明らかにした。男女平等の話ではない、とはどういうことか。伝統なるものにはそれを無効化する力があるのだろうか。あるのだとしたら、その力の成分を今こそ問うべきではないのか。なぜ、多くの人が伝統を前に黙り込むのか。
本書が考察する主な女人禁制は「土俵」「歌舞伎」「山」「炭鉱」の四つ。女性登山家の先駆者である村井米子は、女性が「楽しみ」として山に入ることへの「風当たり」について記しつつ、「女人禁制の遺風を突き破って」きた経緯を語り残している。男はよし、女はダメ、という概念が通用する限りにおいて、そこでは、男女二元論だけがベースになる。つまり、「女人禁制をやめることは、その価値観を否定し、女人禁制的な価値観が強化してきた社会を変えていくことにもつながるはず」との著者の指摘が鋭い。使い勝手のいい「伝統」という言葉を活用することで、議論を封殺してしまう。封殺するのは、議論に耐えうる論旨を持たないからである。
選択的夫婦別姓や同性婚の議論ではしばしば、「伝統的家族観」なる言葉が登場し、それを理由に導入を食い止めようとする。家族観が伝統的な何かに基づいているとして、それを変えてはいけない理由は何なのか、そもそもその伝統はどうやって生まれたのか、他の選択肢が用意されてはいけないものなのか……こういった議論の広がりを歓迎しない。議論した上で、それでも伝統が勝る理由を主張するわけではなく、伝統で議論の発生を制御するのだ。
このように、伝統は往々にして脆弱(ぜいじゃく)である。この脆弱さを自覚しているからこそ指摘されるのを怖がる。土俵に女性はなぜ上がってはいけないのか。歌舞伎が男性たちの「血」で成立しているのはなぜか。特定の山に女性が入ってはいけないとされてきた理由は何か。私たちの目の前にそびえ立つ「伝統」の大半は張りぼてだ。押せば倒れる、すぐに剥がれる。怖がるものではない。
伝統こそ、問われるのを怖がっている。バレないように、伝統で怖がらせるのである。この脅しは当然、権力の在り処(か)と合致する。本書のサブタイトルにある通り、これは「性差別システム」なのだ。伝統の前で人が傷(いた)む、人が黙らされる。そんなものは直ちに壊されなければならない。
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