書評
『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮社)
家は「いえ」であり「うち」でもある考察
いま日本人の多くは、西洋ふうの生活をおくっている。洋服を着て、椅子に腰かけ、テーブルで食事する。眠るのはベッド。新築マンションの広告を見ると、間取り図に和室はない。畳に布団を敷いて眠り、ちゃぶ台でご飯を食べる人は少数派かもしれない。だが、西洋式を採用していないものがひとつだけある。それは土足のまま家に上がること。髪を金色に染めてディオールやグッチを着た人も、外から帰ると玄関で靴を脱ぐ。
日本で西洋式の軍服が制定されたのは1870(明治3)年。髷(まげ)をやめて髪を短くし、武士が帯刀しないことを認める散髪脱刀令が翌71年。ただし、そこから一気に日本人の服装が西洋化したわけではない。刑部芳則の『洋装の日本史』(集英社インターナショナル新書)や平芳裕子『日本ファッションの一五〇年』(吉川弘文館)を読むと、紆余(うよ)曲折いろいろあって現在に至ることがわかる。服装、あるいは生活様式は、案外と保守的なものだ。最後の砦(とりで)ともいうべきものが「家の中では土足禁止」なのかもしれない。
本書の著者は国際日本文化研究センター所長。ベストセラーになった『京都ぎらい』(朝日新書)はじめ、たくさんの著作があるが、本書は『美人論』(リブロポート)や『パンツが見える。』(朝日選書)の系譜に連なる日本文化論である。
まえがきのエピソードが強烈だ。リオデジャネイロで転倒して負傷した著者は、日系人の外科医に治療してもらう。診察台で横になるため靴を脱ごうとして、医者からたしなめられる。靴を脱ぐなというのである。靴をはき直して横になった著者は、傷口を縫合されるあいだも足が気になってしょうがない。靴のかかとをシーツから離そうと腹筋に力を入れながら、「ここには、日本文化論の課題がある。私をこんな人間にしてしまった日本文化を、とらえなおしたい」と考えた。
靴を脱ぐか脱がないか、些細(ささい)なことのようで大問題。本書で著者はたくさんの絵画や写真、文献を読み解きながら、土足厳禁文化と土足OK文化がどのように遭遇してきたのかを見ていく。まさに文明の衝突!
たとえば16世紀、西洋からやってきた宣教師たちは畳敷きの教会で布教した。さまざまな文献から著者は、宣教師たちは畳の上で靴を脱いでいただろうと推測する。一方、19世紀初頭、絵師の川原慶賀が描いた長崎の出島、オランダ屋敷での酒宴。オランダ人は畳の上に椅子やテーブルを置き、靴を履いている。
布教のためだ、日本人に嫌われるようなことは慎もう、と宣教師たちは考えたのかもしれない。オランダ商人は、たとえ土足で畳に上がろうとも商品さえ魅力的なら問題ないと考えたのか。そんなオランダ商人も、江戸で徳川将軍に拝謁(はいえつ)するときは、正座と平伏を余儀なくされる。もちろん靴は脱いで。
幕末、日本と西洋の外交が盛んになってくると、履き物のことでもめる。靴を脱ぎたくない西洋人と、土足禁止を貫きたい日本人。そこで、室内履きに履き替えるという折衷案が考え出される。スリッパという知恵だ。
近代化とともに公共的な空間から土足禁止の領域が縮小していく。たとえば小売店。明治の前半、まだ三越と名乗る前の三井呉服店はいわゆる「座売り」で、土間から一段上がった床の上で客に商品を見せた。客は土間で履き物を脱いで上がる。1908(明治41)年、鉄筋コンクリート3階建ての新店舗となり、屋号は三越呉服店へ。ガラス張りのショーケースが並び、店員はテーブル越しに接客するが、床は畳敷き。土足禁止で、客は下足番に履き物を預けた。だがこの三越も6年後、5階建てに建てかえると下足番を廃止して土足を受けいれた。
畳の部屋に土足で上がることを嫌う気持ちはわかる。人は畳に座り、膳を置いて食事をとり、布団を敷いて眠る。茶の湯では畳に茶碗(わん)を置く。板敷きの部屋であっても、座ったり食事したり寝たりする可能性のある場所を土足で歩くのは避けるだろう。
しかし、椅子とテーブルの生活になり、ベッドで眠るにもかかわらず、なぜぼくたちは家で靴を脱ぐのだろうか。道路もほとんど舗装され、靴が泥まみれになることはまれなのに。その謎を解くヒントになりそうな文章がある。
江戸時代の旅館は旅人を床へあげる前に足を洗わせた。従業員が客の足を洗うこともあった。明治の初め、宿の女性がお雇い外国人の足を洗う絵が紹介されている。旅館の姿勢について、「外のよごれは、内にいれさせない」「はいってくるなら、足はあらってからにしろ」と著者は書いている(12章「旅館へあがる時」)。「外」と「内」。「家」は「いえ」とも「うち」とも読める。ぼくたちは節分で「鬼は外、福は内」と豆を撒(ま)く。生活様式が西洋化しても、「うち」の感覚は変わらない。駐車場で置き去りにされた靴を見かけることがある。土足禁止のクルマに乗り込むとき、脱いだまま忘れたのだろう。その人にとって、クルマも「うち」なのだ。
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