読書日記

北村浩子「新刊めったくたガイド」本の雑誌2017年9月号『もう生まれたくない』長嶋有、『茄子の輝き』滝口悠生、『ゼンマイ』戌井昭人

  • 2018/01/08
土曜の朝、パソコンが「recovery」(と、数行の英語の警告文のようなもの)を表示して消えた。慌てて足を運んだ秋葉原の修理センターで、初期状態に戻すしかない、すべてのデータを「救助」できるか分からないと言われ、暗い目で半分死んだパソコンに64GBのUSBメモリーを差しこみ、データを吸い出しながら長嶋有『もう生まれたくない』(講談社・一五〇〇円)を読んだ。

ある大学の、職員や清掃員や非常勤講師や学生、彼・彼女らの家族やバイト仲間などの日々の断片を「訃報」を散りばめながら連ねた作品だ。人気バンドの元メンバー、官能映画で一世を風靡した女優、悪役を担当することの多かったベテラン声優など、2011年7月から2014年8月までに亡くなった実在の有名人と身近な人の訃報が、登場人物たちの目や耳に届く。現実世界の人間に届いていたのと同じように。

「訃報」が「散りばめられる」という表現はおかしいかもしれないが、訃報によって──死んだという情報によって──わたしたちはその人を、普段思い出さないということも含めて思い出し、友人との話題にし、消費し、ときに生きていた頃よりその人に親しみを覚えたりする。日常をざわめかせる、訃報はきっかけだ。ある人物は、愛用のマックブックが壊れた日にスティーブ・ジョブズの訃報を聞く。物語用に作られた偶然だとは感じず、そういうことってあるよな、と思う。それぞれの思い出し方(思い出され方)のバリエーションの豊富さにちょっと笑ってしまったりもする。

もちろん、登場人物のひとりが言うように〈それがなにをした誰の名前であれ、訃報を聞くことは寂しい〉。しかし、訃報は前述したように情報で、きっかけで、「死」そのものとは思えない。じゃあ、「死そのもの」とはなんだろう? この作品で長嶋有は、そんな難しいことをカジュアルかつ真摯に提示してみせる。長嶋有にしかできないやり方と案配で。

「なんでもない人生のかけがえなさを描く感動作」と『もう生まれたくない』の帯にあり、滝口悠生『茄子の輝き』(新潮社・一六〇〇円)の帯には「かけがえのない時間をめぐる連作短編集」とある。人生も時間もかけがえのない、取り替えのきかないものだと誰もが知っている。だけど、唯一の、確かなもの、ではないのではないか。『茄子の輝き』を読んでそう思わずにはいられなかった。

2016年11月下旬。語り手の市瀬はその時点から、いくつかの過去をピンポイントで思い出している。震災の年の春、当時勤めていたちいさな会社「カルタ企画」でお茶汲み当番のローテーションを同僚と考えたときのこと、それから数ヶ月後の、会社が倒産する直前のこと、結婚した約10年前、新婚旅行で島根へ行ったときのこと。

8年前(つまり2008年)に離婚し、その年に「カルタ企画」に入社した市瀬は、翌年入ってきた3歳下の千絵ちゃんを好ましく思い、彼女と出会った日から日記をつけ始める。畢竟、日記からよみがえってくる思い出は千絵ちゃんの出番が多く、かつ濃い。たった1回だけの、2人で飲んだときの会話や、退職後、彼氏の故郷の島根で暮らす千絵ちゃんから電話がかかってきたときの話の内容など、ひとつひとつがたいそう鮮やかだ。一方で彼は、元妻の伊知子のこともしょっちゅう思い出している。その元手となっているのは、アパートの押し入れの上下段いっぱいにしまわれているアルバムだ。よすがとも言える何百枚もの写真に、市瀬は、他人が見たら〈うわ何これ気持ち悪い〉と言いそうな、ある加工を施している。

〈思い出せば思い出すほど、その思い出し方が自分のなかに揺るぎなくなっていき、今ではその揺るぎなさをたしかめるように思い出そうとしているような気さえする〉と市瀬は言う。「思い出す」のは彼にとって「ふと」することではなく、もはややめることのできないルーティンな行為になって(しまって)いる。〈私はこうしてずっと、いなくなった人を待っている〉のだ。しかしそんな市瀬に、ちいさな予兆とともに変化が訪れる。彼がある女性と写真におさまるラストがとても好きだ。

戌井昭人『ゼンマイ』(集英社・一三〇〇円)は、トラックで財を成した70代後半の竹柴保が、50年前の短い恋の思い出を語るところから幕を開ける。お相手は、日本へ巡業に来ていた魔術団の一員、ベルベル人の妖艶なハファ。「体が小さくなる芸」を披露していた彼女との毎晩の「行為」の詳細、言葉は全く分からないのに気持ちが通じ合っていた奇跡を、売れない中年ライター細谷進に保は生き生きと語る。ハファが最後に目撃されたのは、彼女の故郷モロッコの街タンジェ。雑貨店で店番をしていたという頼りない情報を頼りに、保と進はハファ探しの旅に出かける。彼女が日本を去る前に保に贈った、ゼンマイが付いた硬い木の小箱をお守りのように携えて。

ここから珍道中が繰り広げられるのかと思いきや、竹柴は現地の食べ物が合わなかったり、疲れを訴えたりしてほとんど具体的な行動ができず、進は異国の空気に惑わされながら一人でハファを探す羽目になる。物語の前半で披露される、若き日の竹柴の海千山千のエピソードのスピード感と波乱万丈感とは対照的な旅模様に漂う、もの悲しさととほほなおかしみ。果たして2人はハファを見つけることができるのか──。

ラストに用意されている哀愁の不意打ちに、こんな恋物語だったとは、と涙がにじんだ。時計とかオルゴールとか、何かの機能が付いているのではない「ただのゼンマイ」を巻き続けてきた男の人生と一瞬交錯した女の人生。ラスト近く、竹柴がおんぼろトラックをかっ飛ばすところが超かっこいいです。
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本の雑誌 2017年8月8日

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