対談・鼎談

『読書人の立場』 (桜楓社)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/11/20
山崎 いま、カゲのある読書について引用なさったんだけど、いい言葉だと思うんですよ。というのは、わたくし自身、読書について二つの原体験があるんです。一つは、小学校時代、教科書の合間に盗み読みをしたこと。もう一つは、貧乏な大学生時代に本屋で立ち読みをしたこと。これはじつによく頭に入ってるんですね。いまだに立って読むと頭によく入るんですよ。

丸谷 ぼくは、兵隊のときに読んだ本。これは心にしみた。

木村 ぼくは、学徒動員のときですね。工場の暇なとき、空襲のないとき、裏の草むらで講談本の厚いのなんかを、あと何ページしかないとかいって読んだもんです。いまは、まだ何ページもあるって……(笑)。

丸谷 一般に読書随筆を読んであんまりおもしろくないのは、本の外側のことは書いてあるけど、中身のことはちっとも書いてないからなんですね。ところがこの本は、本の外側のことも書いてある。けど、中身のことはもっと書いてある。しかも歯に衣着せず書いてある。

『定本柳田国男集』、あの筑摩書房のいわゆる全集でありますが、あの全集を書誌的に見た場合に、間違いのない巻は一冊もありません

これだけでもすごい。そしてこの先は引用するのを悼る(笑)。そのくらいすごい。これはやっぱり中身に関係しているところの読書随筆ですよね。そして、内容にまで立ち入る読書閑談というのは非常に珍しいんで、大抵の読書閑談は、装丁の絵の話とか、初版と再版の帯がどう違うかとか、そういうようなことばかり書くもんでしょう。ところがこの著者は、切手収集家と同じ態度で本を集めるような愚劣さに陥ってはいない、といっては切手収集家に悪いのかしら(笑)。

木村 著者には非常に感受性の豊かな、傷つきやすい神経があって、あいまいなものは許せない。彼のそういった神経を非常によくあらわしているところが「開高健論」の中にもありますね。開高健さんの初対面のところですが、著者が本を読んでいるところへ開高さんがやってきた。

〈だしぬけに、飛び上がるほど甲高い声で、「タニザワさんですか、僕、カイコウです」と、わめいた。この記憶に誤りはない。……「カイコウという者です」という風には彼は言わなかった〉っていうんですね。この違いを、強烈な敏感さで感じとっている。

開高さんの文章について彼が批評の手紙を書いたところ、その手紙が着いた晩に開高さんが彼のところへやって来て、谷沢さんの、

用語と文脈の曖昧・朦朧・意識的と無意識的と両様の胡魔化し・勢い込んだ見当外れ・読みの不足・無意味な同義反覆・滑稽な形式論議・ナンセンスな分類癖等等を、一刻も休みをおかず耳が破れんばかりの大音声で峻酷苛烈に糾弾し続けた

と書いてあるんです。これは多分、谷沢さん自身の態度でもある(笑)。

丸谷 とにかく彼の情熱はすごいよ。一度「波」で対談したことがありましてね、方々のパーティで文士と会うと、「谷沢永一と対談したんだねえ」(笑)。それで、「どういう男?」って聞かれるんだなあ。

山崎 これまた礼儀正しい人なんだなあ。

丸谷 「非常に楽しかったですよ」っていったら、「フーン」って半信半疑なんです。何しろ激烈な論争家としての名声が確立しているから。ただ、いかにも谷沢永一だなあと思ったのは、文庫本についての対談だったんだけど、江戸末期以後の小本から始まって明治以後の文庫本、いろんなのをスーツケースに二つもってきた。大阪から東京へ来るのに、一つもってくるっていうならわかるけど、二つもってくるというこの努力(笑)。

木村 バランスをとったんだ(笑)。

山崎 著者は学生時代から蒐集家だったそうです。六畳一間かなんかに本を置いて、どこにも積むところがなくなって平積みにし始めたんですね。だんだん六畳間いっぱい高まってきて、身長をこえるようになった。そこで彼は地図をかいて、ここを掘ると何が出てくるという(笑)そういう目録をもってたという伝説があるんです。

彼は確かに本の手ざわりまで愛する人ですけれども、しかし絶対に内容なんですよね。ですから、初版本を集めるのも必要だから集めるんで、初版本の復刻が出ると彼はその初版本を売り払って、そのお金でまた別の本を買い始めるんだと聞きました。ですから決して骨董的収集家じゃないんです。

丸谷 それは非常に大事なポイントですね。ぼくの谷沢永一論とまったく一致する。

山崎 それにしても思い出すんですが、例のニューヨーク・タイムズのブックレビューにレポートが出まして、日本の本屋にはグリーティングカードが売ってないっていうんですよ。アメリカの本屋はグリーティングカードで食っているわけで、そのレポーターにいわせると、日本の本屋は本を売って飯が食える。たいへんな国だと書いてる。日本の読書文化の大衆的普及の迫力はアメリカ人をして唖然たらしめるんですね。それはそれで、ちっともケチをつけることはないんだけど、おかげで読書の楽しみからカゲが減りましたね。

やっぱり、親が「文藝春秋なんぞ読むんじゃないッ」て子供を叱りつけて、子供がコソコソと読むようでなきゃ、ほんとの「文藝春秋」のおもしろみはわからないんじゃないかと思うんですけどね。

【この対談・鼎談が収録されている書籍】
鼎談書評  / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:-(326ページ)
  • 発売日:1979-09-00

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ

初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年2月10日

関連記事
ページトップへ