コラム

ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』(白水社)、セネル・パス『苺とチョコレート』(集英社)、マリオ・バルガス=リョサ『ラ・カテドラルでの対話』(集英社)ほか

  • 2022/03/14

世界の酒と文学 ラテンアメリカ 酒はうまさの証拠

メキシコ滞在中にずいぶんテキーラを飲んだ。文化人が集まるパーティーで出る高級品は刺激がないから、いきなり飲まされてもすっと喉を通り、酔わない。テキーラは竜舌蘭から作る蒸留酒メスカルの一種だ。メスカルで思い出すのがロベルト・ボラーニョの長篇『野生の探偵たち』(白水社)である。二人の青年が伝説の女流詩人を探して世界中を旅するのだが、メキシコで出会った元前衛詩人アマデオ・サルバティエラは常にこの酒を飲み、薀蓄を傾ける。著者のボラーニョはチリからメキシコに移住した作家なので、物語にメキシコ性と高揚感を与えるためにメスカルを選んだのだろう。またマルカム・ラウリーの長篇『火山の下』(白水社)へのオマージュという意味もありそうだ。この酩酊小説の主人公である元英国領事は、酒場に入り浸ってはメスカルを飲んでいる。

野生の探偵たち〈上〉 / ロベルト・ボラーニョ
野生の探偵たち〈上〉
  • 著者:ロベルト・ボラーニョ
  • 翻訳:柳原 孝敦,松本 健二
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(449ページ)
  • 発売日:2010-04-01
  • ISBN-10:4560090084
  • ISBN-13:978-4560090084
内容紹介:
1975年の大晦日、二人の若い詩人アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマは、1920年代に実在したとされる謎の女流詩人セサレア・ティナヘーロの足跡をたどって、メキシコ北部の砂漠に旅立つ。… もっと読む
1975年の大晦日、二人の若い詩人アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマは、1920年代に実在したとされる謎の女流詩人セサレア・ティナヘーロの足跡をたどって、メキシコ北部の砂漠に旅立つ。出発までのいきさつを物語るのは、二人が率いる前衛詩人グループに加わったある少年の日記。そしてその旅の行方を知る手がかりとなるのは、総勢五十三名に及ぶさまざまな人物へのインタビューである。彼らは一体どこへ向かい、何を目にすることになったのか。

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火山の下 / マルカム・ラウリー
火山の下
  • 著者:マルカム・ラウリー
  • 翻訳:山崎 暁子,斎藤 兆史,渡辺 暁
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(506ページ)
  • 発売日:2010-03-26
  • ISBN-10:4560099014
  • ISBN-13:978-4560099018
内容紹介:
ポポカテペトルとイスタクシワトル。二つの火山を臨むメキシコ、クワウナワクの町で、元英国領事ジェフリー・ファーミンは、最愛の妻イヴォンヌに捨てられ、酒浸りの日々を送っている。一九三… もっと読む
ポポカテペトルとイスタクシワトル。二つの火山を臨むメキシコ、クワウナワクの町で、元英国領事ジェフリー・ファーミンは、最愛の妻イヴォンヌに捨てられ、酒浸りの日々を送っている。一九三八年十一月の「死者の日」の朝、イヴォンヌが突然彼のもとに舞い戻ってくる。ぎこちなく再会した二人は、領事の腹違いの弟ヒューを伴って闘牛見物に出かけることに。しかし領事は心の底で妻を許すことができず、ますます酒に溺れていき、ドン・キホーテさながらに、破滅へと向かって衝動的に突き進んでいく。ガルシア=マルケス、大江健三郎ら世界の作家たちが愛読する二十世紀文学の傑作、待望の新訳。

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ラム酒の国キューバに行くと、僕はヘミングウェイを偲ぶこともなく、ラムをベースにしたミントの香り高い本場のモヒートやダイキリを飲む。ただし、手土産として喜ばれるのは、国で作られるラムではなくて入手困難な高級ウイスキー、それもスコッチである。とくにコスモポリタンな文化人はスコッチが好きだ。

今のキューバでは、ウイスキーは庶民の手には入らない。セネル・パスは、ゲイの文化人ディエゴと田舎育ちの学生ダビドの出会いと別れを描く中篇『苺とチョコレート』(集英社)の中で、そのあたりをユーモアと皮肉をこめて書いている。ディエゴがダビドを自分の部屋に誘い、シーバス・リーガルを飲ませる。だがボトルの中身は安いラム酒で、彼は常々これを武器にしていた。飲酒の経験がないダビドはすっかり酔いつぶれてしまう。

やがて当局との折り合いが悪化したディエゴは国を出る決心をする。このときダビドに打ち明け話をしながら一緒に飲むのは、なぜかウオッカなのだ。時代は一九七〇年代の終わりらしく、キューバ経済が頼っていたソ連が崩壊する前なので、本物のウオッカが手に入ったのかもしれない。虚偽とウイスキー、真実とウオッカが結び付けられている。ここに資本主義対社会主義という冷戦の構図を見るのは深読みだろうか。社会主義キューバでは、ウイスキーはブルジョア的飲み物のはずである。

苺とチョコレート / セネル・パス
苺とチョコレート
  • 著者:セネル・パス
  • 翻訳:野谷 文昭
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(128ページ)
  • 発売日:1994-10-05
  • ISBN-10:408773207X
  • ISBN-13:978-4087732078
内容紹介:
ハバナの街の公園で出会った二人の若者。祖国を愛する純朴な大学生タビドと文化事業を手掛ける同性愛者ディエゴ。価値観の違う二人がやがて心を通わせ、真の友情が芽生える。キューバ映画の原作。

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一般大衆が飲むのはやはりビールだろう。学生の頃、初めて訪れたキューバはカーニバルの最中で、ビールが只で振舞われたのを思い出す。その頃はアットウエイというこってりしたビールがあり、飲むと決って眠くなった。今その銘柄に取って代わったのがすっきりタイプのブカネロだ。キューバ人の好みも都会的になったらしい。ビールは、キューバに限らず大衆的な飲み物であり、価格もそれほど違わない。ペルーのマリオ・バルガス=リョサによる長篇『ラ・カテドラルでの対話』(集英社)の中で、実業家の息子でジャーナリストのサンティアゴと、彼の父親の運転手だったアンブロシオが久々に再会し、互いの過去を語り合う。そのとき飲むのがビールである。場所はリマの安食堂、野犬収容所で働くアンブロシオ行きつけの店だ。ここでビールを飲めば、二人の階級差は縮まることになる。ただしビールというだけで銘柄はわからない。リマならこれもすっきりタイプのクリスタルというのが一般的なのだがどうだろう。

ラ・カテドラルでの対話 / バルガス=リョサ
ラ・カテドラルでの対話
  • 著者:バルガス=リョサ
  • 翻訳:旦 敬介
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(640ページ)
  • 発売日:2018-06-16
  • ISBN-10:4003279646
  • ISBN-13:978-4003279649

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同じ作者の長篇『フリアとシナリオライター』(国書刊行会)でも、パーティーを除けば飲み物はビールだ。けれど、遠縁に当たる年上の女性フリアとの結婚にまつわる自伝的エピソードを縦糸にしたこの小説でも、ビールの銘柄は分からない。それでも、フリアが〈アレキペーニャ〉という銘柄を自慢する個所がある。彼女はリマではなくアレキーパ出身なのだ。ビールは土地との結びつきが強い。

フリアとシナリオライター / マリオ・バルガス=リョサ
フリアとシナリオライター
  • 著者:マリオ・バルガス=リョサ
  • 翻訳:野谷 文昭
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(475ページ)
  • 発売日:2004-05-01
  • ISBN-10:4336035989
  • ISBN-13:978-4336035981
内容紹介:
結婚式当日に突然昏倒した若く美しき花嫁。泥酔して花婿を殺そうとする花嫁の兄。一体ふたりの間には何があったのか!?巡回中のリトゥーマ軍曹が見つけた正体不明の黒人。彼の殺害を命じられた… もっと読む
結婚式当日に突然昏倒した若く美しき花嫁。泥酔して花婿を殺そうとする花嫁の兄。一体ふたりの間には何があったのか!?巡回中のリトゥーマ軍曹が見つけた正体不明の黒人。彼の殺害を命じられた軍曹は果して任務を遂行することができるのか!?ネズミ駆除に執念を燃やす男と彼を憎む妻子たち。愛する家族に襲撃された男は果して生き延びることができるのか!?ボリビアから来た"天才"シナリオライター、ペドロ・カマーチョのラジオ劇場は、破天荒なストーリーと迫真の演出でまたたく間に聴取者の心をつかまえた。小説家志望の僕はペドロの才気を横目に、短篇の試作に励んでいる。そんな退屈で優雅な日常に義理の叔母フリアが現れ、僕はやがて彼女に恋心を抱くようになる。一方精神に変調を来したペドロのラジオ劇場は、ドラマの登場人物が錯綜しはじめて…。『緑の家』や『世界終末戦争』など、重厚な全体小説の書き手として定評のあるバルガス・リョサが、コラージュやパロディといった手法を駆使してコミカルに描いた半自伝的スラプスティック小説。

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ビールをビールとしか呼ばない点ではガルシア=マルケスも同じだ。彼の初期の短篇集『ママ・グランデの葬儀』(集英社)に「バルタサルの素敵な午後」という作品が収められている。主人公は若い大工バルタサルで、金持ちの息子に頼まれて芸術的な鳥籠を作り、町中の評判になる。ところが金持ちの男ペペは自分が頼んだわけではないと言い張って、引き取らない。するとバルタサルは息子にただでやってしまう。そして町の人間には代金をもらったと嘘をつく。英雄になった彼は男たちの社交場であるビリヤード場に行き、ビールをおごられ、おごり返したりするものの、ビールを飲むのは初めてで、ダビド同様酔いつぶれてしまう。やがて持ち金を使い果たした彼は置き去りにされ、通りに寝転がる。家で帰りを待っていた妻はそうとも知らずに眠りに就く。なんとも切ない話だが、ここでもビールが効果的に使われている。こんなふうに、酒をうまく使いこなすのが優れた作家なのかもしれない。

ママ・グランデの葬儀 / ガルシア・マルケス
ママ・グランデの葬儀
  • 著者:ガルシア・マルケス
  • 翻訳:内田 吉彦,安藤 哲行
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(256ページ)
  • 発売日:1982-12-01
  • ISBN-10:4087600793
  • ISBN-13:978-4087600797
内容紹介:
灼熱の大地にくり広げられる飢えと孤独、暴力と革命!いかなることも起こりうる架空の地マコンドの地母神ともいうべきママ・グランデの葬儀を奇想に満ちた文体で描く表題作他。

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yom yom 2011年3月号Vol.19

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