読書日記

グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ(上)』(岩波書店)、今井 むつみ,秋田 喜美『言語の本質』(中央公論新社)

  • 2023/08/11

父娘の対話、言語の起源

×月×日

五月の連休直後に十日間ほどパリに行ってきた。外国に行くと日本がひどく貧乏な国だということがよくわかる。重商主義を続けて、国民への還元がなければ、こうなるのは当たりまえだが、政府はそれに気づきもしない。

機中ではグレゴリー・ベイトソン『精神の生態学へ』上(佐藤良明訳 岩波文庫 一〇五〇円+税)を読む。文化人類学者マーガレット・ミードとの間にもうけた娘(後の文化人類学者メアリー・キャサリン)を架空の対談相手にしたダイアローグ的方法序説「メタローグ」が非常におもしろく、『思考の技術論』を上梓した人間としていちいち膝を打ちながら読めた。というのも表題となっている「メタローグ」とは「問題となっていることを単に論じるだけでなく、議論の構造が全体としてその内容を映し出すようなかたちで進行していく会話」と定義されているからだ。しかし、まだ上が出ただけなので、詳しくは上・中・下が完結したときに論じることにしたいが、序章で示された次の点だけは記憶にとどめておくべきだろう。

「科学の研究には起点が二つあり、その両方にしっかりと根ざしていなくてはいけないということだ。まず観察をなおざりにしてはならない。と同時に、基底的な原理から外れてはならない。つまり、一種の挟撃作戦を成功させる必要があるということだ」

精神の生態学へ ) / グレゴリー・ベイトソン
精神の生態学へ )
  • 著者:グレゴリー・ベイトソン
  • 翻訳:佐藤 良明
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:ペーパーバック(364ページ)
  • 発売日:2023-04-18
  • ISBN-10:4003860292
  • ISBN-13:978-4003860298
内容紹介:
ベイトソンの知的探究をたどる集大成。上巻は頭をほぐす父娘の対話から、分裂生成とプラトーの概念まで。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。


×月×日

言語、DNA、それに家族。最近、本屋で買う本はこの三つのジャンルに限られる。吉本隆明のいう「知の遠方志向性」が「起源を知りたい」という遡行的知識欲となってあらわれてきているらしい。

今井むつみ・秋田喜美『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書 九六〇円+税)は、言語で最も原初的な要素であるオノマトペ(ギリシャ語起源のフランス語)に注目することで、言語の起源と進化を考察しようとした野心的な試みである。

まず、オノマトペの原初性だが、それはアイコンと類似していることにある。ちなみにアイコンとは、表すもの(シニフィアン)と表されるもの(シニフィエ)が類似している記号と定義され、具体的にはデジタル・メディアの絵文字・顔文字などを指すが、オノマトペは「ニャンニャン」や「ピカピカ」など、シニフィアンとシニフィエが聴覚的・感覚的に似ている点でアイコンに近い。しかし、母語以外の話者にも理解可能なものと理解不可能なものがある。これが問題の出発点だ。

しからば、オノマトペは言語なのか否か? 著者たちは①コミュニケーション機能②意味性③超越性④継承性⑤習得可能性⑥生産性⑦経済性⑧離散性⑨恣意性⑩二重性という十の言語原則に照らしてオノマトペを吟味にかけ①〜⑧では〇、⑨⑩では△という答えを得るが、この吟味の過程でオノマトペは記号接地問題を解くヒントになりうると気づく。記号接地問題というのは、記号はどこかで対象と身体的に接地する経験を持っていなければ、たとえ別の記号で言い換えても、対象についての理解は得られないという問題である。

「この問題を考える上で、言語の特徴を持ちながら身体につながり、恣意的でありながらもアイコン性を持ち、離散的な性質を持ちながらも連続性を持つというオノマトペの特徴は、ミッシングリンクを埋める有望なピースとなる」

著者たちは、生後十一カ月の赤ちゃんに単語を聞かせモノを見せ、二つの合致・不一致により脳波が異なるという性質を利用して、丸い図形と尖った図形を用意し、「モマ」と「キピ」という音を赤ちゃんに与えたところ、合致(モマ=丸い、キピ=尖っている)のときと不一致では脳波が異なる反応を見せたことに注目する。つまり赤ちゃんは①音声がモノを示すことを知っているばかりか、②モノが音の感覚に合うのか否かも知っているのだ。

「脳が、音と対象の対応づけを生まれつきごく自然に行う。これが、ことばの音が身体に接地する最初の一歩を踏み出すきっかけになるのではないか」

こうした音とモノとの間の対応関係の発見は聾唖で盲目だったヘレン・ケラーにも可能だった。「ヘレンは、waterという綴りが名前だということに気づいたとき、すべてのモノには名前があるのだという閃きを得た。この閃きこそが『名づけの洞察』だ」

だが、「名づけの洞察」を得ただけでは子供は言語を使えるようにはならない。なぜなら、シニフィアンとシニフィエの関係は「一対一」ではなく「一対多」であるし、その組み合わせによる意味の創出には規則性があることを学んでいかなければならないからだ。オノマトペは子供にそうした「言語の大局観を与える」役割を果たしているのだ。

だが、ここで新たな問題が生じる。それは、言語はなぜオノマトペだけで成り立っていないのかということだ。むしろ、オノマトペから離れねば言語は言語とならない。ここで補助線となるのがニカラグア手話。

ニカラグア手話とは、サンディニスタ革命政権下で創設された全寮制視聴覚障害児学校の生徒たちの間から自然発生的に生まれた新手話言語のことを指す。内戦激化で放置された生徒たちは相互にコミュニケーションを取るため、それぞれ自宅で用いていた手話をもとにしてピジン手話をつくりだしたが、これが世代が下るごとに複雑化・洗練化されて世界最新言語となったのだ。

このニカラグア手話の進化の過程で興味深いのは「転がり落ちる」という動詞を表現するとき、第一世代では「転がり落ちる」様子と方向性をそのままリアルに写しとっていたのが、第二世代になるとこれを「転がる」動作と「落ちる」方向に、つまり二つの意味単位に分解して時間軸に並べたのである。ひとことでいえば、アナログ表現からデジタル表現へとシフトしたのだが、じつはオノマトペもこれと同じように進化し、アイコン性を薄めていくと同時に、分化してデジタル化し、多義性を獲得してゆく。つまり言語となってゆくのである。

だが、これですべてが解決したわけではない。「ニャンニャン」という言葉を聞いてそれがネコを指すことを覚えた子供はネコを示されたら「ニャンニャン」と答えられるが、チンパンジーはそうではないからだ。
「ことばの形式と対象の間には双方向性の関係性があるという、人間にとって当たり前のことは、動物にとっては当たり前ではないのである」

これは京大霊長類研究所のチンパンジーを使った実験で例証されているが、じつを言うと、逆はかならずしも真ならずだから、論理的に正しいのはむしろチンパンジーで、人間の子供ではない。人間の子供が特殊なのだ。

「対象↑記号の対応づけを学習したら、記号↑対象の対応づけも同時に学習する。人間が言語を学ぶときに当然だと思われるこの想定は、論理的には正しくない過剰一般化なのである」

ならば、人間はなぜこうした「論理的には正しくない過剰一般化」を行うことで言語を創り出したのだろうか? それはアメリカの哲学者パースが唱えた、結果から原因を仮説的に推論するタイプのアブダクション推論(仮説形成推論)、すなわち、対称性推論が参考になるが、しかし、この対称性推論にも二つの仮説がありうる。①ヒトの乳児には生まれながらに対称性推論を行うバイアスがある。②ヒトの乳児は経験を通じて対称性推論のバイアスを獲得していく。

実験の結果、①が有力と判明するが、チンパンジーにも対称性推論のできる個体がいる。いずれにしてもオノマトペから出発して、言語の起源に漸近線的に接近した知的刺激に満ちた一冊。本年度の新書大賞の有力候補。

言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか / 今井 むつみ,秋田 喜美
言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか
  • 著者:今井 むつみ,秋田 喜美
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(304ページ)
  • 発売日:2023-05-24
  • ISBN-10:4121027566
  • ISBN-13:978-4121027566
内容紹介:
なぜヒトだけが言語を持つのか?子どもはいかにことばを覚えるのか?学ぶ力を手がかりに言語の発達の謎に答え、ヒトの根源に迫る。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。




【関連オンラインイベント情報】2023/08/11 (金) 20:00 - 21:30 今井 むつみ × 鹿島 茂、今井むつみ/秋田喜美『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか 』(中公新書)を読む

書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REVIEWS」、ノンフィクション第54回はゲストに慶應義塾大学教授 今井 むつみさんをお迎えし、今井むつみ/秋田喜美『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか 』(中公新書)を読み解きます。
メインパーソナリティーは鹿島茂さん。

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