作家論/作家紹介

『死の記憶』(文藝春秋)、『夏草の記憶』(同左)、『緋色の記憶』(同左)、『夜の記憶』(同左)ほか

  • 2020/08/22

トマス・H・クック

一九四七年、アラバマ州生まれ。大学の英語・歴史の講師などを経て、一九八〇年、長篇『鹿の死んだ夜』で作家デビューを果たす。純文学的色彩のつよい作品を発表したのち、フランク・クレモンズという刑事を主人公としたミステリ『だれも知らない女』を上梓、注目を集めはじめる。やがて「記憶」をモチーフとする犯罪小説をつぎつぎに発表、『緋色の記憶』でアメリカ探偵作家クラブ最優秀長篇賞を受賞した。
犯罪ノンフィクションも二作品を刊行しており、いずれも高い評価を受けている。

近年のトマス・H・クックの作品は、日本では便宜的に「記憶シリーズ」と呼ばれているように、主人公の記憶のなかにある凄惨な犯罪を、その発生から長い年月が経ったのちにていねいに回想しつつ、その真相を暴くという形式に統一されている。こうした作風は、長篇『闇をつかむ男』で兆しを見せ、『死の記憶』『夏草の記憶』『緋色の記憶』の三部作(これらは形式、設定などに共通性があるのでこう呼んで差し支えない)を経、『夜の記憶』『Places in the Dark』へとひき継がれている。これらは、いわゆるノワール的な体裁をとってはいないものの、もっともハードコアなノワール小説群だと言っていい。

「記憶」ものに至るまで、クックは多くのミステリを書いているが、第一作『鹿の死んだ夜』以来、クックが執拗に追究しているのは、たったひとつの主題なのである――殺人/暴虐に至る人間の内的なダイナミズムを探るという。クックの作品歴は、これにいかに迫ってゆくか、という試行錯誤であるとも言える。

クックの初期作品の中核をなすのが、クレモンズ三部作である。主人公の一視点で進行する私立探偵小説の形式をとった作品だが、第一作、第二作の邦題――『だれも知らない女』『過去を失くした女』――が巧みに要約しているように、この三部作においてクレモンズ/クックの興味の中心は、ある犯罪(の被害者)のなかに、不可解な欠落として発見される、理解の及ばない空白、底知れぬ闇の探求にある。そうした「欠落」の補綴を軸に、なぜひとは犯罪をなすのかという問題が語られるのだ。事件を調査する第三者の視点から。

だが、いかに誠実な作品であっても、この三部作の印象は、いかにも重かった。それは主題の重さということ以上に、「欠落」を少しずつ埋めながら被害者の生前の姿を再構築してゆくクックの手つきがあまりに精密で、物語に、どこか隔靴掻痒の感があったのだ。これは手法上の限界だった。それをのちに打開したのが、「記憶」ものの手法だった。

クックは、最後のクレモンズもの『夜 訪ねてきた女』のあと、二冊の犯罪ノンフィクションを発表している。シリアル・キラー、ジェフリー・ダーマーの父のゴーストライターとして手記『息子ジェフリー・ダーマーとの日々』を書いたのもクックであるらしい(謝辞にクックの名前があり、語り口も「記憶三部作」に近い)。いずれも残虐な犯罪を扱っているのだが、これらは、「暴虐に至る人間の内部のダイナミズム」を探ろうとするフィールドワークの試みであるように思われる。

ノンフィクションを発表して以降、クックの作風は「記憶」をモチーフとしたものに転換した。『闇をつかむ男』は習作としても、『死の記憶』以降、物語の進行は以前に比べてずっとなめらかになり、主題はあざやかに提示され、サスペンスも不安感も悲劇性も、ずっとエモーショナルに描き出されている。クレモンズ三部作の隔靴掻痒感は皆無だ。これら「記憶」ものにおいてもっとも重要なのは、記憶というモチーフ以上に、物語が残虐な犯罪の当事者によって語られている点である。それが物語に強烈な力を与えている。

これらの「記憶」ものの物語自体は、ほとんど犯罪実話と変わらない。ある犯罪に至る過程を、細かなディテールとともに追ってゆくだけだ。だが、これらを単なるヴァーチャルな犯罪実話以上のものにしているのが、語りの装置としての「記憶/回想」の要素であり、これゆえに、「記憶」ものは切実なエモーションを湛える作品になったのである。

おそらくクックは、ノンフィクション執筆の過程で、一次資料に接し、関係者へのインタヴューを行ない、「生」のことばや感情に晒されたはずだ。凄惨なできごとを「回想」するひとびとのことばを精読もしたことだろう。それらには、クレモンズのような第三者には決してもち得ない力があったはずだ。

その経験が「記憶」ものとなって結実した。犯罪悲劇を当事者が回想するという手法の発見に。回想という語りの構造は淡々とした事実関係の描写にも暗い影を落とし、当事者の抱える痛みは、その語りに絶望の色を与える。

舞台はいずれも鳥瞰可能な小さな町だ。その人間関係や社会状況がていねいに描かれ、徐々に原因となる小事件が起こりはじめ、やがてある人間のなかの残虐性を発火せしめるプロセスが丹念に追跡されてゆく。この町はすべてのコミュニティの隠喩として機能する。犯罪に至る論理はありふれた、しかし激烈な感情だ。われわれは、われわれのなかに、同じような闇を見つけることになる。暴虐に至る魂のダイナミズムを体験することになる。当事者の語る生々しい感情に導かれて。

人間の魂の暗部を描く――これはノワールの芯の芯である。クックの「記憶」シリーズは、たしかに一見すると「ノワール的」な要素を欠いているように見える。だがこの作品群は、ノワールのもっとも本質的な主題を、考え得る最良の手法で描いたもっとも暗いノワールだと言えるだろう。

【必読】『死の記憶』(文春文庫)、『夏草の記憶』(同左)、『緋色の記憶』(同左)、『夜の記憶』(同左)
死の記憶 / トマス・H. クック
死の記憶
  • 著者:トマス・H. クック
  • 翻訳:佐藤 和彦
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(377ページ)
  • ISBN-10:4167254425
  • ISBN-13:978-4167254421
内容紹介:
時雨の降る午後、9歳のスティーヴは家族を失った。父が母と兄姉を射殺し、そのまま失踪したのだ。あれから35年、事件を顧みることはなかった。しかし、ひとりの女の出現から、薄膜を剥ぐように記憶が次々と甦ってくる。隠されていた記憶が物語る、幸せな家族が崩壊した真相の恐ろしさ。クックしか書きえない、追憶が招く悲劇。

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夏草の記憶 / トマス・H. クック
夏草の記憶
  • 著者:トマス・H. クック
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(449ページ)
  • ISBN-10:4167218585
  • ISBN-13:978-4167218584
内容紹介:
名医として町の尊敬を集めるベンだが、今まで暗い記憶を胸に秘めてきた。それは30年前に起こったある痛ましい事件に関することだ。犠牲者となった美しい少女ケリーをもっとも身近に見てきたベンが、ほろ苦い初恋の回想と共にたどりついた事件の真相は、誰もが予想しえないものだった!ミステリの枠を超えて迫る犯罪小説の傑作。

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緋色の記憶 / トマス・H. クック
緋色の記憶
  • 著者:トマス・H. クック
  • 翻訳:鴻巣 友季子
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(398ページ)
  • 発売日:1998-03-10
  • ISBN-10:4167218402
  • ISBN-13:978-4167218409

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夜の記憶  / トマス・H. クック
夜の記憶
  • 著者:トマス・H. クック
  • 翻訳:村松 潔
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(435ページ)
  • ISBN-10:4167218658
  • ISBN-13:978-4167218652
内容紹介:
ミステリー作家ポールは悲劇の人だった。少年の頃、事故で両親をなくし、その直後、目の前で姉を惨殺されたのだ。長じて彼は「恐怖」の描写を生業としたが、ある日、50年前の少女殺害事件の謎ときを依頼される。それを機に"身の毛もよだつ"シーンが、ポールを執拗に苛みはじめた-人間のもっとも暗い部分が美しく描かれる。

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