日常景観、企業主導型で危機に
著者はマドリード工科大で修士号、東京工大で博士号を取得。慶応大学で教鞭を執る、流暢な日本語を喋る建築・都市デザイン研究者である。東京は「なぜ」「どのように」東京になったのか。「東京学」は戦後幾度も語られてきたが、居住エリアの比較をマドリードと東京で実証研究したこともある著者には、それが日本文化異質論の亜種に映るらしい。安易に「民族的傾向」に還元せず、データベースを読み解き特徴を可視化すれば、東京の街並みは法規制や経済性に起因する。この見方には賛成だ。評者は日本の日常景観が経済活動の副産物として形成されたと考えるからである。
道路に関して言うと、かつて往来は出会いや発見の場だった。ところが警察庁が管轄し歩行者よりも自動車、滞在よりも移動を優先すると、偶発性は封じられてしまう。一方、近代化で水路がドブ川になり、蓋をして「暗渠(あんきょ)」になると、自動車は重量から通行できなくなる。そこで街路でなく緑地に法的に指定された暗渠では、管理が自治体に移り、ベンチを多数置いてくつろぎの空間へと激変するケースがある。
著者はそのような東京独自の「創発的エコシステム」として、横丁、雑居ビル、高架下建築、暗渠ストリート、低層密集地域の五つに注目している。住民が「秩序や機能をボトムアップで自発的に創造」しているとして、3例ずつ環境、詳細、店舗の断面パース・平面パース、隙間空間のマッピングなど美しい図を付し紹介している。
都市計画家と行政がトップダウンで設計したマスタープランや大企業主導の再開発は、海外にはありふれている。家族や個人が少ない資金で起業した小規模な店舗群が、競争しつつも協力・共存し、「集積の経済」を自生させた現象こそが瞠目に値する。多孔質で透過性あるネットワークが特徴の親密な空間だ。
水平な横丁を垂直にしたのが雑居ビル、という表現には膝を打った。新宿・靖国通りの雑居ビルは不思議なことに事業者が入れ替わり個々のサインや看板が変わっても建築的統一感が維持されているが、そこから新宿・ゴールデン街という横丁へ向かう「深夜食堂」のオープニング映像は、東京独自の情景だったのだ。
それ以外にも、高架下建築ではアメ横や高円寺駅西、暗渠ストリートでは代々木裏や九品仏川緑道、低層密集地域では月島や北白金が紹介される。地下鉄が通るまえの1970年代、植木鉢の緑溢れる月島の路地に魅せられて通った評者としては、本書で図解されたアーバンな美こそが東京なのだと共感する。
ところがそうした日常景観は、企業主導型のアーバニズムによって危機に瀕している。アークヒルズを嚆矢とする低層階に商業施設を入れた超高層タワーは、「規模の経済」を追求し周辺を威圧して、上空という公共空間を私物化している。国策で支持されているが、むしろ創発性の欠如と凡庸さで日本の没落を加速させている。
ギリシャ料理屋からウズベキスタンワイン店まで並ぶ西荻窪の柳小路も、不動産会社が地権者で高層ビルと化す可能性があるという。あの奇跡的なカオス感が閉鎖的なビルに置き換わるなら、西荻窪の魅力は半減するだろう。