書評

『姥棄て考 老いの場所をさがして』(岩波書店)

  • 2026/11/08
姥棄て考 老いの場所をさがして / 赤坂 憲雄
姥棄て考 老いの場所をさがして
  • 著者:赤坂 憲雄
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:新書(208ページ)
  • 発売日:2026-08-24
  • ISBN-10:4004321263
  • ISBN-13:978-4004321262
内容紹介:
役に立たない年寄りは、早く世を去ったほうがいい――超高齢化社会のいま、現代版「姥棄て」を求める気配がありはしないか。日本に伝承されてきた棄老の民俗と、『遠野物語』『楢山節考』『蕨野… もっと読む
役に立たない年寄りは、早く世を去ったほうがいい――超高齢化社会のいま、現代版「姥棄て」を求める気配がありはしないか。日本に伝承されてきた棄老の民俗と、『遠野物語』『楢山節考』『蕨野行』等の棄老を描いた文学や映画から、家族・共同体・国家と老いを考える。世代間をやわらかく架け渡す、「降りるための思想」にむけて。

目 次

序 章 姥棄てへの道行きのために
棄てるとは、棄てられるとは
爺ではなく、なぜ姥か
「すてる」の繊細な多義性
分かちがたくある遺棄と殺害
描かれた棄老と「集団自決」
老人の集団自決とはこのようなもの?
『ミッドサマー』を考察する
崖/伝承のアッテストゥパン
解釈は議論の素材たりえない
美少年が老いるとき
『ベニスに死す』のその後に
顔を専有する暴力と悲しみ
若さに囚われる罠
避けがたき老い

第一章 老いのフォークロア――棄老譚を読みなおす
はじまりとしての姨捨山
棄老は伝説か事実か
『大和物語』/信州更級の「姨捨山」
家族間の葛藤で棄てられた姨=伯母
棄てる先は、なぜ山なのか
「姨捨山」から謡曲『姨捨』へ
棄老をめぐるさまざまな共同幻想
愛とモッコのあいだに
柳田国男の「親棄山」
外来型〈孫とモッコ〉〈老人の知恵〉
日本型〈婆と小槌〉〈奥山の栞〉
昔話から推測する母系制、父系制
棄老譚をめぐる家族/共同体/国家
棄老の理由を考える
サバイバルの作法としての可能性
国家の法に組
みこむことの矛盾
棄老における死生観と他界観
棄老の場所とその呼び名
死と埋葬の濃密なイメージ
死という時間・他界という空間への旅
〈更級の姨捨山〉〈婆と小槌〉の他界観
木の股に棄てられる老人と山の神
境界となる年齢
木の股にまつわる棄老伝説
股の木に託された死と再生
イニシエーションとしての事例
棄老から祝福への転倒
語られざる歴史の一端に触れたい
棄老から隠居へ、小屋を立てる
失われた古老の役割
弱者となった老人の習俗
婚姻形態と隠居のあり方
隠居制度以前の小屋住まい
通過儀礼として小屋を焼く
姥棄てから浮上する家族制度
嫁と姑の主婦権をめぐる争い
嫁入婚によって浮上した主婦権
婆を山で焼くということ
豊穣な老いのフォークロアへ

第二章 姥棄てはいかに描かれているか
棄老譚の黄昏のなかで
文学から読む棄老の精神史の残像
『遠野物語』以前/以後
『遠野物語』/棄老譚の近代を背負って
デンデラ野伝承の孤立と異端
異質で稀有な『遠野物語』
労働し、生き延びる老人
ダンノハナ/デンデラ野
生/老/死を背負った場所
集合的記憶としてのデンデラ野
『楢山節考』/現代の民話の試みとして
『楢山節考』が描いた棄老の習俗
「山へ行く」ことと楢山まいり
楢山まいりの掟と道筋
老人を祖霊に祀り上げる仕掛け
作中の秩序は現実にありえるか
異形の近代を抱いた現代の民話
姥棄て、たとえば古典の影のもとで
棄老小説の系譜
太宰治「姥捨」
堀辰雄、里見弴、井上靖
背を向けられた『楢山節考』
『蕨野行』/デンデラ野からワラビ野へ
新たな棄老小説、村田喜代子『蕨野行』
デンデラ野からワラビ野へ
食べることの極限で
人の世の果て、いまわの際の恋
棄老の物語の空間構造とシンボリズム
女たちの魂の連帯
姥棄ては都市の深みへ降りてゆく
山本昌代「デンデラ野」
小池真理子「姥捨ての街」
倉橋由美子「姥捨山異聞」

第三章 新たな隠居像を求めて
穂積陳重の『隠居論』をめぐって
法学者が隠居制を論じた大著
隠居の起源を探る
グリムが記録した隠居席、「猫の座」
家督や財産の相続と法制度
役立たずと年金受給者のあいだ
民族誌に見る棄老のトラウマ
年金による老人の役割の変容
『銀齢の果て』と『PLAN75』/集団自決は可能か
成田悠輔と上野千鶴子の対談
筒井康隆『銀齢の果て』の「老人相互処刑制度」
老人の自死制度を描いた『PLAN75』
自殺幇助が国家システムになるとき
『わたしを離さないで』/格差社会の果てに
資源化される身体
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
特権的な老人たちの独裁制が生まれる
降りるための思想が欲しい
不如意な身体を抱えたままに
みずから降りる豊かな選択肢を
「老人権は社会権なり」
「猫の座」をいかにデザインするか
若者に託すということ

主な参考文献
あとがき

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現代 世代間対立に潜む棄老の不安

民俗学の論考を思わせる書名だが、領域の敷居を遥に超えたところに探索の目線が向けられている。老について思いをめぐらし、生と死という根源的な問いは魂の拷問という形で示されている。

長年、フォークロアの大地で神話の落穂拾いに勤(いそ)しんできた者として、習俗のぬかるみに足をとられている人々から視線を逸(そ)らしたことは一度もない。土の中に深く根を下ろし、地上にひ弱な姿をさらした一本の草でも、聞き書きの旅人はその囁(ささや)きを聞き逃すことはない。土俗的精神の地層から何が汲(く)み出せるか。共同体という木から枯れそうな古い枝が太い幹の成長の中でいかに折られてしまったのか。過去から現在へと続く時間の流れにおいて捉え直すと、あっと驚くものが少なくない。

棄老譚(きろうたん)の基層には、口承文芸の網状組織がいくつも重ね合わさっている。棄(す)てられたのはなぜ爺(ヲジ)よりも姥(ヲバ)が圧倒的に多いか。遺棄の場所はどうして山のほうが選好されがちか。文字記録として平安時代中期の『大和物語』が残っているが、その原型はむしろ伝承にさかのぼるという直感は決して的外れではない。

民話が放つ意味の光芒(こうぼう)はある焦点に収斂(しゅうれん)していくことは必ずしも多くない。長い歴史的時間と広漠な空間のなかをさまよっていたこともあって、その形式も内容も重層的に拡散していく形質を多く持っている。話芸の自律的な回転力も加わり、その正体に近付くことはなかなか容易ではない。歴史の川のなかでたえず変容しつづける物語群の輪郭に迫るほど、その姿はかえって逃げ水のように遠くへ去っていく。

語りの深部に絡みあっている無意識を透視するために、いくつもの分光計が用意されている。日本型と外来型の四様式に分けることで、物語の末尾に差す孝子譚の影を析出し、棄老の場所についての探求は、得意の境界論に新たな奥行きをもたらした。社会形態に着目すると、家族や村落共同体の親密性と閉鎖性の構造が浮かび上がり、さらに、足入(あしいれ)婚と嫁入婚の転換というプリズムからは嫁と姑(しゅうとめ)の権力関係が映し出された。

近代小説のなかで、棄老への想像力はかなり違ったベクトルが向けられる。丁寧なテクストの読みを通して見えてきたのは、時代の移り変わりと社会構成の変容ぶりである。説話の上に重ねられた虚構についての腑分(ふわ)けは、再解釈の次元を超えて、現代人の不安を炙(あぶ)り出している。

文化の遺伝子として、棄老の衝動はポスト工業社会でも変異を遂げながら、新たな形として顔を覗(のぞ)かせてくる。映画、ネット言論などに見られるように、経済的合理性と倫理性の対立は未来社会の岸辺にも激しい波しぶきを吹き上げている。人々は迫りくるディストピアの足音に怯(おび)えているのかもしれない。実際、介護疲れによる殺人事件はときおりメディアで報じられているが、規範的責任が酌量の余地にかぶさっているところに衝撃性がある。日本だけではない。最近起きたフランスの大規模抗議デモは、教育の予算不足がきっかけだが、その背後には高齢者福祉の影がちらついている。財政配分をめぐる年代間の対立が解消されないかぎり、棄老の欲望は日常の穏やかな水面から突如として姿が現れてもおかしくない。読み終わってそんな思いが頭をよぎった。
姥棄て考 老いの場所をさがして / 赤坂 憲雄
姥棄て考 老いの場所をさがして
  • 著者:赤坂 憲雄
  • 出版社:岩波書店
  • 装丁:新書(208ページ)
  • 発売日:2026-08-24
  • ISBN-10:4004321263
  • ISBN-13:978-4004321262
内容紹介:
役に立たない年寄りは、早く世を去ったほうがいい――超高齢化社会のいま、現代版「姥棄て」を求める気配がありはしないか。日本に伝承されてきた棄老の民俗と、『遠野物語』『楢山節考』『蕨野… もっと読む
役に立たない年寄りは、早く世を去ったほうがいい――超高齢化社会のいま、現代版「姥棄て」を求める気配がありはしないか。日本に伝承されてきた棄老の民俗と、『遠野物語』『楢山節考』『蕨野行』等の棄老を描いた文学や映画から、家族・共同体・国家と老いを考える。世代間をやわらかく架け渡す、「降りるための思想」にむけて。

目 次

序 章 姥棄てへの道行きのために
棄てるとは、棄てられるとは
爺ではなく、なぜ姥か
「すてる」の繊細な多義性
分かちがたくある遺棄と殺害
描かれた棄老と「集団自決」
老人の集団自決とはこのようなもの?
『ミッドサマー』を考察する
崖/伝承のアッテストゥパン
解釈は議論の素材たりえない
美少年が老いるとき
『ベニスに死す』のその後に
顔を専有する暴力と悲しみ
若さに囚われる罠
避けがたき老い

第一章 老いのフォークロア――棄老譚を読みなおす
はじまりとしての姨捨山
棄老は伝説か事実か
『大和物語』/信州更級の「姨捨山」
家族間の葛藤で棄てられた姨=伯母
棄てる先は、なぜ山なのか
「姨捨山」から謡曲『姨捨』へ
棄老をめぐるさまざまな共同幻想
愛とモッコのあいだに
柳田国男の「親棄山」
外来型〈孫とモッコ〉〈老人の知恵〉
日本型〈婆と小槌〉〈奥山の栞〉
昔話から推測する母系制、父系制
棄老譚をめぐる家族/共同体/国家
棄老の理由を考える
サバイバルの作法としての可能性
国家の法に組
みこむことの矛盾
棄老における死生観と他界観
棄老の場所とその呼び名
死と埋葬の濃密なイメージ
死という時間・他界という空間への旅
〈更級の姨捨山〉〈婆と小槌〉の他界観
木の股に棄てられる老人と山の神
境界となる年齢
木の股にまつわる棄老伝説
股の木に託された死と再生
イニシエーションとしての事例
棄老から祝福への転倒
語られざる歴史の一端に触れたい
棄老から隠居へ、小屋を立てる
失われた古老の役割
弱者となった老人の習俗
婚姻形態と隠居のあり方
隠居制度以前の小屋住まい
通過儀礼として小屋を焼く
姥棄てから浮上する家族制度
嫁と姑の主婦権をめぐる争い
嫁入婚によって浮上した主婦権
婆を山で焼くということ
豊穣な老いのフォークロアへ

第二章 姥棄てはいかに描かれているか
棄老譚の黄昏のなかで
文学から読む棄老の精神史の残像
『遠野物語』以前/以後
『遠野物語』/棄老譚の近代を背負って
デンデラ野伝承の孤立と異端
異質で稀有な『遠野物語』
労働し、生き延びる老人
ダンノハナ/デンデラ野
生/老/死を背負った場所
集合的記憶としてのデンデラ野
『楢山節考』/現代の民話の試みとして
『楢山節考』が描いた棄老の習俗
「山へ行く」ことと楢山まいり
楢山まいりの掟と道筋
老人を祖霊に祀り上げる仕掛け
作中の秩序は現実にありえるか
異形の近代を抱いた現代の民話
姥棄て、たとえば古典の影のもとで
棄老小説の系譜
太宰治「姥捨」
堀辰雄、里見弴、井上靖
背を向けられた『楢山節考』
『蕨野行』/デンデラ野からワラビ野へ
新たな棄老小説、村田喜代子『蕨野行』
デンデラ野からワラビ野へ
食べることの極限で
人の世の果て、いまわの際の恋
棄老の物語の空間構造とシンボリズム
女たちの魂の連帯
姥棄ては都市の深みへ降りてゆく
山本昌代「デンデラ野」
小池真理子「姥捨ての街」
倉橋由美子「姥捨山異聞」

第三章 新たな隠居像を求めて
穂積陳重の『隠居論』をめぐって
法学者が隠居制を論じた大著
隠居の起源を探る
グリムが記録した隠居席、「猫の座」
家督や財産の相続と法制度
役立たずと年金受給者のあいだ
民族誌に見る棄老のトラウマ
年金による老人の役割の変容
『銀齢の果て』と『PLAN75』/集団自決は可能か
成田悠輔と上野千鶴子の対談
筒井康隆『銀齢の果て』の「老人相互処刑制度」
老人の自死制度を描いた『PLAN75』
自殺幇助が国家システムになるとき
『わたしを離さないで』/格差社会の果てに
資源化される身体
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
特権的な老人たちの独裁制が生まれる
降りるための思想が欲しい
不如意な身体を抱えたままに
みずから降りる豊かな選択肢を
「老人権は社会権なり」
「猫の座」をいかにデザインするか
若者に託すということ

主な参考文献
あとがき

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2026年11月7日

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