書評
赤木 明登『輪島 小さな木地屋の物語』(拙考)
工房復活2カ月後の死…そして再生
大震災では被災地の住民すべてが同時に苦しみを背負わされ、それぞれの復興の物語をスタートさせる。本書で描かれるのはそのひとつであるが、じつに美しいドキュメントである。赤木氏はいまから40年ほど前、バブル経済のさなかに「土の中から生まれてきて、山のふところに抱かれるような人々の暮らし」が残る奥能登で修業し輪島塗の「塗師(ぬし)」となった。車で15分ほどの輪島市内に朝市があり、材木から切り出した荒型に轆轤(ろくろ)や刃物で下地を挽(ひ)く86歳の木地師・池下満雄さんの工房もある。光が漏れて外から仕事が見えるその木造一軒家が、2024年元旦、能登半島地震に襲われた。工房は柱が粉砕、全体が傾いた。71年間ここで仕事をしてきた池下さんは「わしはここから動かん」と3日間座り込み、意識を失って救急搬送された。
赤木氏は池下さんとは17年来、協働してきた。かたちを具体的に指示したり、地域で決まった様式を注文したりの関係ではない。フレンチレストランで魚料理を提供するひと皿や、江戸時代の輪島塗飯椀(めしわん)の現代版と用途が明確であっても、候補となる古い塗り物をいくつか持参し、「どれがお好きですか」「これがいいねぇ」といった対話を始めるのがお決まりだ。木地師は目の前で挽いて見本を作り、納得いくまで試し挽きを繰り返す。池下さんの蔵には祖父が明治の終わりに仕入れた荒型が一万個近くあり、死者とも素材と技術が共有されてきた。その世界が、眼前で潰(つい)えつつあった。
赤木氏は腹をくくり、故郷である岡山県の建築家・大工に連絡した。「この風景を取り戻したい……このまま建て起こせないか?」。送付した写真からも一目瞭然、屋根の下での作業は危険すぎる。ところが「チーム岡山」も職人集団だった。対話を重ねると各人にアイデアが湧いて出た。5ミリずつ800キロかけてワイヤで引き起こす等、全6工程を思いつき、3日で建て起こし完了。基礎チームと入れ替わって鉄筋工事、生コンの型枠工事と、建物の内側に箱を入れて耐震化を図った。3月末には完成、引き渡し。極限の早業だ。
その間、赤木氏はSNSで寄付を募り、上京して投資家に当たり、かけずり回って工事費用を搔(か)き集めた。25歳の女性弟子佳音さんが木地師を志望、池下さんの弟子となって、5月からふた月間の修業の時を過ごした。7月、池下さんが仮設住宅で永眠。「あなたは、私のカミサマです」が、赤木氏に向けた最後の言葉だった。
ボロボロの古い家を直してどうする、持ち主はふた月しか使えなかったじゃないか、と言われるかもしれない。だがそれは「いま」だけを見る反応である。佳音さんはやがて戻ってきた木地屋「山根の父ちゃん」にも指導を受け、2年経(た)った現在、立派に椀木地を挽いている。彼女の中では、ふた月のおかげで生前の池下さんとの「水平の連続性(共時性)」と死者たちがこしらえた「垂直の連続性(通時性)」、ふたつの協働が結びついた。それを可能にしたのが、「チーム岡山」の仕事と全国からの浄財だった。
ハウスメーカーのプレハブ住宅であれば金型で均質生産でき、労働者は無言で作業するだけ。職人仕事のなんと創造的で豊かであることか。池下満雄作品集付き。

輪島 小さな木地屋の物語 (「拙考」サイト)
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