書評
『あれは何だったんだろう』(筑摩書房)
異世界に通じる亀裂に迷い込む
英国のエッセイスト、ロバート・リンドに「ささいなことを弁護して」という一編があり、「世界中がこれほどひどいことになっている時期に楽しむ気分になどなれませんでしょ?」と言うご婦人が登場する(行方昭夫編訳『お許しいただければ 続イギリス・コラム傑作選』岩波文庫)。これが書かれたのは第二次世界大戦が始まった年だというが、現代の世界はそれ以上にひどいことになっているのではないか。面白いエッセイなど楽しんでいる場合じゃない、という気分に私も半分以上なっているのだが、根が軟弱なので、つい岸本さんのエッセイ集に手を伸ばし、たまには楽しい気分にひたらなくちゃ生きている甲斐(かい)がないよね、などと自分に言い訳をする。この本は禁断の木の実だ。岸本さんはささいなことばかり書くので、日本のお家芸の、私小説みたいな身辺雑記かと思いきや、すぐに話が変な方向にそれて行く。例えば冒頭の「無花果」。ああ、皆に愛される食べ物エッセイかと思って(世界中の飢えた子供たちを思うと心が痛むが)読み始めると、「イチジクほど変態な食べ物はない」という思いがけない展開。著者はさらに、イチジクの立場になって考えるという離れ技をいきなり決める。イチジク側も「本当にこれでいいんだろうか」と自問しているのではないか、というのだ。その上、イチジクというのは字も変だ、と矛先は一転、名前に向かう。「無花果」と書いて、「なぜこれでイチジクと読んでもらえると思ったのか」。言葉の翼に乗って妄想はさらに進み、読者の前には「ガーナあたりの小さな村で暮らす十三歳の男の子」が立ち現れる。そう、彼の名前はムカカという。
人の立場になって考えられるのは、共感(エンパシー)と言って、人間の持つ素晴らしい能力と見なされるのが普通だが(イーロン・マスクのようにそれを目の敵にする大金持ちは別として)、岸本さんはこの先、えっ、この人だいじょうぶか、と心配になるくらいいろいろ変な物の立場に立つ。キノコや栗(くり)や球根やセミの身になって考える程度ならまだしも、「死番虫(しばんむし)」や卵の「からざ」の気持ちとなると、想像を絶する。
こんなにいろいろな物の立場になれる人だもの、きっと包容力があって鷹揚(おうよう)な人柄なんだろうと思いたくなるが、じつは好き嫌いが結構激しい。オリンピックが大嫌い、全力をあげて無視し(それでも一向に廃止される気配がないのには困った)、ひなまつり、バレンタイン、恵方巻き、正月などどれも苦手。これら世のしきたりを破壊するテロリストになると宣言する。ここまで行くと、結構やばい。
よくもまあ、こんなに変てこなアイデアばかり、こんこんと湧き続けるものだ。いやいや、じつはどうでも良さそうな些事(さじ)に覆われている日常の中に、岸本さんは普通の人が気づかない異世界に通じる亀裂を見つける名人。だからこれはとんがった第一級の不条理文学なのだ。
なーんて格好をつけた決めぜりふで書評を締めくくりたくなるが、この本の前ではダサい。されば、同じくらい不思議なことを言うポーランドの詩人の助けを借りることにしよう。「わたしはいつも/大事なことは大事でないことより大事だなどとは/信じられなくなる」(シンボルスカ詩集『終わりと始まり』より)
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