作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】結城昌治『夜か終る時』『幻の殺意』『暗い落日』『あるフィルムの背景』

  • 2018/05/12
一九二七年、東京都生まれ。東京地方検察庁に事務員として勤務ののち、一九五九年、短篇「寒中水泳」で、第一回「EQMM」短篇コンテストに入選、同年処女長篇『ひげのある男たち』を発表、作家活動に入る。

囗ス・マクドナルドの系譜に連なる長篇私立探偵小説『暗い落日』にはじまる私立探偵・真木を主人公とした長篇三部作は、国産ハードボイルドの嚆矢とされている。

俳句にも造詣が深く、句作で培った感覚が、日本推理小説界でも屈指のスタイリストとなり得た理由のひとつでもあっただろう。

一九九六年、没。

結城昌治の特質を挙げるときに、まず指を屈するべきは、その文体のすばらしさだろう。ユーモアものにおける、上質の落語を思わせる軽妙さにも舌を巻くが、シリアスな作品における清冽な文体――硬質で無駄がなく、静謐でありながら切実なエモーションをたたえた――は、もうそれだけでハードボイルドでありノワールだ、と断じたくなる。

まだ日本ミステリの大多数が戦前ゆずりの浪漫的な探偵小説であった時代に、海外ミステリ的な洒脱さを自己のものとして駆使したユーモア・ミステリでデビューした結城昌治が、ダークでシリアスな犯罪小説の分野へ転身した時期の傑作が、今や国産スパイ小説の古典とされる『ゴメスの名はゴメス』だった。予備知識なしに読むと、「スパイ小説」とは思えない幕開きである。一人称「わたし」で語る主人公が、ヴェトナムで失踪した友人の行方を追ううちに謎めいた陰謀戦に巻き込まれるという物語なのだが、「スパイ小説」というよくも悪くも「大柄な」作品ではない。むしろ、巨大なシステムに圧殺される人間たちの悲劇を描いた作品と見るべきだろう。その補助線にスパイ戦が援用されているだけのことで。こうした態度は日本推理作家協会賞を受賞した悪徳警官もの『夜が終る時』においても踏襲されている。前半が三人称、後半が一人称で語られる本作は、組織のなかで存在を失いかけた男の悲劇を繊細に描き、復興を遂げた昭和三〇年代日本社会における孤独な人間の心象と、それに破滅させられてゆく「現代人」の闇を展開させてみせる。

そうした問題意識が私立探偵小説という形式と幸福な結婚を果たしたことで生み出された傑作群が、いわゆる私立探偵・真木の三部作『暗い落日』『公園には誰もいない』『炎の終り』と、単発の長篇『幻の殺意』だろう。

真木三部作は、国産正統私立探偵小説の嚆矢としてあまりにも有名な作品で、そもそもはロス・マクドナルドの『ウィチャリー家の女』への返答として書かれたという。たしかに、この三作において精密に描かれる犯罪悲劇とその原因となる家族の問題という主題は、ロスーマクドナルドの中期三部作と重なり合う。しかし、大きく異なっているのは、真木三部作が、ロス・マクドナルドのアーチャーものよりも、ずっとエモーショナルである点だ。とりわけ、悲劇に向けられる真木の怒り――それはきわめて抑制された筆致で多くは心象風景として描かれるのだが――は、つねに作品の底に暗く激しい底流のようにして流れている。正義などどこにもなく、若い者が無惨に命を失い、戦争の傷跡は未だ癒えない。昭和三〇年代においてすでに、犯罪に切り取られた社会の断層を見つめる真木は、現代的な孤独と絶望の萌芽を見出していたのだ。

真木三部作の開始にわずかに先だって発表された『幻の殺意』になると、その絶望はより深い。主人公はただの会社員だ。妻と息子と暮らしている。それが過去の秘密によって瓦解してゆくさまを、主人公の一人称で描いたのがこの作品である。この作品の絶望の深さ、孤独の切実さ、圧倒的不安感は類を見ない。たしかに物語自体はありふれているかもしれない。だが抑制の利いた巧みな文体と、その抑制の隙を破って時折噴出する主人公の悲鴫のような絶望はあまりにも強烈だ。運命的な巨大な流れのなかで、ただうめくしかない非力さ。周囲に人間は掃いて捨てるほどいるのに、押し寄せてくるよるべのなさ。最終ページ最終行で発せられる主人公の声なき絶叫には、慄然とせざるを得ない。ここには、私立探偵のような「観察者」が回避することのできる、底なしの絶望がある。

結城昌治のシリアスなミステリには、権威に対する疑義がつねに投げかけられている。それは社会的弱者に対する共感の視線に他ならない(B級戦犯の悲劇を描く『軍旗はためく下に』や、戦争の影のなかで生きる人々を描く名作『終着駅』といった作品があることを想起すべし)。だがいたずらに社会正義を叫ぶわけでもなく、静かに彼らの悲劇を描き出してゆく、「あるフィルムの背景」「惨事」あたりの短篇を読むと、運命的なものに狂わされた人間たちの絶望が生み出した切実な狂気が、冷徹なまでに巧みに切り取られている。

結城昌治の作品は、いまから四〇年近く以前に書かれたものであるのに、現代ノワールといってもいいダークさを含んでいる。それはおそらく、すでに結城昌治の視線が、当時ほぼ完成していた現代市民社会システムにおける個人の無力感、孤独感、危うさを透視していたせいではなかったか。たしかにその作品の多くは「戦後」という時代層を引きずってはいるけれど、最終的に摘出される絶望や孤独は、現在のそれとまったく同質なものだ。現代社会における魂の悲劇を、この上なく上質な散文で綴った『幻の殺意』をはじめとする結城昌治作品は、最上級のノワールとして、現在も読まれ得る作品だと断言できる。

【必読】『夜が終る時』(双葉文庫 改訂新版・筑摩書房)、『幻の殺意』(角川文庫)、『暗い落日』(角川文庫 改訂新版・中公文庫)、『あるフィルムの背景』(角川文庫 改訂新版・筑摩書房)
夜の終る時/熱い死角 / 結城 昌治
夜の終る時/熱い死角
  • 著者:結城 昌治
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(413ページ)
  • 発売日:2018-04-10
  • ISBN:448043514X
内容紹介:
組織の歪みと現場の刑事の葛藤を乾いた筆致でリアルに描き、推理作家協会賞を受賞した警察小説の記念碑的長編『夜の終る時』に傑作短篇4作を増補。

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幻の殺意 / 結城 昌治
幻の殺意
  • 著者:結城 昌治
  • 出版社:KADOKAWA
  • 装丁:文庫(256ページ)
  • 発売日:1971-03-01
  • ISBN:4041267048

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暗い落日 / 結城 昌治
暗い落日
  • 著者:結城 昌治
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(297ページ)
  • 発売日:2008-03-23
  • ISBN:4122050065

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あるフィルムの背景: ミステリ短篇傑作選 / 結城 昌治
あるフィルムの背景: ミステリ短篇傑作選
  • 著者:結城 昌治
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(402ページ)
  • 発売日:2017-11-09
  • ISBN:4480434763
内容紹介:
市井の人々が起こした歪んだ事件、予想だにしない結末の連続はあなたを奈落に突き落とす。昭和の名手による傑作ミステリを集めたオリジナル短編集。

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初出メディア

ユリイカ

ユリイカ 2000年12月

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