コラム

リチャード・ロイド・パリー『黒い迷宮』(早川書房)、元少年A『絶歌』(太田出版)

  • 2022/06/23

今年は犯罪マニア大忙し! 年間ベスト級の犯罪本が緊急出版!(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2015年)

2015年は犯罪本の当たり年となった。木嶋佳苗『礼讃』(角川書店)に引き続き、織原城二によるルーシー・ブラックマン殺害事件を扱ったリチャード・ロイド・パリーの『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』(濱野大道訳/早川書房)が出版され、これはと思ったところにいきなり爆弾本が出た。『絶歌』(太田出版)。著者は「元少年A」。酒鬼薔薇聖斗こと神戸連続児童殺害事件の犯人による手記である。いずれも年間ベスト級のダイナマイト本で、いやはやまこと犯罪マニアも忙しいのである。この3冊が今年上半期の犯罪本トップ3でまず間違いなかろう。『礼讃』についてはすでに書評を書いているので、今回は残りの2冊をとりあげる。

『黒い迷宮』は英『タイムズ』紙の日本特派員として日本滞在中、ルーシー・ブラックマン事件に遭遇した英国人記者による事件ルポルタージュである。2000年7月1日、六本木の外人バーで働いていた元英国航空のCAルーシーが失踪する。事件は英国では大きく報道され、ブレア首相が森首相に解決を依頼するほどの大騒ぎになる。ルーシーは発見されないままだったが、10月に、睡眠薬を飲ませて昏睡姦をくりかえしていた織原城二という男が逮捕される。

イギリスで書かれた本だけあって、ルーシーの過去やブラックマン家の人々の動きについてはきわめて詳しい。ルーシーはおさなかった。なんとなく写真や元CAという経歴から落ち着いた大人を想像していたのだが、21歳だしまだほんの子どもなのである。行動も日記もあまりにおさない。おさないがゆえにカードで借金を作るとトウキョウのロッポンギで働けばすぐにお金がたまる、という雲をつかむような話に飛びつき、日本まで来てしまうのである。そしてわずか数カ月で織原と出会ってしまう。

織原という奇怪な男について、パリーは驚くほど詳しく記している。織原はタクシーとパチンコで財をなした在日韓国人の二代目であり、親の遺産のおかげでまったく働かなくても暮らしていける身分だった。織原の奇妙な性格がいかに構成され、それに在日韓国人という出自と日本人から受けた差別がどの程度寄与しているのか、日本人にはとうていここまではっきり書けなかったろう。警察の無力さと傲慢さについてもきわめて率直に記されている。「日本の警察は世界でも屈指の有能な警察だ」と書くパリーだが、同時に行方不明になった直後の初期捜査のいい加減さ、織原がそれまでに起こしていた事件の無視、そして織原がすぐに自白するだろうと考えて死体を放置していた疑惑も明確にしている。英国人だからこそ、日本人(と日本警察)の男尊女卑志向と人種差別をはっきり指弾できたのだ。これは日本では書かれ得なかった本である。

『絶歌』は、ある意味では、待ち望まれていた本だった。酒鬼薔薇聖斗事件は、時代のメルクマールともなる事件だったからである。残虐な示威行為と声明文に日本中が震えあがり、そして犯人が中学生と判明したときには誰もが驚愕した。その知性は――そして狂気は――どこから生まれたものなのか。大きな事件が起こるたびに時代とメディア環境に原因を求める者が出てくるが、酒鬼薔薇聖斗事件ほどそうした声が強かったことはない。

その犯人による手記は奇妙な本だった。それは謎解きを求める我々の好奇心に応えてくれるものであり、またはぐらかしてもいるのだ。

本は驚くほどに美文である。凡庸きわまりない美文だ。殺害した児童の生首を持って、学絞に行くときの描写はこうである。

「雨は空の舌となって大地を舐めた。僕は上を向いて舌を突き出し、空と深く接吻した。この時僕の舌は鋭敏な音叉となった。不規則なリズムで舌先に弾ける雨粒の振動が、僕の全細胞に伝播し、足の裏から抜け、地面を伝い、そこらの石や木々の枝葉や小ぶりの溜池の水面に弾ける雨音と共鳴し、荘巌なシンフォニーを奏でた。甘い甘い死のキャンディを命いっぱいに含んだ僕の渇きを、雨の抱擁が優しく潤してゆく……」

なんたるナルシシズム。なんという中二病。ことここにいたっても――事件から18年、「完治」して医療少年院から解放されてから11年たっても、いまだにこんな書き方しかできないのである。美文とクリシェはなんら反省していない証拠だととらえる人も多いだろう。たぶんそのとおりである。だが、同時に彼はそれ以外に書き方を知らない――現実への近づき方を知らない――ことをも示している。事実、後半、医療少年院を出る前後の生活を書く文章は、妙なクリシェ表現のない、ある意味平凡だが地に足の着いた文章になっている。だが事件について書こうとするとうわずった、凡庸な比喩表現が連発されるのだ。それはたぶん酒鬼薔薇少年の邪悪さではなく、普通さの表現である。天才的殺人者などいない。いるのはただあまりにも愚かしい少年だけだ。そのことを、我々はくりかえしくりかえし教えられるのである。
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95年に町山智浩が創刊。娯楽映画に的を絞ったマニア向け映画雑誌。「柳下毅一郎の新刊レビュー」連載中。洋泉社より1,000円+税にて毎月21日発売。Twitter:@eigahiho

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