美の要諦は言葉で表現
一九九四年、著者・赤木氏は修行歴五年で生活漆器「ぬりもの」を提唱してデビュー。豪華な光沢のイメージをくつがえす「暮らしで常用できる漆器」というコンセプトは鮮烈で、たちまち人気作家の地位を確立した。世紀が転換する頃からはシンプルかつ使いやすい手工芸を志す作家が続々登場、赤木氏はその旗手として「ムーブメント」に言葉を与えてきた。そんな当代きっての人気塗師(ぬし)が本書では柳宗悦(むねよし)の「民藝」に挑戦、二十一世紀における手工芸の美とは何かを追究している。柳宗悦の民藝にかかわる一連の著作は美にかんする評論ないし哲学だから、新解釈に当たり研究者ならば柳を論じた文献を網羅し、すべての説を検討するだろう。けれども赤木氏はそうしない。自身が実作者だからで、漆器にかんしみずから到達した「美しさ」を起点に柳宗悦の民藝論を理解していく。
赤木氏の漆器は、デビュー当時はシンプルな漆のテクスチャーを特徴とした。それが消費者の心に響くと考えたからだ。バブル経済に浮かれ漆器が美術品として高額取引された直後だっただけに、暮らしに指針を与える販売戦略としては的確だった。ところが漆器界の先達から「小手先だ、存在が希薄だ、塗り物ですらない」と厳しい批判を浴び、赤木氏自身がこの作風に疑問を持つようになる。そして十年。たどり着いたのが「漆の貌(かお)」の境地であった。
顔料以外を添加しない「油無塗立(あぶらなしぬりたて)」では、表面から内部に階層的に固化が進み、中が液体の張りを保ったままで全体が固化すると、流動する深い水を湛(たた)え閑(しず)まり返った平らかな湖面のようになる。それが赤木氏にとっての新たな「美」となったが、これは支持されうるものなのか。そこで繙(ひもと)いたのが柳宗悦の民藝論だったわけだ。
本書で赤木氏は、柳の美学を受け入れ、民藝の運動論には疑義を呈している。時代の推移からすれば当然であろう。柳は農耕社会にあった日本において季節や天候が刻むリズムとともに暮らした職人が以心伝心で作り上げた道具に美を見出(みいだ)し、近代化の進展によってそうした美が失われつつあった昭和初期に「民藝」を唱えて、明治中期以前の工芸品を評価した。農耕の暮らしが虫の息でも残っていた時代に生きた柳は、権威誇示のための贅沢(ぜいたく)品を批判し、民衆の生活工芸に期待したのである。
一方赤木氏は、バブル経済が破裂した時代にスタートを切る。贅沢を煽(あお)った資本主義に根本的な疑いが向けられ、シンプルな暮らしの豊かさに目を向ける作風は共感を呼んだ。人々は農耕社会の秩序は見失ったものの、ささやかな豊かさは享受している。そうした時代に権威と民衆を対立させるのは不毛であって、作家が自然由来の素材と向き合うことこそが柳の言う「用の美」や「下手の美」に至る道ではないのか、と。
では、「美」はいかに直観されるか。本書には、感動させられるくだりがある。漆藝では古物の「写し」を行なう。赤木氏は能登の廃屋で拾った江戸時代末の輪島塗の飯椀や鎌倉時代の「練行衆盤」を模写していく。そして芭蕉が歩いた名所旧跡(歌枕)を訪れ、「芭蕉さんのおやりになりたかったこと(『奥の細道』)と、ぼくのやりたいことは、同じなんだ」とつぶやく。数百年前の先達を思いつつ句を詠む作業は、死者たちの声を聞くのに等しい。古器の写しにより、古(いにし)えの職人たちが掴(つか)んだ美はたどれるというのだ。
誰もが漆器を手にしうる現在だからこそ、美の要諦は言葉で表現されねばならない。実作者にして言葉に長(た)けた赤木氏が時代に要請される所以(ゆえん)であろう。