読書日記

鹿島茂「私の読書日記」週刊文春2017年4月6日号『哲学する子どもたち バカロレアの国フランスの教育事情』『重力と恩寵』

  • 2017/07/14

週刊文春「私の読書日記」

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ここ三年ほど、大学でエマニュエル・トッドの学説を敷延した授業を行っているが、トッドの思想を乱暴に要約すると、人類を多死多産型社会から少死少産型社会へテイク・オフさせる原因となったのは経済ではなく教育であり、これにより人類はアーサー・C・クラークのいう「幼年期の終わり」を迎えようとしているとなる。では、民族や国民によってテイク・オフの時期が異なっているのはなぜかといえば、それは家族類型が異なるからである。では、それぞれの家族類型における決定的要因はなにかというと、これが女性の地位の高さなのである。日本やドイツのような直系家族においては女性の地位が比較的高かったために、識字率が高く出て、教育熱心となったのだが、フランスは平等主義核家族という家族類型のために女性の識字率が低く出て、あまり教育熱心な国とはいえなかった。だが、第二次大戦後、進歩の差は教育にありと気づいたフランスは教育の民主化に踏み切る。そのとき旧来のリセで行われていた「哲学する人間を育てる」という理念が大衆化されたため、生徒たちは自分の頭で考えるという習慣を次第に身につけるようになる。とりわけ、大学への女性の進学率が上がってからは、この教育法の影響は大きくなってきている。

中島さおり『哲学する子どもたち バカロレアの国フランスの教育事情』(河出書房新社 1600円+税)は二人の子供をコレージュ(中学)とリセ(高校)に通わせる日本人の親の目から見たフランス教育の独自性のレポートである。

哲学する子どもたち: バカロレアの国フランスの教育事情 / 中島 さおり
哲学する子どもたち: バカロレアの国フランスの教育事情
  • 著者:中島 さおり
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • 発売日:2016-11-21
  • ISBN-10:4309247814
  • ISBN-13:978-4309247816
内容紹介:
なぜフランスの子どもたちは、自分の頭で考え語る力を得るのか? 日本とは全く違う授業など、母の視点で描くフランスの学びの現場。

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まず強調されるのは、フランス国民をつくるのは教育であり、ゆえに教育は無償でなければならないという理念。および自分の頭を使って論理的にものを考える「方法」を生徒たちに教えることが中等教育の最終目的だということ。「私が本当にすごいと思うのは、私たちが日本で高等教育を受けても一度も習わないことを、フランス人たちは、どこにでもいる高校の先生に習っているということなのだ。それはサルトルがどう考えたとか、ニーチェが何を言ったとかではない。『抽象的にものを考えて他人に示すにはどのようにやるか』という実に具体的な方法である」。

著者は子供のリセの『哲学』の参考書を読んで心底感心する。そこでは、バカロレアにおける論述(ディセルタシオン)、たとえば「芸術作品には必ず意味があるか?」というような設問にどう解答してゆくかが解説されているからである。「論述とはどういうものであるか。それは哲学についての言述ではなく、それ自体が哲学的な言述でなければならない。つまり、主題についての明確で厳密な問題提起に立脚して、それに対して説を唱えるものでなければならない。説とは、問題への答えである。君たちの持っている知識を使いながら、哲学において、可能な説の有効性を証明することである」。

具体的に論述の式次第を述べると、第一段階は与えられた問題を自分の言葉に書き直すという作業。ちなみにこれはフランスの教育においてはコント・ランデュと呼ばれ、徹底的に訓練させられる。次に問題をリライトしながら用語を自分なりに定義すること。たとえば問題に「愛する」とあったら、これを「強い愛着の感情を持つこと」と定義する。次に問いに対する論理的な説を展開するのだが、肝心なのは説を二つ以上用意しなければならないということだ。「異なる説を自分で発展させてみて突き合わせる知的な練習をしていれば、自分と異なる意見に耳を傾ける習慣も自然とつき、議論をするベースが築かれるだろう」。

では、異なる二つの意見(テーズとアンチテーズ)を突き合わせて、最後にどっちが正しいと結論するのかというと、さにあらず。求められているのは別のことなのだ。「参考書の著者は続ける。『見つけた複数の答えをそれぞれ極端に押し進めてみる。異なる答えの相互の間に、対立点をたくさん見つけることは役に立つ』何の役に立つかというと、複数の説を極端に押し進めると、アポリア(相反する二つの説が共に成立する)に行き着くので、これら双方の説を調整して別の道を見つけるのが適当であると導き出す役に立つのだ」。しかもこのテーズ、アンチテーズから導くサンテーズである第三部は「第一部と第二部で扱ったことの混合であってはいけない」と参考書は諭し、「第一部と第二部で使わなかった考えを第三部のためにとっておけ」とアドバイスするのである。

ふーむ、なるほど。これがディセルタシオンの骨法であったのか! もっと早く知っておけば、論文を書くのに楽だったのに。しかしそれにしても、こうした教育法で鍛えられるフランス人は暗記詰め込みを金科玉条とする日本人とはなんと異なった国民となることだろう。教育により、日本人とフランス人は対蹠点(アンティポッド)に置かれることになるのだ。

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ところで、超エリート校として知られるエコール・ノルマル・シューペリュールはじつはリセの哲学級でディセルタシオンの書き方を教える高校教員養成の学校なのであり、卒業生はまず地方の高校に派遣される。一九三一年にノルマルを出たシモーヌ・ヴェイユも中央山塊のル・ピュイのリセに赴任するが、そこでヴェイユが教えたのはこうしたディセルタシオンの書き方(技術論)ではなく、それを駆使した本物の哲学であった。それもあってか、どのリセでもヴェイユは問題を起こし、トロツキスト系の組合活動でも物議をかもす。しかし、彼女をそれ以上に苦しめたのは激しい偏頭痛であった。ヴェイユはこの頭痛から、レ・ミゼラブル(みじめな人たち)に襲いかかる不幸(重力)と、そこから自己救済を図るための恩寵という二項対立的概念を考え出し、その対立をディセルタシオン文法に従って極端に推し進めてゆく。遺稿『重力と恩寵』(冨原眞弓訳 岩波文庫 1130円+税)はこうした極端化された思考をアフォリスム形式で開陳したものである。

重力と恩寵  / シモーヌ・ヴェイユ
重力と恩寵
  • 著者:シモーヌ・ヴェイユ
  • 翻訳:冨原 眞弓
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:文庫(464ページ)
  • 発売日:2017-03-17
  • ISBN-10:4003369041
  • ISBN-13:978-4003369043
内容紹介:
たとえこの身が泥の塊となりはてても、なにひとつ穢さずにいたい―たえまなく襲いかかる不幸=重力により、自らの魂を貶めざるをえない人間。善・美・意味から引きはがされた真空状態で、恩寵のみが穢れをまぬかれる道を示す。戦火のなかでも、究極の純粋さを志したヴェイユ。深い内省の跡を伝える雑記帳からの新校訂版。

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頭痛に襲われて痛みがひどくなる途上で、(中略)だれかの額のきっかりおなじ箇所を殴って、そのひとを苦しめてやりたいという烈しい願望をつのらせたことがあるのを、忘れてはならない」「他者の額のおなじ箇所を殴りたいという欲求。自分の苦しみをそっくり他者にもこうむらせたいという願望。(中略)みじめな境遇の人びとの怨嗟は同類の人びとへとむけられる。これが社会を安定させる一因である

重力(絶対的不幸)に引きずられていく「社会格差の被害者」が増加すればするだけ、革命の機会は減じ、社会は安定するのである。なんというパラドックス。なぜなら、重力に引きずられる人たちはその怨嗟を自分と同等の人あるいは自分よりもみじめな人たちに向け、道連れにしようとするからだ。これこそがトランプ現象やファシズムの原因なのである。

かたわらで働く奴隷仲間に罰をうけさせるといった目的にさえも。もはや目的をえり好みする余裕はない。なんにせよ溺れる者にとっての藁にひとしいのだから

頭痛に悩まされながら自ら志願してルノー工場で働き、迫り来るナチズムとスターリニズムの脅威にさらされたヴェイユはアメリカへの亡命を図るが、その過程で重力と恩寵をアンティポッドとする独特の哲学を得る。

善きわざを実践しつつも、善きわざなどぜったいに不可能なのだと、魂のすべてをあげて自覚していなければならない」「純粋かつ不可能な善へとひたすら注意と意図を方向づけつつ、純粋な善の望ましさと不可能性とを虚言で蔽いかくすことなく達成しうる行動、それこそが善きわざである

この哲学をカミュ的に理解し、具現化したものが『ペスト』であることはよく知られている。ヴェイユの思想的強靭さをよく表現しえた良訳である。
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週刊文春 2017年4月6日

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