対談・鼎談

鯖田 豊之『水道の文化』(新潮社)|丸谷 才一+木村 尚三郎+山崎 正和の読書鼎談

  • 2023/06/25
水道の文化―西欧と日本 / 鯖田 豊之
水道の文化―西欧と日本
  • 著者:鯖田 豊之
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:ハードカバー(285ページ)
  • 発売日:1983-10-01
  • ISBN-10:4106002485
  • ISBN-13:978-4106002489

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丸谷 始める前に一言だけ。前回とりあげた『結婚の起源』で言い落とした感想があるんです。というのは‟結婚の起源”という壮大な仮説のせいか、それともセックス論のせいでそうなのか、何だか大がかりな冗談を聞いてるような感じがしたんですね。(笑)

山崎 もともと猥談には、物を誇張する性格があるでしょう、古今東西を問わず。巨根伝説をはじめとして。(笑)

丸谷 そうそう。セックスに関する話だから冗談ぽくなる。それはまあ当り前だけれど、仮説というのも、とかく冗談めいてくるという面があるんじゃないでしょうか。何しろ常識をひっくり返すわけだもの、ブラック・ホールにしても、ヤマタイ国がどこにあったかなんて話にしても、普通の読者には何となく冗談みたいに聞こえる。新しい学説の紹介を読んでわれわれがおもしろがるのは、一つにはそういうところがある。

山崎 それは重大なポイントだな。「前回の付けたり」を今回は特別にいれましょう。(笑)

木村 では本題に入りまして、一冊目の『水道の文化』。これは上下水道のあり方について、ヨーロッパと日本を対比し、文化論的意味づけを試みた本です。

ヨーロッパでは河川による水運が、今日でも貨物運送の中で、一番大きな比重を占めていまして、次いで鉄道、トラック便。ところが日本では、河川による水運は二十世紀に入って断念されました。それは日本の川がもともと水運に不向きなうえ、江戸時代には有(も)っていた河川についての知恵が失われた。つまり、水運には河川の流量が一定であるということが大事なんですが、江戸時代にはまだ、中流の堤防の所どころに切れ目をつくったり(かすみ堤)、洪水のときには水を広い原野(遊水池)に溢れさせたりして、下流の水量があまりふえないような配慮があった。そういう「低水工事」に対し一九〇〇年ごろから、上流にたまった水は高い堤防で封じこめ、早く海へ流してしまおうという「高水工事」が主流になり、そのため日本の川は洪水でなければ渇水という状態になってしまった、というわけです。

ところで、ヨーロッパでは、河川による水運が盛んであっただけに、交通路としての川の水は汚くて、都市の飲料水としてはふさわしくないという思いがあった。とはいえ井戸水や泉の水だけではとても足りませんから、川の水を採ってきて飲むという状態が十九世紀半ばごろまで続いたわけです。一方では屎尿(しにょう)を川へたれ流しにしている。その「うすめられた下水」を飲み水に使わざるをえない……。(笑)そういう反省から近代になって上下水道の整備が行われました。これには一つのエピソードがありまして、コレラの流行の原因をめぐって、ドイツ帝国衛生局のコッホと、ミュンヘン大学員外教授のペッテンコッファーが論争を行った。コッホはコレラ菌こそ原因であるという。ペッテンコッファーは、空気がミアスマというものによって汚染されているからだ、それを防ぐには下水を整備すればいいと主張したわけです。結果的には誤っていたこのミアスマ説によって、ヨーロッパの下水道が大いに発達したというんですから、まさに「ケガの功名」ですね。(笑)ちなみにペッテンコッファーは非常に激しい人だったらしく、コレラ菌が体内に入っただけでは発病しないと、自ら菌を飲んで実験してみたというんです。(笑)

丸谷 で、実際にかからなかったんですね。

木村 ええ、ちょっと下痢しただけ。(笑)

山崎 しかし壮絶ですね。彼は七十になって総入れ歯、糖尿で体はがたがた。それでも若いライバル、コッホが現れると、反論するために菌を飲んでみせる。

木村 学者同士の決闘ですね。

山崎 そうですね。日本の学者はよくいえば柔軟なのでしょうが、自己主張するのにこれほどの気迫はない。彼は頭がぼけてきたといって、最後に自殺するんですね。ちょっと粛然とします。

木村 こうしてパリやロンドン、その他の都市でも上下水道が整備されるんですが、ヨーロッパでは川の水は汚いという考えがあるからでしょう、上水道の場合には川から採った水をそのまま処理し、飲料水として使うようなことをしない。いったん地下にもぐらせて地下水にし、二十日から五十日もかけて自然濾過(ろか)するんですね。

ところが日本では地表水を採り、塩素で消毒して、わずか五、六時間で水道水に仕上げてしまう。

よくヨーロッパは自然を征服し、日本は自然と親しむ生き方をとってきたといわれるけれど、上下水道に関する限り、この常識は逆になると、鯖田さんは指摘しています。むしろ日本の方がより人工的だというわけです。

下水道の場合もそうで、ヨーロッパでは第一次処理、第二次処理でやりくりし、あとは自然浄化に頼ろうとする。ところが日本ではさらに第三次処理まで導入しようとする。

わが国は下水を放流する前の終末処理が非常に厳格で、そのため下水道が普及しなかった。ヨーロッパでは終末処理こそ遅れているものの、下水道網は大変整備されている――そういった対比を検討したうえ、鯖田さんはヨーロッパに軍配をあげているわけですが、この本はこれからの都市を考えるうえで、大きな問題を提起した良書だと思います。

丸谷 名前は忘れましたが、ある地理学者の随筆に、学生時代、陸地測量部でアルバイトをしたときの話がありました。測量部の人夫たちは川で立小便をする。四間くらい下で洗濯をしていても平気で、「三間流れて水清し」などと言いながらする。あれにはすっかりあきれてしまった。そんな内容でした。

この「三間流れて水清し」というのは、川の自浄性に対する過大な信頼なわけです。だから日本人は地表水を水道にして飲んでも平気なんでしょうね。この信頼は遡(さかのぼ)ると山水画や、さらには天地自然に対する呪術的信仰から生じている。

そう考えると、われわれの現代生活の中にも古代の呪術的なものが妙なふうにまぎれこんできていることがわかる。まあこんな種類の感想を次々と誘うような本でした。

これも一種の歴史の本と考えてもいいと思いますが、いったいに日本史の本は、日本の悪口を言い詰めにいう本——その典型は戦後のマルクス主義者の書いた歴史ですが、それと日本をむやみに褒めてばかりいる本——これの典型は戦前の小学国史と平泉澄の皇国史観ですが、この二つの極端に分れる傾向があると思います。しかし両方とも間違っていることは、常識で考えてすぐ分ることで、第一、美点はすぐに欠点を生むし、欠点は美点を生む。むしろ美点と欠点のからみあいが、歴史の実体を見るうえで大切なんですね。

そのためには、ほかの国の歴史との詳しい比較検討が必要なわけで、西洋史学の鯖田さんがお書きになったこの本は、そのへんのところが大変きちんとしている。日本歴史の書き方という点で、立派な指針になっています。

山崎 人間の体でいうと、入れることと出すことについての文化を一度にお書きになった、目のつけどころは大変面白いと思うんです。私自身は、この中で、上水道よりも下水道の問題に興味をそそられました。

というのは、西洋と日本を比較した場合、まず自然の構造が違う。西洋の川はゆっくり流れて、水運に便利である。日本の川は急流で、汚物でも何でも一度に押し流してしまう。が、水運にむかない。

丸谷 ちょっと口をはさみますと、伊東光晴さんが中国へ旅行したとき、川のほとりで「中国の川は緩やかですね。流れているかどうか分らない」と言ったんですって。すると側にいた中国の人が「日本の川に比べればそうでしょう。あれは川ってものじゃありません」。少しばかり愛国心にかられた伊東さんが「川でなければ何ですか?」と聞いたら「あれは滝ですよ」。(笑)滝なら舟が通行できないのは当り前だよね。

木村 ヨーロッパ人も日本の川は滝だっていいますね。

山崎 さらに根本的なことは、鯖田さんが指摘されているように、屎尿処理についての文明論的相違があるんです。まず日本と西洋では、都市の構造が違う。前々回にも話したことですが、西洋の都市は卵の殻のように閉じられていて、中の人口密度が濃い。一方、日本の都市は外に開かれていて、人口密度は薄い。内と外という感覚があまりなかったんです。それに加えて、日本では都市から出る排泄物を農業に還元するというシステムができていた。農家の人が屎尿を汲みにくるという風景は近年まで見られました。それに対し西洋には、屎尿をまったくの廃棄物として、都市の外に抛(ほう)り出すという考え方しかなかった。

西洋の都市が汚かったという話は聞いていたんですが、この本にはとても具体的に描かれています。ロンドン・ブリッジの上に有料トイレが何と百三十八軒あって日夜たれ流していたとか、パリでは夜な夜な窓から道路に向って「ギャルデ・ロー!(水に注意!)」と叫びながら便器の内容物を投げ落していた。(笑)

こういう状態なら、誰だって下水道を作らなければならないと考えるのは当然ですね。

いいかえますと、ヨーロッパでは都市と農村との差別感が非常に大きかった。それは丸谷さんがおっしゃった中国でも同じでしょうけれど。

丸谷 その具体的な表現が、西洋や中国の城壁ですね。

山崎 まさにおっしゃる通り、中国の場合、城壁の外は夷狄(いてき)同様で、戦争が起ったら締め出して、見殺しにしてもかまわないという感じでしょう。

木村 日本では、都市と農村が馴染み合っているんですね。ヨーロッパでは、都市と農村ではもともと支配者も違う。都市は周辺の農村と結びたくとも結べないという事情もあり、自衛するという孤独な生き方をとってきたんですね。

山崎 そこで西洋人にとって下水とは、都市の汚物を外に拋り出すための手段だった。あとは野となれ山となれ、なんですね。ところが日本では、汚いものを無責任に外に拋り出していいとは考えなかった。——この思想を近代に持ってくると、もし下水道をつくるなら、厳しい終末処理をすべきである、ということになる。

鯖田さんは、日本が終末処理にこだわりすぎたため下水道が普及しなかったことを批判していらっしゃるけれど、私はむしろ、終末処理ができないようなら、下水道は普及すべきでないという日本人の考えのほうが正しいと思うんです。

木村 日本では、ヨーロッパ以上にヨーロッパ的になるということがありますね。たとえば西洋医学が入ってくると、それまでの漢方はきれいに忘れてしまう。そして合理的な西洋医学を有難がり、薬漬けといわれるほど、大量の薬を飲むわけです。ところがヨーロッパでは、いまでも煎じ薬が広く使われていますし、風邪をひいたときは、それすら使わずに、熱いお湯に足をつけ、汗を流して治す。

ヨーロッパは合理主義を重んじ、日本は自然との調和を考えると普通いいますけれど、ヨーロッパの合理主義は、いわば表の顔、たてまえです。その一方では、自然との調和の思想が、隠し味として存在している。いわば煎じ薬を認めた上での西洋医学なのに、それが日本では、ヨーロッパ化というと合理主義だけが強調される。特に戦後は急速な都市化で、頼りになる欧米先進諸国の知恵が、欧米以上に重視されることになった。それが汚水の人工処理をヨーロッパ以上に徹底化させた、ともいえるんじゃありませんか。

山崎 いや、私は、その点にちょっとこだわりますが、日本の終末処理の思想というのは、世界に誇るべき財産だと思います。すでに西洋風の下水処理の結果が、——もちろん工業廃棄物を加えてですが、自然環境の破壊となって現れているわけです。日本ではたしかに六十年代に環境破壊が大きな問題になりました。しかしわずか二十数年後の現在では、日本の環境管理は世界一なんです。それはやはり、終末処理に非常に神経を注いできた日本人の伝統的な考え方によるんではないか。そこは評価しなければいけないと思うんです。

もう一つ、日本人は、いまでも汚物に対して中央集中的処理に頼っていないんですね。郊外住宅では大体、活性汚泥法による浄化槽をつけている。少なくとも屎尿に関しては、各家庭の出口で処理をしてから流しているわけです。

その結果、郊外住宅地には巨大な下水道はありませんけれど、別にコレラも起りませんし、赤痢も出ない。そして出てくる水もそう汚くない。金魚が飼えるほどの水が便所の出口から出てくる。

木村 ただ、東京、横浜、川崎などの大都市はみな中央処理をやっているわけです。それぞれの家庭での浄化槽は廃止して、全体をまとめて処理する方向に、行政はむかっています。

山崎 いや、それこそ声を大にして批判すべき思想だと思う。なぜすべてを中央集中にしなければいけないか。現実に多元的分散方式でうまくいっている所もあるのに、中央集中だけにこだわるのは官僚のひとりよがりです。

木村 日本では水洗と浄化槽がワンセットになっていますから、各家庭の水洗化にはお金がかかりますよ。

山崎 お金は中央集中だってかかるんです。それは魔法で出てくるわけじゃない。税金から出ている。全体としてどちらがお金がかかるかは分りませんね。

木村 しかし各々の家庭に負担がかかれば、ことに低所得者層の家庭で水洗化が難しい。水洗化が、一定以上は普及しないから困るわけです。

山崎 普及しなかったらどうなります? 汲み取り式にかえらざるをえないが、それこそ農作物に屎尿を還元する理想的方法です。(笑)

木村 ただ、いまは汲み取りしたものを畑に撒くことはありえないでしょう。

山崎 だからこそ、めいめいで工夫して汚物を流さないようにするか、さもなければたくさんの税金を払って役人に仕事をさせるか、どちらかしかない。前者にして、その分、税金をまけるというのが正しいあり方だと思いますよ。

ごめんなさい、本の話からはずれてしまいましたが……。

丸谷 この本は大変いい本ではあるけれど、水が味をもっているという感じがないですねえ。昔から日本人が理想としてきた水と茶道との関係とか、西洋の水と紅茶の関係とか、そういう具体的解明がないのは、非常に惜しい。

それと、これだけ褒めたあとだから勘弁してほしいんですけど、もうちょっといい文章だったら、どんなによかったかという感じがします。例えば一五七ページ……。

山崎 丸谷才一「文章読本」。(笑)

丸谷 〈日本では私企業のいきすぎた地下水くみあげの結果、大都市周辺では地盤沈下がおこり、あわてて地下水の利用を規制しなければならなかった。ハンブルグはあべこべだった。こうなったのは上水道用地下水のくみあげが優先されたばかりか、保護地域内では、経済活動が禁止されたからだった〉

歴史だから過去の話です。でも、過去の話だからといって、全部過去形で書く必要があるでしょうか。こういうふうにタ、タ、タとくると、頭の中でもタッタッタッと原始人の音楽のような音が響くだけで、内容が頭に入りにくい。

山崎 前半は視点をいろいろ変え、面白く読ませる工夫がされているんですが、後半では、やたらにあちこちの国について、同じ次元の事実報告が重なって、少し退屈になりますね。

木村 弁護論を申しますと、普通、歴史家は文献資料に頼って仕事をするわけです。鯖田さんも歴史家なんですが、今度は自分の足で丹念に歩き回ってデータを集めてきた。日本では未開拓の分野だけに、その生々しい体験、具体的なデータをとにかく吐露したいという気持のあらわれだと思いますね。

丸谷 鯖田さんによれば、ルイ十四世がヴェルサイユに移ったのは、ルーヴル宮の屎尿の臭いがプンプンして、とてもたまらなかったからだ、そのせいで王とパリの市民は心が離れてしまい、それがフランス革命の遠因の一つになったというんですね。(笑)

木村 概説書には書いてありませんが、面白い。(笑)こういう潜在心理的な要素にも、歴史学はこれから目をむけてゆく必要があります。

丸谷 こういうことは、いわゆる生活史の目で見て、初めて把(とら)えられるんだと思いますが、生活史というものがどうして生じてきたのでしょう。

ぼくの考えでは、一般史はまず政治史中心だった。次には経済史、社会史……いろいろやってみたけれども、うまくいかなかった。そのときふと文化史というものがある。文化史といっても思想史や美術史ではなくて、もっと低い文化、つまり文明ってやつ。それで考えたら、かえって過去の実体がわかるんじゃないか、というところから始まったのが生活史なんじゃないかと思うんですが、専門家として木村さん、解説をお願いします。

木村 時代の変化も、影響していると思いますね。つまり高度成長期には、国家目標を定め、産業化を促進したいというので、政治史、経済史がかえりみられた。ところが現在のような低成長期では、明日のために今日を犠牲にしようという考えはなくなってくる。今日は苦しくても明日は必ずよくなるという見通しがないわけです。そうであれば、一日一日の生活の質を高めていくほうに人々の関心がむく。

これは現在の日本だけではなく、十四、五世紀から十八世紀のヨーロッパでも低成長経済の時代があったんですが、このときも同じように生活に対する関心が強くなっていきます。十四世紀末に「メナジエ・ド・パリ」という家事の本がありまして、これは六十歳のおじいちゃんが、十六歳の妻のために書いたものです。私は必ず先に死ぬ。すると妻は他家へ嫁にいくだろう、そのとき家事ができなければ、最初の夫である私が恥かしい……(笑)と、料理の仕方から、教会へ行くときの態度まで、実にこまごまと書いてあります。日本でも新田開発がストップした江戸中期から後期の低成長期に、農民一揆や間引きの一方で、刺身、てんぷら、鮨(すし)などの食や祭りなどの生活文化が花開いています。

同じような低成長の状況がいまあって、それで普段着の生活史に、ヨーロッパでも日本でも大きな関心が寄せられるようになったのではないか。私はそう考えています。

水道の文化―西欧と日本 / 鯖田 豊之
水道の文化―西欧と日本
  • 著者:鯖田 豊之
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:ハードカバー(285ページ)
  • 発売日:1983-10-01
  • ISBN-10:4106002485
  • ISBN-13:978-4106002489

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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文藝春秋

文藝春秋 1984年4月

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