解説

『美智子皇后の真実』(幻冬舎)

  • 2018/12/30
美智子皇后の真実 / 工藤 美代子
美智子皇后の真実
  • 著者:工藤 美代子
  • 出版社:幻冬舎
  • 装丁:文庫(565ページ)
  • 発売日:2017-12-06
  • ISBN:4344426762
内容紹介:
初の民間出身妃は昭和九年、「堅実」を家訓とする家に生まれ、聖心女子大学で英語を学び、テニスやクラシック音楽など多方面に才能を発揮した。皇室に入ってからは、子供たちに手ずからお弁当を作り話題に。嫁・姑の確執を乗り越え皇室に嫁いで五十八年、美智子さまは何を支えに生きてこられたか。愛と献身を貫く皇后に肉薄するノンフィクション。
本書には、作家三島由紀夫が聖心女子大を卒業したばかりの正田美智子と見合いをしたのではないか、そこから発展して、もしその結婚が成就していれば三島は市ヶ谷の自衛隊で劇的な割腹自殺などしなかったのではないか、との憶測まで披瀝されている。

都市伝説のようにこうした事柄が語られつづけたのは、「平民」である日清製粉の社長令嬢が皇室に嫁ぐ、という当時では異例の「ご成婚」だったせいでもある。正田美智子はプリンセスとして、あまりにも非のうちどころのない適任者だった。

いまでは「平民」という言葉は死語だが、皇室に嫁ぐ資格があるのは「皇族」など天皇家の縁戚か、「華族」である旧大名家か、摂関家などの「公家」にかぎられると思われていたからだ。とはいえ美智子皇后の実家は、質素でありながらブルジョワ風の洋館であり、城南五山と呼ばれた目黒駅から品川駅にかけて古くからの高級住宅街がある島津山、池田山、花房山、御殿山、八ツ山で構成されるエリアのうちの池田山にあった。

メディアは好んで「身分」の差をとりあげた。美智子皇后の実家がブルジョワであることは承知のうえであり、あまり品性があるとはいえない表現で「粉屋の娘」という口さがない陰口までも紹介したものであった。それは進歩的文化人が、昭和天皇について面と向かっては言わないものの、裏では「天ちゃん」などと侮辱した言い方をして溜飲を下げていた屈折にも通じるのである。

昭和時代の最大のヒーロー・ヒロインを挙げてみよ、と年配の人に訊ねれば、力道山、長嶋茂雄、石原裕次郎、美空ひばりなどが定番になると思う。だが芸能人枠を取り払えば誰であろうか。それは間違いなく昭和天皇であり、正田美智子になると思う。

戦前の昭和天皇は「御真影」のなかに封じ込められてその肉声すら聴くこともできぬ畏れ多い存在であった。戦争に負けると各地を巡幸してあるき、帽子を片手に「あ、そう」と少し間の抜けた甲高い声を発する好好爺、戦前とは正反対の「人間天皇」を前面に打ち出して庶民の前に現れた。

だが戦死者を含め三百万人の犠牲者を出した戦争の最高責任者(形式であったとしても)である昭和天皇、そして天皇制に対するわだかまりは消えたわけではなった。

昭和三十四年の「皇太子ご成婚」は、大量生産され始めた高価なテレビの普及を促すほどの一大イベントだった。“テニスコートの恋”を通じて平民から皇室に嫁ぐ清楚な正田美智子の姿は、戦争責任を問う国民と天皇家存続のいわば再契約の成就といえた。

軽井沢における皇太子明仁のイメージを反芻(はんすう)してみた。戦争が終わったとき、彼はまだ十一歳だった。天皇制は存続の危機を迎えていた。民主化政策がつぎつぎに断行された。それは一面、アメリカ化でもあった。そして、若きプリンスにアメリカ婦人の家庭教師がついた。エリザベス・G・ヴァイニング夫人である。避暑地は軽井沢であった。彼女の帰国から七年後、あの“テニスコートの恋”が演出された。『御成婚』は昭和三十四年である。高度経済成長が緒につく季節だった。平民出身のふつうのお嬢さんというキャッチフレーズ、しかも、テニスというスポーツを通じての“自由恋愛”は皇室の民主主義イメージを高めたばかりでなく、理想のライフスタイルを“しもじも”に提示した。なんと皇室が“アメリカ”を運んできたのだった。あの鮮烈なイメージは、大衆社会の欲望の記号に転化した。もしかしたら“大衆”もあのようになれるのではないか、という夢。いつか、その日のために、頑張って働こう‥‥‥。(『ミカドの肖像』

昭和天皇の影にいた脇役でしかない皇太子(明仁天皇)も、こうして主役に躍り出るのである。

だが旧弊を旨とする大内山(宮中)の内側においては、こうした大きな時代の転換点は認識できていない。江戸城の大奥のような閉鎖的な小宇宙が、皇太子妃を待ち受けていたのである。

本書で詳細が記されている通り、良子皇后だけでなく秩父宮勢津子妃、高松宮喜久子妃など直宮妃方を中心に学習院女子の由緒ある同窓会組織・常磐会に連なる人脈によって皇太子妃を選ぶつもりであったから、カソリック系の聖心女子大卒業の平民の娘などもってのほかであったのだ。

美智子妃いじめの物語は、本書に詳しいのでここでつまびらかにするつもりはないが、いちばんきつかったのは、日常でつねに接する東宮女官長などの組織だっての陰湿な意地悪であろう。こうしたいじめは少女マンガにおいて至上のテーマで、ある意味では典型的なものだ。著者の工藤美代子も女性なので、こうした女子特有のいじめの波長に感応する筆使いになっている。

本書のテーマは、やがて皇太子と皇太子妃が世継ぎの皇子を産み育て、ついには昭和から平成の世に代替わりして天皇と皇后となり、退位を表明するに至る長い苦難の道筋を描くことにあるのだが、通常の評伝と違うのはやはり皇室という特殊な世界ならではの出来事への 好奇の眼差しであろう。それこそが読者の期待するところなのだから。

僕はここでこのプリンセスの物語の根本に横たわる構図を示す必要を感じている。

ウィリアム・ウィルフォードというユング派のセラピスト(精神療法家)は『道化と笏杖(しゃくじょう)』のなかで、王は潜在的なスケープゴートであるが、多くの場合、王権はこの役割を宮廷付きの道化か王子に負わせる、と主張している点である。

記紀神話では、スサノオノミコトやヤマトタケルなどの王子(皇子)がそれである。王権が日常生活の秩序の基礎であるとすれば、彼らは非日常的諸力の化現であった。罪、近親相姦、反逆、疫病、闘争、時の腐食など、秩序に統合不可能で理解不能な部分に形や場を与えるためにスサノオノミコトやヤマトタケルの荒ぶる魂が生み落とされたのではないだろうか。

放浪のプリンス(プリンセス)の物語は、古代ではなく現代でも繰り返して再現されている。英国王室におけるダイアナ妃はスケープゴートとしての運命を生きた。その不幸な悲劇の結末はまだ記憶に新しい。

日本でも大正天皇がそういう運命を担わされた。明治天皇は大帝とか聖帝などと呼ばれたがプリンスの大正天皇にはいろいろ“民話”がつくられた。帝国議会の開院式に臨まれ、詔勅を朗読したあとにくるくると紙をまるめて望遠鏡のようにして眺めたとまことしやかに流布された。大正天皇の治世は短く、大正十年に「脳膜炎様の御疾患に罹らせられ(略)御意志の御表現甚だ御困難に拝し奉るは、まことに恐懼(きょうく)に堪えざる所なり」(宮内庁発表)と公表され実質的な退位となり、昭和天皇はわずか二十歳で摂政に就任したのである。峻厳な髭を立てた明治大帝に対して、大正天皇は気の弱そうなちょび髭だけでなく、道化というイメージを貼りつけられた。それによって明治の治世は、より輝いて追憶されたのである。

本書の後半で、美智子皇后が罹(かか)った失声症について検証している。

美智子皇后批判が、突然、集中豪雨のように前触れなくやってきたのは平成五年(一九九三年)だった。四月辺りから週刊文春「「吹上新御所建設ではらした美智子皇后『積年の思い』」、サンデー毎日「美智子さまにみるロイヤル・パワーの“威力”」、週刊新潮「美智子皇后を『女帝』と告発した宮内庁職員」、宝島30「皇室の危機『菊のカーテン』の内側からの証言」とつづいた。批判記事はつぎつぎと出て、半年にも及んだ。

なぜ“炎上”したのか、メディアはなぜ執拗にあれほど攻撃的でなければいけなかったのか、いまになってみると謎とさえいえる。

昭和天皇が崩御し、皇太子は新天皇に即位するが、皇后に新居ができるまでしばらくは東宮御所暮らしであった。口火を切った週刊文春の記事は、落成する新御所は無駄遣いが多いのではないか、部屋数の細かな点までが皇后の注文によるもの、と「側近」という名の宮内庁内部からの告発めいた表現になっていた。いつの間にか「女帝」扱いにされていた。そう した批判記事には事実誤認も少なくなかった。週刊誌の皇后バッシングは、大手新聞にも伝染しはじめた。ついに言葉が出なくなった。

うつつにし言葉の出でず仰ぎたるこの望の月思ふ日あらむ

回復されるまでのこころ温まる経緯の詳細は本書に記されている。

「王は潜在的なスケープゴート」であり、多くの場合、プリンスやプリンセスがその役割を負うのである。そしていまその宿命は、徳仁皇太子と雅子妃に受け継がれている。

明仁天皇と美智子皇后は、東日本大震災の被災地を幾度も幾度も訪れた。戦後七十年の平成二十七年、激戦地だったパラオ共和国のペリリュー島へ渡った。八十歳を過ぎても途切れることなく慰霊の旅をつづけている。ふと、明鏡止水という言葉が浮かんだ。

私事だが、東京五輪招致の最中、妻が悪性脳腫瘍で急死した際、被災地に行幸されている両陛下から電話でお悔やみのお言葉をいただいた。絶えず細やかなお気遣いを忘れないでいる美智子皇后のお人柄に感じ入った次第でした。

最後に気になっている三島由紀夫とのお見合いについて。僕は『ペルソナ 三島由紀夫伝』を書くにあたって、この都市伝説を検証した。銀座の路地裏の小料理屋の女将は「この部屋です」と言った。確かにお見合いはしている。だが三島は書下ろし長編『鏡子の家』に作家人生のすべてをかけており、心ここに在らずの時期だった。嫁と作品のどちらかを選べと言われたら作品をとる、という心境であった。もちろん正田美智子側の好みだってある。ガハハと笑う作家などという人種、とりあえずは会っては見たが、というところだろう。正田美智子と明仁皇太子とのテニスコートの出会いは、二人がそのときのトーナメント戦で勝ち抜いて準々決勝に進出しなければあり得なかった。そういう運命的な偶然があってこそ恋が芽生えるのである。
美智子皇后の真実 / 工藤 美代子
美智子皇后の真実
  • 著者:工藤 美代子
  • 出版社:幻冬舎
  • 装丁:文庫(565ページ)
  • 発売日:2017-12-06
  • ISBN:4344426762
内容紹介:
初の民間出身妃は昭和九年、「堅実」を家訓とする家に生まれ、聖心女子大学で英語を学び、テニスやクラシック音楽など多方面に才能を発揮した。皇室に入ってからは、子供たちに手ずからお弁当を作り話題に。嫁・姑の確執を乗り越え皇室に嫁いで五十八年、美智子さまは何を支えに生きてこられたか。愛と献身を貫く皇后に肉薄するノンフィクション。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

関連記事
猪瀬 直樹の書評/解説/選評
ページトップへ