書評
『鉄の胡蝶は』(講談社)
長編小説(なのか?)。エッセイのようにも、私小説のようにも読める。最初のほうに、対談相手から「攻撃的」と評されるエピソードが出てくる。「小説というジャンルに対して攻撃的」「個々の作品を書くやり方が攻撃的」という褒め言葉らしい。語り手は必ずしも納得していないのだが、この小説も攻撃的だ。
文体が尋常ではない。ときどき句読点の位置が奇妙。ところが、声に出して読んでみると違和感がない。確かにぼくたちは、日ごろこのように考え、話している。とはいえ、意識の流れを自動的に筆記しているのでもない。やはりこれは小説だ。
さまざまなエピソードが出てくる。中心となるのは語り手が十代、二十代だったころ、鎌倉での思い出。ひとつの記憶から別の記憶がよみがえり、さらにまた別の記憶へとつながっていく。まるで稲村ケ崎で波に乗るように。もちろん猫や犬についての記憶も。小学校の同級生だった女性が何度も登場する。「やれたかも」などという、いささか下品な話もある。これは保坂和志版「ヰタ・セクスアリス」でもあるのか。
読むうちに読者も刺激され、記憶がよみがえってくるだろう。
文体が尋常ではない。ときどき句読点の位置が奇妙。ところが、声に出して読んでみると違和感がない。確かにぼくたちは、日ごろこのように考え、話している。とはいえ、意識の流れを自動的に筆記しているのでもない。やはりこれは小説だ。
さまざまなエピソードが出てくる。中心となるのは語り手が十代、二十代だったころ、鎌倉での思い出。ひとつの記憶から別の記憶がよみがえり、さらにまた別の記憶へとつながっていく。まるで稲村ケ崎で波に乗るように。もちろん猫や犬についての記憶も。小学校の同級生だった女性が何度も登場する。「やれたかも」などという、いささか下品な話もある。これは保坂和志版「ヰタ・セクスアリス」でもあるのか。
読むうちに読者も刺激され、記憶がよみがえってくるだろう。
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