作家論/作家紹介

『不夜城』(角川文庫)、『鎮魂歌』(同左)、『M』(文藝春秋)、『雪月夜』(双葉社)ほか

  • 2020/07/14

馳星周

一九六五年、北海道生まれ。出版社勤務ののち、坂東齢人名義で書評家として活動、一九九六年の長篇『不夜城』で作家デビュー。同書は発表と同時に高い評価をうけ、吉川英治文学新人賞を受賞する。つづく『鎮魂歌』で日本推理作家協会賞、『漂流街』で大藪春彦賞を受賞するなど、いまもっとも注目されるミステリ作家であり、また国産現代ノワールのほぼ唯一の作家といえるだろう(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2000年)。

一九九〇年代末のわが国での「ノワール」隆盛の気運は、『不夜城』による馳星周のデビューに象徴され、馳星周の作家活動それ自体によって要約できると言っていいだろう。そもそも日本で唯一、現代ノワールを自覚的に書いている作家が、馳星周であるからだ。

この作品を生んだのは、馳星周が抱いていた「ハードボイルド」に対する違和感だった。書評家時代の馳星周は、いわゆる「正統的なハードボイルド」――私立探偵が「観察者」という安全圏に身をおき、抽象的な「正義」の旗印のもとに犯罪者を断罪する物語――に切実さを感じられなくなった、と書いている。むしろ、登場人物が苛酷でシニカルな運命のなかでもがき苦しむ物語を評価したいと。

そうした意識のもとに生まれた『不夜城』は、まず表面的にはアンドリュー・ヴァクスの影響が見られる作品である。一人称「おれ」、現代都市の下腹を舞台としていること、さらには短い断章を積み重ねてゆく構成。だが大きくちがうのが、ヴァクスのバーク・シリーズが、汚濁とリアリズムを身にまといながらも、なお「正義の担い手」であり「ヒロイズム」を匂わせるのに対し、『不夜城』の主人公・劉健一は、正義に代表される「絶対的な倫理」を何ひとつ持っていない点だ。

強大な「掟」に対する恐怖、ファム・ファタルに対する異様な執着、切り捨てた友への罪悪感とその結果への恐怖――究極的には自らの死と破滅への恐怖。主人公の行動原理はそれだけだ。きわめて原初的な衝動だけが劉健一を支配し、動かす。この男が恐怖に駆られて暴走するさまを描いているのが『不夜城』だ。この作品を、「新宿を描いた風俗小説」と捉えたり、ましてや「香港ノワール映画」のような「無国籍アクション」と捉えるのも、馳星周の本質を見誤ることになる。

短篇集『M』をみてみよう。この作品は合法非合法にかかわらず、性風俗を補助線にして、破滅してゆくひとびとを描いた連作短篇集だが、「苛烈な暴力アクション」的な味わいを期待すると、いささか当惑をおぼえるような作品ばかりが収められている。さしたる暴力は振るわれないし、主人公は平凡な市民ばかりで、ほとんど人が死なない。筆は主人公の内面の描写に割かれている。それでも、たとえば『漂流街』と比べれば、より鮮明に馳星周独特の主題が顕れていると言える。

それは「恐怖」だ。『M』で繰り返し語られているのは、まっとうに世間の規範に則って生きてきたはずの人間が、性衝動に象徴される制御不可能な内部のうねりに支配され、徐々に「世間の倫理」から外れていってしまうさま、そしてそうした自分自身に向けられる主人公たちの恐怖である。『不夜城』もそうなのだ。主人公・劉健一が混血であることを、エキゾティズム醸成の装置であるとか、あるいは「ヒーロー」を汚れた世界から切り離す装置として捉えるべきではない。この属性が浮き彫りにするのは、劉健一のよるべのなさなのだ。歌舞伎町の中国系裏社会という特殊な世界でしか生きられない孤独な男が、そこから排除され得る状況に陥ったときに感じる途方もない「恐怖」と、それに基づくデスペレートな暴走――それが『不夜城』の本質なのだ。馳星周が以降の作品でも一貫して執拗に描こうとしているのは、現代における「恐怖」にほかならない。

ここで、馳星周が最大の讃辞を捧げるノワール作家、ジェイムズ・エルロイを想起すべきだろう。エルロイ作品において、登場人物たちには「恐怖」が組み込まれており、彼らはそれに駆られて狂奔することになるが、エルロイ作品において、恐怖に駆動された暴走は、彼らの職務である治安維持活動に結果的に重なり合う(あくまで「結果的」であることに注意。正義は意図されているのではなく、あくまで衝動の方向が、秩序維持という結果を生んでいるだけだ)。その点で、馳作品とエルロイ作品は大きく趣を変える。

馳作品の人物たちが最終的にたどりつくのは「無」でしかない。「恐怖」は解消されない。何物も生み出さない。絶望の度合いはより深いと言えるだろう。つまり馳作品の人物たちには、信じるものが何もないのだ。

現状での最高傑作であろう『鎮魂歌』と『雪月夜』を見ればいい。前者では、信じられるものを失った男たちが、自分が生きられる唯一の世界でもがくさまが苛烈きわまる筆致で描かれている。後者では、どこにも帰属する場所のない男が、恐怖に操られるまま狂奔し、一切を否定する呪詛に行き着く血の凍るような物語が展開されている。

二〇世紀末の日本のひとつの様相として、共同体の際限のない解体を挙げることができるだろう。その結果として顕れた、広く共有された価値観の解体。宗教に基づく倫理のほとんど存在しない日本において、それは倫理それ自体の崩壊と限りなく等価だ。

馳星周は、そうしたわれらの恐怖を描く最良の形式としてノワールを選択した。こうして、わが国ではじめて自覚的に書かれたノワールが生まれ、広範な支持を集めた事実は、現在の日本がノワールと感応する何かを抱えていることを意味しているのではないか。

【必読】『不夜城』(角川文庫)、『鎮魂歌』(同左)、『M』(文藝春秋)、『雪月夜』(双葉社)
不夜城  / 馳 星周
不夜城
  • 著者:馳 星周
  • 出版社:角川書店
  • 装丁:文庫(533ページ)
  • 発売日:1998-04-01
  • ISBN-10:4043442017
  • ISBN-13:978-4043442010

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鎮魂歌―不夜城〈2〉 / 馳 星周
鎮魂歌―不夜城〈2〉
  • 著者:馳 星周
  • 出版社:角川書店
  • 装丁:文庫(600ページ)
  • 発売日:2000-10-24
  • ISBN-10:4043442025
  • ISBN-13:978-4043442027
内容紹介:
新宿の街を震撼させたチャイナマフィア同士の抗争から2年、北京の大物が狙撃され、再び新宿中国系裏社会は不穏な空気に包まれた! 『不夜城』の2年後を描いた、傑作ロマン・ノワール!

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M / 馳 星周
M
  • 著者:馳 星周
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(333ページ)
  • 発売日:2002-12-06
  • ISBN-10:416766402X
  • ISBN-13:978-4167664022
内容紹介:
些細なきっかけで異常な性の世界にはまってしまった者たち。その苦悩と快楽、そして絶望を残酷なまでに描いた異色作品を4編収録

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雪月夜 / 馳 星周
雪月夜
  • 著者:馳 星周
  • 出版社:双葉社
  • 装丁:文庫(571ページ)
  • ISBN-10:4575508799
  • ISBN-13:978-4575508796
内容紹介:
裕司と幸司、幸司と裕司。裕司は幸司を殴る。幸司は裕司に嘘をつく。二十年、そうやってきた。うんざりだった。ふたりを繋ぐ鎖を断ち切りたかった-断ち切った。そう思っていた。間違いだった。裕司はおれに取り憑いた悪霊だ。おれが死ぬまで消えることはない。戦慄の長編暗黒小説。

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