『ソムリエ世界一―田崎真也物語』(中央公論社)

少年時代の遊びが育んだ舌と鼻

田崎さんはソムリエへの道を歩きはじめた当初より、本場フランスで勉強し、ブルゴーニュやボルドーにも行ってる奴として一目置かれていたという。なんせ、その頃は、といってもつい二十年ほど前にすぎないのだが、日本のソムリエでヨーロッパに行ったことのある人は五指に満たなかったし、行った人も短期の研修ていど。

田崎さんにしてからが、高校を中退し、飲食業界を転々とした後、ソムリエを目ざしてはじめてフランスに渡った時は、安宿に泊まって、バスと徒歩でブルゴーニュやボルドーの主だったシャトーを次々に訪れ、というといかにも若きソムリエの武者修行だが、内実は、紹介状もないこじきのような身なりの東洋人だから相手にされず、金網にしがみついて名高いシャトーを眺め、街道ぞいの直販スタンドで試飲を重ね、夜は宿で買ってきた安いワインを試す日々。当時の日本では、どうやってワインは勉強するものか誰も知らなかったのだから仕方がない。一九七八年の二度目の渡仏ではじめて田崎さんはワイン学校に入り、本場仕込みのソムリエとしての第一歩を歩みはじめる。そして十七年後に世界一の栄冠を手にすることになるのだが、その急上昇の過程は本書を読んでいただくとして、ここでは世界一になった時のコンテストの内容を紹介したい。

意外にも筆記試験からスタートし、テーブルサービスなどの試験の後、いよいよ例の銘柄当て。決勝戦に勝ち残った五人が、世界中の千種を越えるワイン（ワイン以外も入る）から選ばれた銘柄を色と香りと味だけで当てる。

五種のワインが出されたが、一番手のドイツのモネゴ選手と二番手のカナダのシャルティエ選手はどれも答えが一致しない。難題はリキュールの銘柄。三番手はいよいよ優勝候補の前評判も高いフランスのプシェの登場。「グラスをかざして見る所作など、質屋の主人が、客から持ちこまれた質草を値ぶみするような、どこか商業的な雰囲気が漂っている」。問題のリキュールについて、「ウメシュ」と答え、会場はどよめく。はたして梅酒なのか。

そして次が田崎。一番目の白ワインについて、

ドライフルーツの香りや、ハシバミの香りを感じ、熟成を感じさせます。グラスをまわすと、さらに複雑になり、シャンピニオンやミネラルが際だってきます。口に含むとアタックは非常に柔らか。オイリーで甘さと酸味のバランスがとても良い。フレッシュではないが、まろやかでボディがある。余韻は中程度。これは暑い地方で作られた白ワインで、レストランでの購入価格は、二千円くらい。合わせる料理は魚のポワレ、シャンピニオン入りのクリームソース。オーストラリアのシャルドネで九〇年産。

ただ当てるんじゃないのである。重要なのは推理の過程と、ワインの個性についての表現力で、これらも評価の対象になる。銘柄は合っていたが、一年ちがいの九一年産だった。リキュールは田崎も初もので、スペインのブランデーとだけ答えてみたが、正解はフィンランド産の野イチゴ酒で、誰も当たらなかった。結果はプシェを抑えて田崎さんの優勝。フランス人とイタリア人以外の初の世界一。

ワインの識別世界一の舌と鼻がどのように育まれたかというと、少年時代の遊びが大きかったという。「お寺の庭の土の匂い」、「石をもち上げたら、兜虫が死んでいて、その匂い」、そうした土や生命の原始的な匂いにまみれて過ごした日々が、やがて高度な感覚の基となった。いい話だと思う。

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