対談・鼎談

『星亨』有泉貞夫|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/07/31

木村 有泉さんなりの解釈はちゃんと出ていると、私は思います。帰国後、欧米の印象を質問する新聞記者に星は〈日本人ナゾ眼中二置クモノナシ、甚シキニ至リテハ日本ハ支那ノ属地クラヒニ思ヒ居ル者アリ〉と答えただけで、あとは語らなかったという。これを有泉さんは「洋行の裏面の目的――民主主義の国際連帯への彼の期待が完全に打ち砕かれた」せいだと、短くですが評している。ここが大きな鍵だと思う。それまでの星は自由主義的な、欧米的な発想にたけていた。それが結局は日本と欧米がいかに心理的に遠いかという、いまでも僕等の感ずることを、この洋行で痛感し、そこから内政マキャベリズムに転換していったんでしょうね。

山崎 そこのところに、私はこんな感想をもちました。彼が最初に二十五歳で英国に留学したとき――

人二生レテ何ノ用ニモ立タズ、只飲ミ食ヒシテ生涯ヲ送ルハ、馬猫ト同様実ニハヅカシキ事デアル

だから人間たるもの何か仕事をしなきゃいけない、とこう考えていた。で、次の洋行では「ただ生きているだけの人間」が「ただ存在しているだけの国家」に重なってしまった。そして「存在しているだけの国家」ではだめなので、何かをする国家、それは悪事かもしれないが、とにかく何かをする国家が大事なんだと考え始める。

つまり、個人的な人生観と、世界の中の日本についてのイメージが、こんなふうに重なるというのは、明治の大きな特色だと思うんです。

木村 いわば青春時代の国家の特色ですね。

山崎 当時の指導者というのは、多かれ少なかれ成り上がり者なんですね。維新をやった連中は足軽に毛のはえたようなものですし。単に政治家だけではなく漱石にしろ鴎外にしろ、さほど立派な家の出身ではない。自分が頑張らないと家族は飢え死にする。そういう自分の家の境遇と、列強の中で喘いでいる小さい日本のイメージが重なる。そのとき多くの民権論者も国権論者にかわるんです。

木村 つまり「私」のために働くのを隠し味にして、「公」のために働く。

山崎 そうそう。一方では、いい家の生まれで、家族の心配をする必要もなく、ただ理想論を考えてればいい人たちもいる。西周とか、星と同時代では馬場辰猪がそうですね。馬場の場合、本当に身軽で、風船玉のように飛び出して、最後はアメリカで野垂れ死にしてしまう。

その点、鴎外と星とは若干似ていますね。鴎外は最後まで「闘う家長」で家を捨てることができなかった。星も親孝行で、生涯妻を裏切らなかった。すってんてんになっても家族の生活だけは守っている。悪くいえば、それが彼の俗臭の原因かもしれませんが、よくいえぱ、そのおかげで、ある種の観念的思想による荒廃を免れている。理想に身を挺している人が、身辺に家族という重いものをせおっている、あるいは眼前の人間を傷つけるのはつらいという感覚をもっている、これは非常に健康なことだと思うんです。

木村 ぼくはロベスピエールを思い出しました。彼も家族思いで良き父親だった。そして、一方では狂的に多くの人を断頭台に送ったわけです。星亨は、

彼の妻を待つや、丁寧懇篤にして世間の多くの政客に見るべき醜態を露出せず

丸谷 名文ですね、その文章。

木村 ええ、私などとても書けない。(笑)そういう面があるとともに、一方では過激で、彼の残した憲法草案には「凡ソ国民ハ武器ヲ貯蔵シ及携帯スルノ権ヲ有ス」という一条がある。これ、凄いですね。

日本では刀狩以来、武士もろくに刀を抜かなかった。福沢諭吉が書いているけれど、町角のむこうから侍がやってくる。弱みを見せちゃいけないと道路の真中ヘツツッと出た。むこうもツツッと出てくる。これは大変だと、すれ違いざま、ビューッと数間走ってうしろを見たら、むこうも走っていた。(笑)実際には何百年も殺しあいのない状態が続いたあとで、こういう条項を憲法草案にいれるのは激しい。非日本的感覚ですね。

山崎 それと、彼の履歴を考えると、地縁的アイデンティティが何にもないんですね。横浜で育って大阪で学び、紀州公の世話になって東京に出る。たまたま選挙で、栃木県の一区から立候補するんだけれど、それも土着の候補者を叩き落として出たので、最後まで恨まれる。明治の日本人には珍しく「故郷」がないんです。

木村 そう、「有能な孤独」なんですね。

丸谷 そこはぼくも気にいりました。

あれは明治二十年ですか、伊藤博文が星を何とか抱き込みたいと陸奥宗光に相談するんですね。ところが陸奥はこういって反対したと、当時の各政派の内情分析をした文書にあるらしいんです。

彼若シ一タビ位置ヲ得レバ、(中略)民権主義ヲ此上ナキ大義ト心得、数万ノ旧知者同志者ノ為メニ、新知ノ閣下、一箇入ノ閣下、政治上ノ意見ヲ異ニシタル閣下二向ツテ弓ヲ曳クハ、不義非道ノ所行トハ心得ザルベシ

それで伊藤はなるほどといたく感心する。結局、陸奥は邪魔をしたわけですね。ところがこのやりとりを、ある人が星に聞かせたところ、

星氏ハ、陸奥氏ガ己レヲ忌ミ遠ザケタルヲ悟ラズ、我ヲ知ル者ハ陸奥氏ナリトテ、亦大ニ其識見二服シタリト云フ。星氏ノ愚直ナルハ、此一斑ヲ見テ全豹ヲ知ルベシ

この文章は、実に陸奥本人が書いたんだろうと有泉さんは推定しているんですが、そうであるかないかは別として、星亨という男の生涯はそれなりになかなか立派で、しかし奇妙に愚直であったという気がしますね。

木村 無茶苦茶をやる精神が彼にはあったということですね。獄中でキリスト教に入信した壮士たちがお祈りをしたのに対し、彼は一喝した。

アンナ声ヲ張リ上ゲ祈薦スルハ十七世紀頃ノ宗旨ニテ、今日ノ欧州ノ文明国デハ狂教ヲ以テ目セラレ居ル

なんて、これはでたらめ、無茶苦茶。(笑)ところが、みんなが黙っちゃって〈祈祷の声も止み、政談が復活し、獄中活気が蘇った〉とある。この無茶苦茶という精神は、いまの政治家にはないことですね。

山崎 そうですね、その無茶苦茶というのは、明治の精神の大きな特色だったと思うんです。いまの道徳的物指しで計ると、明治の日本人は悪いことばかりしていますが、あの無茶苦茶精神がなければ、多分あの世界情勢の中で、日本は国家として生きのびることは難しかったろうと思います。

木村 星って人、只者じゃないなと思ったのは、最後に教育改革にうちこむでしょう。いまの教科書は毒にも薬にもならない人間ばかり出てきて面白くないと、

有為の人間は他方に於て多少の瑕瑾(かきん)あるを免れぬのである。然(しか)るに瑕瑾ある人間は不可として、清浄無垢の人間……併(しかし)しながら何も為(し)ない人間……の歴史などばかりを教科書に羅列するのはいかぬ。異常の人が異常の事を為すに当って、時として輿論(よろん)に容(い)れられざることあるは免れ難い

これは自分のことをいってるんだと思うんですけれど、(笑)良くも悪しくもユニークという言葉があたる人ですね。

山崎 それと、ばらまき行政について有泉さんは興味深い指摘をしてますね。中央の政治、つまり日本が国際社会の中で外向きにやる政治と、国内の内向きの世論を結びつけないためにばらまき行政が始まった。これを最初に実験したのは、藩閥側のマキャベリスト三島通庸で、それを大いに引きついだのが星亨とその一派らしいんですが、それがその後の日本の政党政治の型をきめましたね。

不幸なことに、日本で政治の責任者たちは、つねに外を見ている。それは半分は正しいんです。日本は小国ですから、生きのびるために、軍艦を造り、そのために地租をあげる。ところが彼らは外ばかり見るあまり国内が見えない。逆に国内の反政府側は一切、世界が見えない、一地域の利益だけを考えている。

そうすると処方箋は簡単で、中央のことはまかせてくれ、そのかわりそちらには鉄道をしいてやる、工場を建ててやるぞ、ということになる。

ただ星亨の珍しいのは、彼は民党、つまり反藩閥政府側にいながら、世界が見えていた。したがって、彼はマキャベリズムで両方を結びつけざるをえなかったという面があるんでしょうね。

丸谷 この本を読むと、どうしても「最近の一例」との比較が頭に浮かんでくる。ところが星は「最近の一例」とは、まったく違うんですね。(笑)

つまり、マキャベリズムというのは、何か政治的理想があって、そのために権謀術数を弄する。私腹は肥さない。星亨の、ことに後半生はたしかにマキャベリストであったらしい。しかし「最近の一例」は、マキャベリストという高級なもんじゃないね。あれは単なる欲張りなんですよ。(笑)

星亨   / 有泉 貞夫
星亨
  • 著者:有泉 貞夫
  • 出版社:朝日新聞社
  • 装丁:-(343ページ)

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【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 / 丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
三人で本を読む―鼎談書評
  • 著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(378ページ)
  • ISBN-10:4163395504
  • ISBN-13:978-4163395500

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