書評
『東京の都市計画』(岩波書店)
骨抜きされた後藤新平の震災復興計画
問題だらけでこのままでは香港になるんじゃないかと疑われるわが東京だが、神宮外苑をはじめとする公園とか郊外の住宅地とか捨てがたい風情を持つストック(遺産)もないわけではない。こうしたストックは自然になんとなくたまってきたみたいだが、そのようなうまい話は貯金と同じで絶対ない。少しでもイイナと思えるような蓄積はかならず過去の都市計画によって準備されたことが、この本『東京の都市計画』(岩波新書)を読むと分かる。
もう一つ分かることがあって、こちらの方が僕には興味深かったが、日本の都市計画が、震災復興計画、戦災復興計画と、いかに骨抜きされてきたか。
たとえば、後藤新平によって立案された震災復興の計画が次第にしぼんでゆく複雑な経過が分かりやすく述べられている。
後藤の「大風呂敷」と世に言われた計画は、実はけっして大風呂敷ではなく、大蔵大臣・井上準之助によって、
日本の財政から言うと……一番最高極度にやれる金が七億何千万円、八億くらいのものでしょう。これでやるほかない。
と財政的に裏づけられていたし、だから政府原案として内閣で認められたのだが、いざ発表されてみると、さまざまな勢力が自己の狭い権限を守るためたたきにかかる。
枢密顧問官の伊藤巳代治は、自分が都内の大地主であったこともあって、道路や公園などの整備に私有地が削られることから計画全体を不用とし、また議会で多数派を占める政友会は、農村を票田としていたし、これを機に山本内閣に揺さぶりをかけようと予算の削減はむろん、帝都復興院の事務費を全額カットしてしまう。
事務費がなければ行政は動けない。都市全体の利益を考えるべき政治家たちさえこのていたらくだから、小さな土地を持つ市民が木を見て森を見ないのは当然で、世論は反対に傾く。
多数派政党と世論の反対に抗し、からくも計画の崩壊を防いだのは内務省系の官僚と都市計画学者だった。
かくして、なんとか事業が始まるが、いたるところから反対がころがり出る。たとえば、地域のセンター化をねらい小公園の隣接する復興小学校については、建築学者の佐野利器(さのとしかた)が最新技術で作ろうとすると、「教育局は小学校に水洗便所や暖房は贅沢だといい、また畳を敷いた作法室を設けるよう強く主張した。これに対して佐野利器は『……子供を通して市民の衛生思想を高めたい』と念願していたため、譲らなかった。また、作法室については、『今日は理科教育と公民教育とが一番大切だ。理科教室なら工夫して整備しよう。今はお辞儀の稽古の時代ではない』と譲らなかった」。
このように政治家と世論の逆風に抗しながら、官僚と学者のがんばりで、東京はなんとか大震災から立ち直ったのだが、それにしても不十分だった。
それから六十年して昭和五十年のこと、昭和天皇は、震災復興について次のように回想された。
復興に当って後藤新平が非常に膨大な計画を立てた。……もし、それが実行されていたら、おそらく東京の戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時の計画が実行されないことを非常に残念に思います。
開戦のことといい、「あの時の計画」についてはあの時に言っておいてほしかった。
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