買う人がいなければ殺されることはない
書籍の中間部に差し込まれたカラー写真を見て、言葉を失う。ケニアの国立公園に生息していた人気ゾウ「サタオ」があたかも巨岩のようにうずくまり、死に絶えている。巨大な牙を奪い、大金に変える密猟者によって、顔面がえぐり取られていた。1940年代には500万頭いたとされるアフリカゾウが、2010年代には約50万頭にまで激減した。象牙を「成功の証」として買い求める中国、そして印鑑用に使用する日本など、異国の人々のステイタスのために、顔をえぐられ、捨てられるゾウたち。1頭仕留めれば一年分の年収が稼げるとなれば、子ゾウでさえも容赦無く殺(あや)める。
密猟組織のドンを追う著者に集まる断片的な情報が、混迷を極める。「奴は絶対に捕まることがない」「完全に守られているからな」「誰に?」「決まっているだろう」「中国大使館(チャイニーズ・エンバシー)にだよ」。
「奴」が守られているならば、当然、追いかける身が狙われる。行動は完全に把握される。追いかければ、追いかけられる。縛られた手足をほどきながら立ち向かうのではなく、たとえ縛られていたとしても、密猟の実態を暴きにかかる前のめりな姿勢を、息をのんで読み進める。悪を突き止めたと思いきや、その悪が、背後から迫ってくる。
現地で出会った、野生ゾウの保護活動に勤しむ女性が言う。「問題の解決方法は実はとっても簡単なんです。『象牙を買わない』。それだけなの」。なぜ、ゾウが殺されるのか。なぜ、象牙が高値で密輸されるのか。買う人がいるからだ。買う人がいなければ密輸されることもなくなる。殺されることもなくなる。消費しなければゾウは生きる。
ゾウを守ろうとする各国の連帯に、それでもまだ乗っからない国がある。どこか。私たちが暮らす日本だったのである。