作家論/作家紹介

【ノワール作家ガイド】ジェイムズ・エルロイ『ビッグ・ノーウェア』(文藝春秋)、『LAコンフィデンシャル』(同左)、『ホワイト・ジャズ』(同左)ほか

  • 2021/10/21

ジェイムズ・エルロイ

一九四八年、ロサンジェルス生まれ。一〇歳のときに、何者かに母親を殺害される。少年時代から二〇代にかけて、窃盗、不法侵入などを繰り返し、酒や薬物に溺れ、浮浪者同然の生活を送る。更生しはじめてからは職を転々としつつ、作家を目指す。
処女長篇は私立探偵小説『レクイエム』。好評を得たエルロイは、やがてLAの刑事ホプキンズを主人公とする『血まみれの月』にはじまる三部作を上梓、四〇年代のLAを舞台とした長篇『ブラック・ダリア』で声価を高める。この作品にはじまる<暗黒のLA四部作>は現代暗黒小説界の金字塔とされる。
現在は、新たなシリーズ、<アンダーワールドUSA三部作>によって、アメリカ現代史のノワール的語り直しを試みている。

ジェイムズ・エルロイについて語られるときに必ず持ち出されるのが、「情念」とか「妄執」といった単語だ。むろん、これはエルロイ作品を満たしている暗く暴力的な空気の源泉であるし、また破滅的な登場人物たちを動かすモチヴェーションでもある。この独特の熱病じみたヴァイブは、処女作『レクイエム』から最新長篇『アメリカン・タブロイド』までの全作で脈打っている。この「情念/妄執」はいったい何なのか。これこそがエルロイの核心なのだ。この異様な「情念」こそが。

エルロイがアメリカのノワール/ハードボイルドを乱読し、フィルム・ノワールや犯罪実話雑誌やハリウッドのスキャンダル雑誌に狂っていたことはよく知られている。その内的世界は「犯罪を語るテキスト」によって形成されていると言ってもいいだろう。

こうした「犯罪」への嗜好は、実母がレイプともとれる行きずりの性交のあとで殺害された直後から、少年エルロイを捉えはじめたらしい。自伝によればこの「犯罪」への嗜好は、倒錯した「セックス」の妄想とセットになっていたらしいが、これがいずれも、母親の死と折り合いをつけようとする心理的な作用であったろうことは容易に推測できる。

少年エルロイの妄想は、四七年に起きた未解決猟奇殺人事件「ブラック・ダリア事件」に魅きつけられた。凄惨な拷問の末に殺害された被害者を、ヒーローとなった自分が救い出す、という妄想。性と惨殺のモチーフに満たされた妄想がエルロイを捉えていた。そんななかで耽溺したのが、一流作家からチープなパルプ作家に至る無数のハードボイルド・ミステリだった。生活費に困り、薬物中毒に侵され、住む家もないような男が、図書館に通いつづけて乱読していたのだ。

そんなエルロイの処女長篇『レクイエム』は、少年時代に読んだ犯罪実話集『The Badge』に載っていた「クラブ・メッカ焼き討ち事件」――ナイトクラブが火炎瓶で急襲され、多数の死者が出た――を後景に置き、この事件の「隠された真実」を探る、という物語だ。つづく『秘密捜査』は、母の殺害をモデルにしたミステリ。いずれにおいても、主人公は、「探偵」や「刑事」といった職業上の義務が要請する以上の熱意をもって「真実」を追う。エルロイ印の「情念/妄執」を抱えて。

鍵は、殺しの背後に拡がる「隠された真実/物語」だ。ホプキンズ三部作では純粋な虚構を展開させたものの、やがて自身の少年時代の妄執たる事件の「隠された真実」を描いてみせた『ブラック・ダリア』を書く。「隠された真実」という構造は、『ビッグ・ノーウェア』以降の<四部作>各作品でさらに追究され、錯綜する「隠された物語」は肥大化し、ついには『ビッグ~』から『ホワイト・ジャズ』への三作の裏側で一貫して進行する、途方もなく巨大な陰謀にまで増殖する。

「隠された真実」への異様なまでの執着――これこそがエルロイ自身の「妄執」なのだ。エルロイは、ダシール・ハメットとロス・マクドナルドを「わが師」と呼び、ロス・マクドナルド作品独特の「layer of intrigue」の構造に魅かれると、あるインタヴューで語っている。layer of intrigue――はかりごとでできた皮膜。事象の皮膜の一層下に潜む陰謀のタペストリー。マクドナルドの探偵アーチャーが名家の「隠された真実」を暴いたように、エルロイは「母の殺害」の背後にある「隠された真実」を見出したかったのではないか。その理不尽さを回収する、不可視の「陰謀の物語」を求めたのではなかったか。

そういう意味で、『秘密捜査』はエルロイの妄想の産物だ。『レクイエム』も『ブラック・ダリア』もそうだ。「隠された真実」が存在するはずだと妄執に駆られる人物たちも、みなエルロイの「妄執」を共有しているのだ。

現在進行中の<アンダーワールドUSA三部作>は、アメリカ史の政治的な事件をちりばめながら、それらを地下茎のようにつなぐ「はかりごとの皮膜」を描き、歴史を語り直そうという試みだ。

『アメリカン・タブロイド』を見るかぎり、物語はもはや「陰謀史観」の域に達している。おそろしく緻密な電波文書と言ってもいい。アメリカ史の裏面に、ノワール的な「隠された物語」を妄想する――エルロイの妄想は際限なく増殖しつつある。

エルロイは世界の皮膜を暴きたがっている。その背後に「隠された真実/物語」があるという妄執に駆られている。妄想の核となるその内的世界は、五〇年代ノワールの小道具と歪みと登場人物たちで形成されたものだ。

エルロイは古典ノワールの嫡子なのだ。エルロイにはノワールしか書けない。ノワールの文法しか持たぬ、果てしない妄想力を持つ男。そんな作家以外に、ノワールの可能性を飛躍的に拡大できる者がいるだろうか?

【必読】『ビッグ・ノーウェア』(文春文庫)、『LAコンフィデンシャル』(同左)、『ホワイト・ジャズ』(同左)、『アメリカン・タブロイド』(文藝春秋)、『わが毋なる暗黒』(同左)

ビッグ・ノーウェア 上 / ジェイムズ エルロイ
ビッグ・ノーウェア 上
  • 著者:ジェイムズ エルロイ
  • 翻訳:二宮 磬
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(387ページ)
  • 発売日:1998-11-10
  • ISBN-10:416721850X
  • ISBN-13:978-4167218508
内容紹介:
赤狩りの不安が覆うLAを徘徊する殺人鬼。それぞれの妄執をその捜査に賭ける男たちは、錯綜した迷宮の果てに暗澹たる真実を見る

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LAコンフィデンシャル 上 / ジェイムズ エルロイ
LAコンフィデンシャル 上
  • 著者:ジェイムズ エルロイ
  • 翻訳:小林 宏明
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(410ページ)
  • 発売日:1997-11-07
  • ISBN-10:4167527391
  • ISBN-13:978-4167527396
内容紹介:
暴力、猟奇殺人、密告……悪と腐敗に充ちた50年代のロサンジェルス。このクレイジーな街を、悪徳渦巻く市警の三人の警官にふりかかった三つの大事件を通して描く〈暗黒のLA〉その三。

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新装版 ホワイト・ジャズ / ジェイムズ エルロイ
新装版 ホワイト・ジャズ
  • 著者:ジェイムズ エルロイ
  • 翻訳:佐々田 雅子
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(679ページ)
  • 発売日:2014-06-10
  • ISBN-10:4167901323
  • ISBN-13:978-4167901325
内容紹介:
痙攣し疾走し脈打つ文体が警察内部の壮絶きわまる暗闘を描き出す。ゼロ年代日本のクリエイターに巨大な影響を与えた究極の暗黒小説。

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アメリカン・タブロイド 上 / ジェイムズ エルロイ
アメリカン・タブロイド 上
  • 著者:ジェイムズ エルロイ
  • 翻訳:田村 義進
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(457ページ)
  • 発売日:2001-10-10
  • ISBN-10:416752788X
  • ISBN-13:978-4167527884
内容紹介:
アメリカ史上最大の殺し——ケネディ暗殺。政治と犯罪の皮膜に蠢く悪党どもの栄光と破滅。暗黒小説の巨匠の新たなる三部作、開幕

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わが母なる暗黒 / ジェイムズ・エルロイ
わが母なる暗黒
  • 著者:ジェイムズ・エルロイ
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(640ページ)
  • 発売日:2004-01-10
  • ISBN-10:4167651378
  • ISBN-13:978-4167651374

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