書評
『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会)
日本全国の宅地開発の歩みを捉える
日本の近代の市民社会や都市文化を考える時、どうしても、”郊外住宅”
を無視するわけにはいかない。理由を論証ぬきで言うなら、近代という時代は郊外住宅を棲家としてきた、と思われるからだ。私も私の知人もたいてい電車の通う郊外に住んでいる。
しかし、今は誰でも住むそのような住宅地は、近代以前にはなかった。日本でもヨーロッパでも、近代以前の長い長い間、住まいというものは、壁なり線(日本の場合)で限定された狭い都市の内部に集められるか、それともその外にどこまでも広がる田園地帯に農家として散在するか、どっちかだった。
近代になり、サラリーマンという新しい階層が生まれ、そうしたぶ厚い階層の受け容れ先として、既存の都市の外に広がる田畑や村が切り開かれ、郊外住宅地が生まれ、そこに住んだ人々によって、現在私たちがドップリ漬かる生活様式と文化がもたらされた。
このことはちょっとこの方面に関心のある人には言うまでもない常識なのだが、しかし、自分の読書歴を振り返ってほしい。東京と阪神間の二地区以外で郊外住宅の件を読んだり聞いたりしたことはあっただろうか。
近代=サラリーマン=郊外住宅、という等式が成り立つとするなら、札幌でも名古屋でも京都、大阪、広島、博多どこにでもあった話だろう。しかし、これまで、東京の田園調布や阪神間の住宅地ばかり繰り返し取り上げられ、それ以外にはサラリーマンはおらず、郊外住宅地などない、ような扱いがされてきた。
その空白を一気に埋める本が出た(鹿島出版会)。“日本郊外住宅地図”のような手間ひまかかる仕事をよくまあやり抜いたものと、ページをめくりながらあきれた。とにかく、戦前になされた千五百もの郊外住宅地開発の事例をピックアップしている。日本全国たいていの都市の周辺で、畑をつぶし林を開いて、学校の先生や役所勤めや会社勤めの人のために、ちょっとしたおしゃれな住宅が作られていた。
千五百のうちから個性的な三十例について、図と写真入りで詳しく扱われているのだが、これが面白い。
たとえば、良好な住宅地が不足していた札幌では、大正期のこと、札幌農学校の先生方が寄り集まって、医学系は「医学部文化村」を、農学校の先生方は「桑園博士町」を作っている。さすがに先生方もテレくさくて、自らは「博士町」とは言わず「文化村」と呼んだそうだが。
サラリーマンあるところ郊外住宅地あり、の原型は軍港都市呉の場合も変わらない。瀬戸内の人口一万数千の町が、明治から昭和時代にかけ三十五万人までふくれあがるのだから、新来の官民合わせて三十万人以上はどっか新しい場所に住むしかない。しかし、軍港にいいような場所は、陸地が海に急傾斜ですべり込むところだから、住宅用の平地があろうはずもない。ここに世にも・珍しい”呉の階段住宅”が開発される。道というものはない。通路はすべて階段。そして、今は、「車社会の時代性に逆行した階段の上にある立地性が『幸い』して、住宅の建て替えもほとんどないまま、現在でも往時の姿を残している」(砂本文彦)
家建てて天に至る日本の郊外住宅なのである。
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