対談・鼎談

『大菩薩峠』中里介山|鹿島茂+中野翠の読書対談

  • 2017/09/21

時代をつきぬけるカ


鹿島
それから、幕末のいろんな志士がでてくるでしょう。それも面白い。いろんなやつが机竜之助の同時代人だったということがね。

今渋沢栄一のことを調べているんだけど。渋沢栄一は京都に行って、一ッ橋家の家来になる。そこで近藤勇なんかと会ったりする。すると机竜之助と渋沢栄一は同時代人だということになる。

中野 会わせてみれば面白かったのに。

鹿島 それこそ忠作なんてのは渋沢栄一のライバルになってた可能性もある(笑)。

中野 これを書こうという情熱は何なんだろうなと思う。…てんどっかで『里見八犬伝』を意識したようなことを書いてたでしょう「この大菩薩峠と兄弟分に当る里見八犬伝は……」うんぬんって。

鹿島 トルストイの『戦争と平和』とか、ドストエフスキーとかを相当読んでいたらしい。とにかく大長篇を書こうという意欲はあった。

それとは別にこれが時代を突き抜けたというのは、勧善懲悪が全然ないっていうところじゃないかと思う。

中野 ほんとに全然ない。善男善女もあっさり滅んでしまう。介山はこれを二十八歳ぐらいから書いてるのよね。二十八から五十七ぐらいまで、死ぬちょっと前までね。それで構想はそれよりも前にあったとかってどっかに書いてあったでしょう。何年か前だから二十代後半、半ばぐらいからもうこういうのを考えてたのね。

アウトサイダー的ないろんな階層の人がほとんど出てきているところも面白いしね。

鹿島 「間(あい)の山節」か、あれいいね。

中野 うん。

鹿島 「花は散りても春は咲く」か、あすこがいいんだよな。「春は咲く」っていうところがいいね。中野さん、犬好きだっていうからムクが気に入ったんじゃない?

中野 ムクねえ(笑)。あれ、名犬ね。もう立派すぎちゃって、私の実家の犬はバカだから、こんなのいるわけないと思っちゃう。ほんと、下手な男よりよっぼど役に立つ犬。

鹿島 七兵衛もいいね。こういうたくましい老人、頼りがいのある老人、いいよなあ。

中野 泥棒と農夫と両方兼業してるじゃない。で、農夫になり切れない自分を悲しんでて、農夫の平安な心の状態、そこにおさまれない自分を嘆いてるのね。そういうところがなかなかいい。すごいいい人だなあと(笑)。

鹿島 人間は、自分の欠陥で滅びるよりも能力で滅びると言ってる。

七兵衛はひと晩に五十里移動するって書いてある。一里、四キロだとして二百キロだね。これは、すごい(笑)。

移動といえば、『大菩薩』は、大旅行小説で、蝦夷には行かないけれど北は恐山の近くまで行く。

中野 南はといえば、最後は東経一七○度、北緯三○度の無人島、無名島にユートビアを建設するのね。

鹿島 これは最終的に、南洋ユートピアって日本の大東亜共栄圏の思想の中に流れ込んでいく……南洋一郎とかね。

中野 介山は地名にけっこうこだわってて、面白い地名のところをよく使ってる、白骨温泉にしても。大菩薩峠、自分が生まれたところに近いというのもあるけど、やっばり地名の力ってあるじゃない。

鹿島 竜神とか。プルーストの『失われた時を求めて』と同じだ。『失われた時」には、「土地の名」っていう章があるから。

今の東京がほんとにつまらないと思うのは、古い土地の名前をなくしたと同時に地霊がなくなったこと。土地の名ってある意味でものすごく恣意的につけられてる部分と、すごく必然性を持ってる場合があって、それが重なるところで一つのイメージがつくり出されることがあるのだから。

東京で古い地名が残ってるのは、僕はふと気づいたんだけど、坂だけだね。

中野 ああ、なるほどね。

鹿島 六本木とか麻布なんかの近くで、坂の名前だけは妙にドキッとするようなのが残ってる。介山はそういう地名の古いところに文学的なイメージをかき立てられたんじゃないかな。行政がそうした地名を殺したということは、文学的想像力も殺しちゃったんじゃないかと思うね。

中野 しかし「大菩薩峠」ってすごいよね。この名前が呼んでるんだかなんだか知らないけど、事件のポイントになる。連合赤軍事件にしてもオウム真理教にしても。

鹿島 話は変るけど、音無しの構えって、基本的には合理的なんだと思いますね。なぜかというと、これ要するにボクシングのカウンター戦法でしょう。相手が攻めてくるときが一番隙が出るわけです。それで、その一瞬を狙うというのは理論的には合ってる。昔ジョー・メデルというメキシコのボクサーがいて――。

中野 名前だけは聞いています。

鹿島 「ロープ際の魔術師」っていって、関光徳とか、次々にロープ際でやられちゃった。あれが出たときは、まさしく「音無しの構えだ」と思った。

不死鳥のようによみがえるドラマ


中野
本人は大衆小説じゃないというふうに言ってるじゃない。だけど、ほんとに立派な大衆小説だなと思うのね。

鹿島 だれが読んでも、公平に面白いという意味で。それにしても、不死鳥のように蘇えるのはなぜだろう。

中野 やっばり人物造型の独創性みたいなことじゃない? ある何かの典型なんだけど、典型でありながらすごく独創的な両面を持ってるというか、両方がうまく溶け込んだようなキャラクターの小説は生き延びる感じがする。

鹿島 あと、意外と映画的手法が多い。場面転換とか、出てきた人物が誰だってことをなかなか言わなかったりね。その意味で「レ・ミゼラブル」に似ている。ユゴーは映画を先取りした人だから、すごく映画的な手法を取り入れてる。そういうところも介山はけっこう学んでると思う。ユゴーの名前が出てくるから。トロッキーなんて出てきたね、最初ギクッとしたけど(笑)。ラスキンとかね、とんでもないのが出てくるんだよ。

中野 読者をどのへんに想定してるのか全然わかんない。

鹿島 ようするに誰にでも読ませてしまうという迫力がある。小説的な衰弱というものと無縁で、小説というものの前に進ませる力というのがある。一べージ目をあけるともう小説の中にすっぼり入っちゃう。今の小説にはそこの力がないから、これを読んだらすごく新鮮な感じがすると思うな。

中野 小説を前に進めさせる力って何なのかな。やっばり変な人間がいっばい出てくるからかな。

「富士に立つ影」は親子何代かにわたるあれで、時代色もあり、ストーリーがびしっとこう。二つの家の戦いだからあれだったけど、これはもっと混滝とした……。

鹿島 バロックだよ(笑)。

中野 だけど、これは未完とはいいながらどこで終わってもいいようなもんだっていうか、永遠に続くような、まさに書く人が死ぬまで続いちゃうようなもんだなと思うのね。

鹿島 もうエンドレスドラマだね。

(一九九五・一○・一七 山の上ホテルにて)
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ちくま 1995年12月

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