作家論/作家紹介

カミロ・ホセ・セラ『パスクアル・ドゥアルテの家族』(講談社)、『蜂の巣』(白水社)、『ラサリーリョ・デ・トルメスの新たな遍歴と不運』(講談社)、『二人の死者のためのマズルカ』(講談社)、『ラ・アルカリアへの旅』(講談社)

  • 2020/10/27

書斎の騎士――ノーベル賞作家カミロ・ホセ・セラ

人と作品をあらためて見てみると、カミロ・ホセ・セラという作家は、ことによるとスペインから時折生れる偉大なもしくは途方もない芸術家の系譜に属するのかもしれない、という気がしてくる。スペインばかりでなくラテンアメリカを含め、スペイン語圏の作家は饒舌そうに見えるが意外に寡作で、しかも小説家はストイックなまでにもっぱら小説を書いている。それからすればセラの作品は膨大であり、そのジャンルも多岐にわたっている。長篇、中篇、短篇はもとより、詩、紀行文、評論、エッセー、語彙集、その他雑文という以外に呼びようのない様々な文章の群れ。その雑文の群れの存在がこの作家を前述の系譜に位置づけているように思えるのだ。いわばバロック的業績である。それに経歴もまたバロック的だ。彼の著作に短篇集とも雑文集ともつかない『創作ゲーム』(一九五三)というのがある。その序文は一種の自伝になっているのだが、いかにもこの作家らしいユーモアとアイロニーがこめられているのが印象的である。

私はしょっちゅう職業を変えてきた。たぶんどれもこれも気に入らないからだ。私はとくに優れた人間ではない。それにヨーロッパが単一であるなどということを信じていない。その対応措置として、まず裕福な家庭の息子、職業軍人、詩人、闘牛士、放浪者、役人、小説家、画家、映画俳優、ジャーナリスト、講演者という具合に、次から次へと仕事を変えてきた。

さらに「大学は出たけれど学位はない」、「私の作品は多くの言語に翻訳されているが、賞はひとつももらったことがない」と書き、「ポートレートを撮るとき笑ったことがないのは将来歴史家をまごつかせないためだ」とか、「私が楽な生活をしていると思っている素朴な人間もいれば、その償いのごとく、私が苦しい生活を送っていると思っている者もいる。だがどちらもはずれている」と書く。こうした曖昧性は、まさしく黄金世紀の偉大なバロック作家たちを想い出させる。さらに一九七七年には上院議員に選ばれもした。また、彼が自分を、一八九八年の米西戦争でスペインが敗北したことにショックを受け、内向し、自国の精神性を強調した一群の作家・知識人、いわゆる「九八年の世代」以来もっとも重要な小説家とみなしているという言葉には、相当の自負心が窺える。実際、「九八年の世代」で小説を書いたウナムーノ、アソリン、ピオ・バロハはもとよりその後現れたスペインの小説家が誰も得られなかったノーベル賞を受賞した今、若き日のセラの言葉は単なる大口ではなく、むしろ予言だったということになる。さらにこの序文の最後に、彼は自分の十個の洗礼名を書き連らねているが、ここにはまさしく彼のバロック性と言葉の収集家の側面がシンボリックに現れていると言えるだろう。

このような性癖は、一概に言えないまでも、ある程度彼の混血性によって説明可能かもしれない。「三つの国民の血を、ドン・カミロ・ホセは腎臓に持っている」というのが、一時期彼のキャッチフレーズだった。つまり、母方の祖父がイギリス人(新聞記事によればアイルランド人)、祖母がイタリア人、したがって母は英伊混血であり、これに父のスペインの血が加わり、三つの国民の血ということになるのだ。ついでに言えば、母方の姓を持つトゥルロク一族は、百三十年ほど前にイギリスからガリシアに渡来し、祖父ジョン・トゥルロクは、ガリシアの鉄道会社の支配人を務めたという。また祖母は、ガリシアの生んだロマン派の偉大な女性詩人、ロサリア・デ・カストロの友人だった。一方父親は、税関吏だったらしく、その仕事の関係で、ガリシア地方を中心に国内を転々とした後、一家は一九二五年にマドリードに移っている。伝記的事実を強調しすぎるのは危険だが、独自の言語を有するガリシア地方に生れたことやその混血性といった要素は、セラのバロック性、言葉に対するこだわりと無関係ではないだろう。

だが興味深いのは、彼が自分を骨の髄からスペイン人であると言い、友人たちよりも自分の方がはるかにスペインを愛していると言って、その理由として自分の混血性を挙げていることだ。つまり混血だから、外国のものは少しも珍しくない。彼にとってそれはごくありふれた、日常的なものにすぎないというのだ。この感覚は、たとえばやはりイギリスの血を引く混血であるボルヘスと比べたとき、ベクトルの向きが反対になっていることに気づく。セラは、ボルヘスの反ナショナリズム、コスモポリタン志向とは逆の方向を向いているのだ。スペインの伝統ともいえるこの求心性はおそらく、セラをラテンアメリカの国際的作家たちと分ける要素だろう。他方この求心性は、セラがフランコの側に立ち、「国民運動」に共感を示したという事実を説明してもいる。さらにこのことは、タイトルは想い出せないがある本の序文で、その本を内戦で傷ついた人々に捧ぐと書いた後に、外国の冒険家、コミュニスト、マルキシスト、ファシストには捧げないと書いていることの説明にもなる。つまり彼にとっては、コミュニスムもマルキシズムもファシズムも、すべて外来の思想なのだ。したがって、フランコの運動が、ナショナルな運動である限りは支持するが、それがファシズムと結びつくことには反対するという理屈になる。これはたとえて言えば、カストロの七月二十六日運動が、民族解放運動である限りは支持するが、社会主義、マルクス・レーニン主義と結びつくことには反対するという立場と、向きこそ違えきわめて似ていると言えるだろう。

セラの思想・信条は必ずしも単純ではなく、むしろ曖昧である。たとえば、イラスト入りの寓話集ともいうべき小冊子を、彼は一般的には典型的な外国の冒険者と思えるヘミングウェイに捧げ、「私に『午後の死』と上物のワインを一本プレゼントしてくれたアーネスト・ヘミングウェイに捧ぐ」という献辞を臆面もなく扉に書きつける。これも彼一流のアイロニーなのだろうか。また作家としての地位を確立し、マヨルカ島に邸宅を構えてからの話だが、セラはフランスにいたピカソにインタヴューを試みたことがある。それは彼がラ・パルマで創刊した文芸誌「パペレス・デ・ソン・アルマダンス」に掲載されるのだが、この特集号の表紙はピカソの描いた絵によって飾られたばかりか、これをきっかけに、ピカソの描いたイラストとセラの文からなる『愛のない物語』(一九六二)が生れている。セラとヘミングウェイ、ピカソという関係、あるいは彼は後にアルゼンチンでモラヴィア、イリア・エレンブルグらと出会っているが、その関係は、思想や信条では説明がつかないのだ。彼の作品のうちデビュー作の『パスクアル・ドゥアルテの家族』(一九四二)は、その第二版が検閲にかかって発禁となり、第三版はアルゼンチンで出版された。また『蜂の巣』(一九五一)は、雑誌掲載時および別冊として出たときには問題がなかったにもかかわらず、単行本化されるときにクレームがつき、結局国内では出版できず、これもアルゼンチンで出版された。言ってみれば彼はフランコ政権下で二度までも検閲の被害に会っているわけだが、それにもかかわらず、M・L・アベリャンによれば、セラ自身、一時期定期刊行物の検閲官を務めていたのである。

Gavilla De Fabulas Sin Amor / Cela
Gavilla De Fabulas Sin Amor
  • 著者:Cela
  • 出版社:Alianza Editorial SA
  • 装丁:ハードカバー(216ページ)
  • 発売日:1979-01-01
  • ISBN-10:8402061478
  • ISBN-13:978-8402061478

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しかしこのような矛盾はある意味できわめてスペイン的と言えるかもしれない。異端審問のときの改宗ユダヤ教徒の例もあるが、矛盾しているからこそ正統を求めるのだ。もっともセラの場合はもっと単純な気もする。彼は、自伝的序文で自ら述べたように、職業を次々と変えているが、それは生きた経験をしたいという欲求、好奇心の現れでもあるからだ。こんなエピソードがある。彼のために催されたあるパーティーで、彼は礼服を着たままプールに飛び込んで見せたというのだ。それを、ある作家は、彼がそういう行為を経験してみたかったからだと解釈する。もっとも別の作家によれば、それは彼がトゥレメンディスモ、文字通り訳せば凄惨主義の創始者だから、それに相応しい凄まじい行為をみんなの期待に応えて行なったのであり、それは彼なりのエチケットだという。どちらも正しいかもしれないし、セラの言葉を借りれば、どちらもはずれているかもしれない。少なくとも答はひとつではないだろう。

ある批評家は、セラの経験に対するこだわり方をさして、「生きた経験の収集家」と呼んでいる。これはセラという作家の本質を衝いている。つまり経験にせよ思想にせよ、彼はすべて物に還元する傾向があるからだ。そしてそれを虫眼鏡で観察する。するともはやそこには善悪といった価値基準は成立しなくなってしまう。『パスクアル・ドゥアルテの家族』の主人公による殺人も、そのように見れば、従来とは異なる批評が可能となるだろう。というのも、主人公の殺人が社会的な環境と宿命が強いたものなのかどうなのか、そのあたりが曖昧もしくは混乱しているために、社会性を重視する批評家からはその欠落が批判される一方、不条理性もカミュの『異邦人』と違って不鮮明だという批判もある。このような批判は確かに当っている。『パスクアル』は、内戦後に現れたいくつかの小説同様農村を舞台にし、暴力を描いているが、そのことは、王政、共和制、ファシズムとめまぐるしく変る体制とともに変化せざるをえなかった農村の抱える問題と無関係ではないはずだ。そしてこの小説は、彼の不機嫌とアイロニーを反映している。作品の中では、事件が内戦中に起きたことになっているが、実際に描かれているのは、戦後の見かけだけ安定した社会である。作者が欺瞞的社会を挑発したとしても不思議はない。しかし、かりに主人公の心理を物質化してしまえば、もはやそれはモラルの問題ではなくなる。セラは主人公を殺人へと追いやる条件を無機的な物質として、将棋の駒のように並べていく。その結果主人公は、王手詰となり、犯行を行なうのだ。それはもはやゲームなのである。しかし、この小説では、作者の方法意識はまだ希薄だ。

パスクアル・ドゥアルテの家族 / カミロ・ホセ・セラ
パスクアル・ドゥアルテの家族
  • 著者:カミロ・ホセ・セラ
  • 翻訳:有本 紀明
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(233ページ)
  • 発売日:1989-12-01
  • ISBN-10:406204434X
  • ISBN-13:978-4062044349
内容紹介:
愛と情念のたぎり、そして殺人。人間の根源的な謎を、スペイン社会に凝視した現代文学の傑作。'89年ノーベル文学賞受賞。

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もっとも、世界を物質的に見ることでモラルの問題を越えてしまうという手法は、ピカレスク小説の得意とするところでもあった。セラがピカレスクの伝統を踏まえていることは、『ラサリーリョ・デ・トルメスの新たな遍歴と不運』(一九四四)という、ピカレスクのパロディーを書いていることでも分るだろう。『蜂の巣』で描かれているのは、ピカレスク小説的な世界である。ここにも作者の不機嫌とアイロニーが現れているが、しかし虫眼鏡を使いながらあたかも生体解剖をしていくような、マドリードのカフェとそこを中心に繰り広げられる人間模様の描写は、庶民からアカデミーの会員までの様々な言葉を大量に用いることによって、ドス=パソスのニューヨークとはまた一味ちがい、眼で見るよりむしろ耳で聞くマドリードという観がある。数え方によっては二百人あるいは三百人を越す人物が登場するこの小説に主人公はいないし、またプロットも存在しない。読者が一体化できる唯一の対象は、おそらく語り手だけだろう。比較的主要な人物に貧乏詩人のマルティン・マルコがいて、狂言回しの役を務めてはいる。しかし、小説家としてデビューする前のセラと多少重なるこの人物にしても、作者のアイロニカルな眼から免れてはいない。そこには作者の自己批評が感じられるのだ。この小説は、『パスクアル・ドゥアルテの家族』同様映画化され、そこでは詩人の青年が主人公に近い描き方をされていた。ちなみに、この映画には、作者のセラ自身が「言葉の発明家」という肩書で登場し、例の仏頂面を披露している。そのこともあってか、小説よりもユーモアが強調されていた。もっとも小説自体、発表当時と今では読まれ方が異なるはずだ。今回のノーベル賞受賞に際してのセラの作品の紹介のされ方は、選考委員会のコメントを含め、それを文学史的に位置づけたものが多く、従来の批評を踏まえていたといえる。しかし、『パスクアル・ドゥアルテの家族』よりも『蜂の巣』の方が社会性を追求しているとしても、現在の時点で読むと、後者に描かれているブラックなユーモアは笑いを誘う。これが歳月というものだろう。いや、もともとこの作品にはそういう要素がある。現実を主観的なリアリズムによって歪め、凄絶な面を強調する手法がトゥレメンディスモであるが、セラは自らの作品を社会的であると言われるのを嫌い、またトゥレメンディスモに関しても、小説『ミセス・カードウェル、息子と語る』(一九五三)の中で否定してしまう。それはおそらく彼が「主義」という観念を好まないからだ。彼はもっと具体的なものを通じて世界を表現しようとするのである。

ラサリーリョ・デ・トルメスの新しい遍歴 / カミロ・ホセ・セラ
ラサリーリョ・デ・トルメスの新しい遍歴
  • 著者:カミロ・ホセ・セラ
  • 翻訳:有本 紀明
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(213ページ)
  • 発売日:1992-09-01
  • ISBN-10:4062059649
  • ISBN-13:978-4062059640
内容紹介:
『ドン・キホーテ』と並び称される文学上の典型人物ラサリーリョ(16世紀・作者不詳)を新たに誕生させ、20世紀に放浪させる。現代ピカレスクの名作。

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蜂の巣 / カミロ・ホセ・セラ
蜂の巣
  • 著者:カミロ・ホセ・セラ
  • 翻訳:会田 由,野々山 ミナコ,野々山 真輝帆
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(401ページ)
  • 発売日:1989-11-01
  • ISBN-10:4560042462
  • ISBN-13:978-4560042465
内容紹介:
今年度ノーベル文学賞受賞。スペインの巨匠セラの代表作。内戦直後のマドリードの裏街のカフェを舞台に、そこに集まる庶民の生きざまを鋭利な文体で描いたピカレスク小説の傑作。

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Mrs. Caldwell habla con su hijo /
Mrs. Caldwell habla con su hijo
  • 出版社:Espasa-Calpe
  • 装丁:ペーパーバック(240ページ)
  • ISBN-10:8423345432
  • ISBN-13:978-8423345434

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『パスクアル・ドゥアルテの家族』も『蜂の巣』も、実質的には内戦後の社会を背景にしているが、『聖カミロ、一九三六年』(一九六九)は文字通り内戦中のマドリードを舞台にしている。内戦勃発当時大学生だったセラは、銃を取りフランコ側に立って戦い、一九三八年に負傷して戦場から退いている。自らの体験をもとにしたというこの小説は、意欲的作品で、主にモノローグからなる文は改行がほとんどない。ここに使われているテクニックにバルガス=リョサの『ラ・カテドラルでの対話』との共通性を見る評者もいるように、スペインの小説の中では、伝統的リアリズムの可能性を試す実験的な作品として、代表作のひとつとなった。やはり内戦の体験を語るには三十年の距離が必要なのだろう。方法に対する意識と成熟度においてこの作品は、六〇年代のスペインで盛んになった社会主義リアリズムの変形である批判的リアリズムによって書かれた多くの作品を越えている。あるいはそれと対をなすかのような『二人の死者のためのマズルカ』(一九八三)にしても同じで、セラの世界は常に複数なのである。

Visperas, festividad y octava de San Camilo del ano 1936 en Madrid / Day Before, Festivities and San Camilo in 1936 in Madrid / Cela Conde, Camilo Jose
Visperas, festividad y octava de San Camilo del ano 1936 en Madrid / Day Before, Festivities and San Camilo in 1936 in Madrid
  • 著者:Cela Conde, Camilo Jose
  • 出版社:Alianza Editorial Sa
  • 装丁:ペーパーバック(367ページ)
  • 発売日:2005-06-30
  • ISBN-10:8420655074
  • ISBN-13:978-8420655079

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二人の死者のためのマズルカ / カミロ・ホセ・セラ
二人の死者のためのマズルカ
  • 著者:カミロ・ホセ・セラ
  • 翻訳:有本 紀明
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(395ページ)
  • 発売日:1998-02-01
  • ISBN-10:4062087944
  • ISBN-13:978-4062087940
内容紹介:
二人の死者とは、二つの一族のアフォウトとモウチョを指す。両者が死んだ1936年の11月と1940年の1月の2回だけ、盲人のアコーディオン弾きガウデンシオはマズルカ『わが愛しのマリアンヌ』を奏する。最初は喪に服するために、2度目は歓喜の気持を表すために。舞台を故郷ガリシアにおいたノーベル賞作家の自伝的長編。

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リアリズムの手法を有効に働かせるためには、たゆまぬ現実の観察が必要だ。セラが生きた経験を収集することは先に述べた。彼が王立言語アカデミーの会員になったことも、上院議員になったことも、そうした経験のひとつと言えないこともない。今回のノーベル賞受賞などは、願ってもない経験だろう。それから彼は、言葉の収集家でもある。性に関連した言葉とその語源、それが文学作品に用いられている例などを集めた『秘語辞典』(一九七一)はその成果のひとつであるが、この辞典の存在はアイロニカルな意味を持っている。つまりそこに記載されている語彙は、彼が一九五七年以来会員となっているアカデミーが編纂する、スペイン語世界の権威ともいうべき辞典からは欠落しているからだ。アカデミーにとってはタブーである言葉を採集するというセラの姿勢。ここにもバロック的性格が見られるが、しかし秘語も、解剖学的に物としてみれば、アカデミーの辞典に載っている言葉と、その価値においてなんら差異はない。

Diccionario Secreto / Secret Dictionary / Cela Conde, Camilo Jose
Diccionario Secreto / Secret Dictionary
  • 著者:Cela Conde, Camilo Jose
  • 出版社:Alianza Editorial Sa
  • 装丁:ペーパーバック(309ページ)
  • 発売日:2005-06-30
  • ISBN-10:8420615056
  • ISBN-13:978-8420615059

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経験にせよ言葉にせよ、採集するためには旅に出なければならない。一九四五年に結婚した夫人のチャロを伴ってかどうかは知らないが、彼は自らを放浪者とみなすほどよく旅をする。そこから『ラ・アルカリアへの旅』(一九四八)や『ユダヤ教徒、回教徒、キリスト教徒』(一九五六)などの紀行文集が生れるのだが、それらは通常の紀行文とくらべるときわめてユニークである。というのも、彼の関心は風景以上に人間、言葉にあるからだ。ガリシア、カスティーリャをはじめ、普通の旅行者が訪れないような辺鄙な地にまで分け入り、聴き耳を立てるときの彼は、民族誌家に近い。方言、民謡さらには珍しい綽名など、言葉化できるものはなんでも集めてくる。南米を訪れたときはベネズエラでその地の言葉を採集し、それをもとに『混血女(ラ・カティーラ)』(一九五五)を書いている。南米を舞台にした小説は、彼に先行するスペインの作家バリェ=インクランも書いているが、その『暴君バンデラス』(一九二六)の想像から生れた南米の国に比べれば、セラの描く南米ははるかにリアリティーがある。そのリアリティーを支えているのが彼の足なのだ。足をよく使う人間は老けない。以前日本にやってきたオクタビオ・パスがそうだった。パスは実によく歩く。そしてセラも、今でもよく歩くにちがいない。マヨルカ島の書斎で執筆しては遍歴の旅に出る。だからこの「書斎の騎士」は老け込まない。四十歳も年下のガールフレンド(彼の思い姫だろうか?)と一緒に映っている写真を見ると、やはりスペインの巨匠だと思わずにはいられない。

ラ・アルカリアへの旅 / カミロ・ホセ セラ
ラ・アルカリアへの旅
  • 著者:カミロ・ホセ セラ
  • 翻訳:有本 紀明
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(248ページ)
  • 発売日:1991-07-01
  • ISBN-10:4062052040
  • ISBN-13:978-4062052047
内容紹介:
ラ・アルカリアは、マドリッドから50キロほどにあるグァダラハラを中心とする地方。川で結ばれ山が分かつ自然の野である。旅人はリュックを背負い、実際に足を使って歩く。朝歩き出し、午後村に入り、人々と酒を飲む。二泊つづけることはしない。―全篇に流れる抒情性、優しさ、あるいは哀しさが読者の心をとらえる文芸紀行。

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Judios, Moros Y Cristianos / Cela Conde, Camilo Jose
Judios, Moros Y Cristianos
  • 著者:Cela Conde, Camilo Jose
  • 出版社:Plaza & Janes Editories Sa
  • 装丁:ペーパーバック(0ページ)
  • 発売日:1999-10-26
  • ISBN-10:8401413028
  • ISBN-13:978-8401413025

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LA Catira / Cela Conde, Camilo Jose
LA Catira
  • 著者:Cela Conde, Camilo Jose
  • 出版社:Planeta Pub Corp
  • 装丁:ペーパーバック(312ページ)
  • 発売日:1995-09-01
  • ISBN-10:8432205850
  • ISBN-13:978-8432205859

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ところで、ラテンアメリカでは一九六七年、グアテマラのアストゥリアスがノーベル文学賞を受賞した年に、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が出版されるという、見事な世代の交代劇が行なわれた。その例に倣い、一九八九年のスペインでも、何かドラスティックな変化が生じてほしいと願ったとしても、巨匠に対して礼を欠くことにはならないだろう。強力なシステムともいえるスペインの伝統的リアリズムとどう取り組むのか。刷新して継承するのか、反旗を翻すのか。とにかく、スペインの若手が、セラという百八十センチの巨峰を越えなければならないことだけは確かだ。
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新潮

新潮 1989年12月

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