「やりたい」を引き出すデザイン
今回の震災で得た教訓のひとつは、国なんかアテにならないということである。菅が無能だからといって、自民党に能力があるとは思えない。脱原発を決めたイタリア国民を集団ヒステリー呼ばわりするようなヤツが幹事長だもの。いまや世界にとって日本は北朝鮮よりもメイワクな存在なのに。総理大臣なんて誰がやっても五十歩百歩。ポスト菅はくじ引きで決めればいい。ダメな首相でも「ハズレだったね」と思えば腹立ちもやわらぐ。国がダメなら、自分の身は自分で守るしかない。国やマスコミのいうことは眉に唾して聞き、最終的な判断は自分で下そう。
でも、ひとりでやれることには限りがある。そういうときは、顔を見知ったご近所さんである。
しかし、ご近所さんとの関係づくりは難しい。突然、「仲良くなりませんか」といっても怪しまれるだけ。山崎亮『コミュニティデザイン』は、そんなとき参考になる一冊かもしれない。まちづくりのワークショップなどをオーガナイズしてきた著者による、実践的コミュニティづくり入門である。
目次には魅力的な言葉がたくさんある。〈「つくらない」デザインとの出会い〉〈つくるのをやめると、人が見えてきた〉〈公園を「つくらない」〉〈ひとりでデザインしない〉……など。
大学でランドスケープデザインを学んだ著者は、大きな公園の事業にかかわった。当初はどんな施設をつくれば、来園者が喜んで使うだろうかと考える。しかし現実の利用者と向き合ううちに、重要なのはハード(施設)ではなくソフト(使いかた)だと気づく。
いくら立派な建物があっても、そこを使って何かやりたいという人が集まらないとコミュニティはできない。「やりたい」を引き出し、うまく後押しするのがコミュニティデザインの仕事だ。
大阪の失敗例と栃木県益子町の成功例の対比が面白い。エラい人たちが綱引きをしている間にボランティアの熱が冷めた。やっぱり国や行政は頼りにならない。