コラム
ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』(白水社)、セネル・パス『苺とチョコレート』(集英社)、マリオ・バルガス=リョサ『ラ・カテドラルでの対話』(集英社)ほか
世界の酒と文学 ラテンアメリカ 酒はうまさの証拠
メキシコ滞在中にずいぶんテキーラを飲んだ。文化人が集まるパーティーで出る高級品は刺激がないから、いきなり飲まされてもすっと喉を通り、酔わない。テキーラは竜舌蘭から作る蒸留酒メスカルの一種だ。メスカルで思い出すのがロベルト・ボラーニョの長篇『野生の探偵たち』(白水社)である。二人の青年が伝説の女流詩人を探して世界中を旅するのだが、メキシコで出会った元前衛詩人アマデオ・サルバティエラは常にこの酒を飲み、薀蓄を傾ける。著者のボラーニョはチリからメキシコに移住した作家なので、物語にメキシコ性と高揚感を与えるためにメスカルを選んだのだろう。またマルカム・ラウリーの長篇『火山の下』(白水社)へのオマージュという意味もありそうだ。この酩酊小説の主人公である元英国領事は、酒場に入り浸ってはメスカルを飲んでいる。ラム酒の国キューバに行くと、僕はヘミングウェイを偲ぶこともなく、ラムをベースにしたミントの香り高い本場のモヒートやダイキリを飲む。ただし、手土産として喜ばれるのは、国で作られるラムではなくて入手困難な高級ウイスキー、それもスコッチである。とくにコスモポリタンな文化人はスコッチが好きだ。
今のキューバでは、ウイスキーは庶民の手には入らない。セネル・パスは、ゲイの文化人ディエゴと田舎育ちの学生ダビドの出会いと別れを描く中篇『苺とチョコレート』(集英社)の中で、そのあたりをユーモアと皮肉をこめて書いている。ディエゴがダビドを自分の部屋に誘い、シーバス・リーガルを飲ませる。だがボトルの中身は安いラム酒で、彼は常々これを武器にしていた。飲酒の経験がないダビドはすっかり酔いつぶれてしまう。
やがて当局との折り合いが悪化したディエゴは国を出る決心をする。このときダビドに打ち明け話をしながら一緒に飲むのは、なぜかウオッカなのだ。時代は一九七〇年代の終わりらしく、キューバ経済が頼っていたソ連が崩壊する前なので、本物のウオッカが手に入ったのかもしれない。虚偽とウイスキー、真実とウオッカが結び付けられている。ここに資本主義対社会主義という冷戦の構図を見るのは深読みだろうか。社会主義キューバでは、ウイスキーはブルジョア的飲み物のはずである。
一般大衆が飲むのはやはりビールだろう。学生の頃、初めて訪れたキューバはカーニバルの最中で、ビールが只で振舞われたのを思い出す。その頃はアットウエイというこってりしたビールがあり、飲むと決って眠くなった。今その銘柄に取って代わったのがすっきりタイプのブカネロだ。キューバ人の好みも都会的になったらしい。ビールは、キューバに限らず大衆的な飲み物であり、価格もそれほど違わない。ペルーのマリオ・バルガス=リョサによる長篇『ラ・カテドラルでの対話』(集英社)の中で、実業家の息子でジャーナリストのサンティアゴと、彼の父親の運転手だったアンブロシオが久々に再会し、互いの過去を語り合う。そのとき飲むのがビールである。場所はリマの安食堂、野犬収容所で働くアンブロシオ行きつけの店だ。ここでビールを飲めば、二人の階級差は縮まることになる。ただしビールというだけで銘柄はわからない。リマならこれもすっきりタイプのクリスタルというのが一般的なのだがどうだろう。
同じ作者の長篇『フリアとシナリオライター』(国書刊行会)でも、パーティーを除けば飲み物はビールだ。けれど、遠縁に当たる年上の女性フリアとの結婚にまつわる自伝的エピソードを縦糸にしたこの小説でも、ビールの銘柄は分からない。それでも、フリアが〈アレキペーニャ〉という銘柄を自慢する個所がある。彼女はリマではなくアレキーパ出身なのだ。ビールは土地との結びつきが強い。
ビールをビールとしか呼ばない点ではガルシア=マルケスも同じだ。彼の初期の短篇集『ママ・グランデの葬儀』(集英社)に「バルタサルの素敵な午後」という作品が収められている。主人公は若い大工バルタサルで、金持ちの息子に頼まれて芸術的な鳥籠を作り、町中の評判になる。ところが金持ちの男ペペは自分が頼んだわけではないと言い張って、引き取らない。するとバルタサルは息子にただでやってしまう。そして町の人間には代金をもらったと嘘をつく。英雄になった彼は男たちの社交場であるビリヤード場に行き、ビールをおごられ、おごり返したりするものの、ビールを飲むのは初めてで、ダビド同様酔いつぶれてしまう。やがて持ち金を使い果たした彼は置き去りにされ、通りに寝転がる。家で帰りを待っていた妻はそうとも知らずに眠りに就く。なんとも切ない話だが、ここでもビールが効果的に使われている。こんなふうに、酒をうまく使いこなすのが優れた作家なのかもしれない。
ALL REVIEWSをフォローする
































