前書き

『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)

  • 2021/08/10
他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ / ブレイディ みかこ
他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ
  • 著者:ブレイディ みかこ
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(304ページ)
  • 発売日:2021-06-25
  • ISBN-10:4163913920
  • ISBN-13:978-4163913926
内容紹介:
「意見の異なる相手を理解する知的能力」エンパシーをめぐる思索の旅。“負債道徳”からジェンダーロールまで思い込みを解き放つ!
大ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』から2年――。同書で注目された「エンパシー」という概念を深く掘り下げた新著が『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』。なぜブレイディみかこさんはエンパシーの光と影について書かなければならなかったのか?本書から一部抜粋してお届けします。

はじめに

2019年に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。わたしは自他ともに認める売れない書き手だったが、その本だけは例外的に多くの人々の手に取られることになった。

それだけでも驚くべきことだったが、この本にはさらに驚かされたことがあった。本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ。

それは「エンパシー」という言葉だった。

取材を受けてもラジオやテレビに出ても、いつも聞かれるのはこの言葉についてだった。書評を読んでも、ツイッターのつぶやきを見ても、ほとんどの人が「エンパシー」に言及していた。

これは、著者であるわたしも、おそらく関係者たちも、本ができた時点ではまったく想定していなかった。異様なほどその言葉が強い印象を残していたようなので、むしろ後付けで「本のテーマはエンパシーです」などと言い始めた部分はあるにせよ、書いた時点では、少なくとも著者のわたしはそんなことは考えてもいなかった。

どうして252ページの本の中に4ページしか登場しない言葉がそのような特別なインパクトを持ち得たのかは謎であり、わたしなりに推理したのは、「エンパシー」について書いた本や記事は以前から日本にたくさん入っていたのだが、多くの場合、それが「共感」という日本語に訳されているため、日本の人々はなんとなくもやもやとした違和感をおぼえていたのではないかということだった。

つまり、「共感」ではない他者理解があるよな、ということを前々から感じていた人が多く存在し、それを言い表せるキャッチーな言葉がなかったところに、「エンパシー」というカタカナ語が「誰かの靴を履く」というシンプルきわまりない解説とセットになって書かれていたので、ストンと腑に落ちた人が多かったのではないか。

わたしの推測が正しいにしろ、間違っているにしろ、あの本はそのうち「エンパシー本」とさえ呼ばれるようになった。しかし、それが素朴に「エンパシー万能」「エンパシーがあればすべてうまくいく」という考えに結び付いてしまうのは著者として不本意な気がした。なぜなら、米国や欧州にはエンパシーをめぐる様々な議論があり、それは危険性や毒性を持ち得るものだと主張する論者もいる。すべての物事がそうであるように、エンパシーもまた両義的・多面的なものであって、簡単に語れるものではない。

ならば、そうした議論があることを率直に伝え、もっと深くエンパシーを掘り下げて自分なりに思考した文章を書くことは、たった4ページでその言葉の「さわり」だけを書いてしまった著者がやっておくべき仕事ではないかと感じるようになった。

そうして出来上がったのが本書である。だから、これは『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本とも言える。

また、ある意味では、あの本の著者が「母ちゃん」としてではなく、「わたし」という一人の人間として(ときには一人の女性として)「他者の靴を履くこと」を思索する旅に出た「大人の続編」と言ってもいいかもしれない。

そして、わたしが「わたし」という一人の人間として物事を考え始めると必ずどこからか現れるアナキズムの思想が、いつの間にか当然のようにわたしの隣を歩き始めて、エンパシーとの邂逅を果たした旅の記録とも言える。「わたしがわたし自身を生きる」アナキズムと、「他者の靴を履く」エンパシーが、どう繋がっているのかと不思議に思われるかもしれない。

しかし、この両者がまるで昔からの親友であったかのようにごく自然に出会い、調和して、一つに溶け合う風景を目の前に立ち上げてくれたことは、この旅における最大の収穫だった。

この思考の旅でわたしが得た多くの気づきが、あなたにも何らかの気づきを与えますように。


第1章 外して、広げる


わたしの息子が英国のブライトン&ホーヴ市にある公立中学校に通い始めた頃のことだ。

英国の中学校には「シティズンシップ教育」というカリキュラムがある。息子の学校では「ライフ・スキルズ」という授業の中にそれが組み込まれていて、議会政治についての基本的なことや自由の概念、法の本質、司法制度、市民活動などを学ぶのだが、その科目のテストで、「エンパシーとは何か」という問題が出たという。

息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたらしい。「To put yourself in someone’s shoes(誰かの靴を履いてみること)」は英語の定型表現である。もしかしたら、息子が思いついたわけではなく、先生が授業中にエンパシーという言葉を説明するのにこの表現を使ったのかもしれない。

「エンパシー」という言葉を聞いて、わたしが思い出したのは「シンパシー」だった。正確には、「エンパシーとシンパシーの違い」である。

わたしのように成人してから英国で語学学校に通って英語検定試験を受けた人はよく知っていると思うが、「エンパシーとシンパシーの意味の違い」は授業で必ず教えられることの一つだ。エンパシーとシンパシーは言葉の響き自体が似ているし、英国人でも意味の違いをきちんと説明できる人は少ない(というか、みんな微妙に違うことを言ったりする)。だから、英語検定試験ではいわゆる「ひっかけ問題」の一つとして出題されることがあるのだ。

とはいえ、わたしが語学学校に通ったのはもう二十数年前のことなので、すっかり忘れてしまった二つの言葉の意味の違いをもう一度、英英辞書で確認してみることにした。
 
エンパシー(empathy)
他者の感情や経験などを理解する能力

シンパシー(sympathy)
1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと
2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為
3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解

(『Oxford Learnerʼs Dictionaries』のサイトoxfordlearnersdictionaries.com より)

英文は、日本語に訳したときに文法的な語順が反対になるので、エンパシーの意味の記述を英文で読んだときには、最初に来る言葉は「the ability(能力)」だ。

他方、シンパシーの意味のほうでは「the feeling(感情)」「showing(示すこと)」「the act(行為)」「friendship(友情)」「understanding(理解)」といった名詞が英文の最初に来る。

つまり、エンパシーのほうは能力だから身につけるものであり、シンパシーは感情とか行為とか友情とか理解とか、どちらかといえば人から出て来るもの、または内側から湧いてくるものだということになる。

さらにエンパシーとシンパシーの対象の定義を見ても両者の違いは明らかだ。エンパシーのほうには「他者」にかかる言葉、つまり制限や条件がない。しかし、シンパシーのほうは、かわいそうな人だったり、問題を抱える人だったり、考えや理念に支持や同意できる人とか、同じような意見や関心を持っている人とかいう制約がついている。つまり、シンパシーはかわいそうだと思う相手や共鳴する相手に対する心の動きや理解やそれに基づく行動であり、エンパシーは別にかわいそうだとも思わない相手や必ずしも同じ意見や考えを持っていない相手に対して、その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる知的作業と言える。

息子は学校で、「テロやEU離脱や広がる格差で人々の分断が進んでいるいま、エンパシーがとても大切です。世界に必要なのはエンパシーなのです」と教わったそうだ。
 

と、ここまでは『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本に書いた話である。

この本を出版したとき、意外な反応があったことは前にも書いた。本を読んだ人たちの多くが「エンパシー」という言葉について語り始めたのである。

正直、これには驚いた。英国や米国など、英語が母国語の国では、「エンパシー」はもう何年も前からクローズアップされてきた言葉だし、例えばオバマ前大統領などが好んでこの言葉を使っていたので様々なメディアにばらまかれ、もう「聞き飽きた」という人々もいるほど裾野まで浸透している(だからこそ学校でも教えているわけだし)。

そこで考えたのは、ひょっとして日本では「共感」という言葉は広く流通していても、その元ネタである「エンパシー」という英単語はあまり知られていないのではないかということだ。で、実はここでもたいへん厄介な問題があり、エンパシーは「共感」という日本語に訳されるが、シンパシーも「共感」と訳すことができるのだ。シンパシーのほうには「同情」や「思いやり」、「支持」といった訳語もあり、エンパシーは「感情移入」、「自己移入」と訳されることもある。

いずれにしろ、日本語になると「エンパシー」も「シンパシー」も同じように感情的・情緒的というか、単なる「お気持ち」の問題であるような印象を与えてしまう。つまり、「身につける能力」というより、「内側から湧いてくるもの」のように聞こえるのだ。これだと、エンパシーという言葉の訳は、英英辞書とはずいぶんかけ離れたものになる。特にエンパシーの訳語に「ability(能力)」という言葉がまったく反映されていないのは奇妙だ(と同時に、なぜ日本でそうなっているのかは面白い点でもある)。

正しい言葉の意味を知る上でも、エンパシーについて書かれた本の邦訳を読んで理解する上でも、エンパシーという単語の日本語の定訳をいつまでも「共感」という表現にしておくのは問題なのではないか。近年、日本語のSNSなどで見かける「共感は危険」「共感にはもううんざり」といった論調にしても、エンパシーもシンパシーも「共感」という日本語に訳されている限り、それはいったいどっちのことを言っているのかわからない。


【オンラインイベント情報】2021年8月22日 (日) 20:00 - 21:30 ブレイディみかこ × 鹿島 茂、ブレイディみかこ『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』を読む

書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、第32回のゲストはライター/コラムニストのブレイディみかこさん。メインパーソナリティーは鹿島茂さん。

https://peatix.com/event/2579093/view
他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ / ブレイディ みかこ
他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ
  • 著者:ブレイディ みかこ
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(304ページ)
  • 発売日:2021-06-25
  • ISBN-10:4163913920
  • ISBN-13:978-4163913926
内容紹介:
「意見の異なる相手を理解する知的能力」エンパシーをめぐる思索の旅。“負債道徳”からジェンダーロールまで思い込みを解き放つ!

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
AR事務局の書評/解説/選評
ページトップへ