書評

『ロンドン』(集英社)

  • 2024/05/21
ロンドン / エドワード・ラザファード
ロンドン
  • 著者:エドワード・ラザファード
  • 翻訳:桃井 緑美子,鈴木 主税
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(535ページ)
  • 発売日:2001-08-24
  • ISBN-10:4087733319
  • ISBN-13:978-4087733310
内容紹介:
世界最古の港湾都市ロンドンには、どんな物語が秘められているのか。ローマ時代から現代まで、歴史の転換期を舞台に、当時を生きる庶民の視点から巧みに描きあげた比類なき魅力満載の大長篇小説。
イギリス文学にはスコットの『アイヴァンホー』を嚆矢(こうし)に、ディケンズ、トマス・ハーディ、スティーヴンソンといった大作家を経て、現代作家たち(『マゴット』のジョン・ファウルズや、『ナポレオン交響曲』のアントニー・バージェス、『千尋の闇』のロバート・ゴダード等々)に至る歴史小説の系譜がある。しかし、これほどまでの野心に貫かれた作品は珍しい。

エドワード・ラザファードの『ロンドン』。二段組みで五百ページ余のボリュームをそれぞれに備えたこの上下本は、紀元前五十四年から一九九七年にかけてのロンドンの街の有為転変を活写している。ユリウス・カエサルの侵略を受けたケルトの時代から、新しいミレニアムを前にした二十世紀末へ。しかし、驚くべきは、その気の遠くなりそうな永い刻の流ればかりではない。巻頭に載っている人物相関図を見てほしい。

前髪に一筋の白髪があり、指の間に水かきを持つ一族が、ダケットという姓を名乗り、やがては爵位を得て、ローマ治世時代に遺された遺跡を発掘する考古学者になった現代の子孫へと血をつないでいく、およそ二千年の旅路。そんなダケットたちの物語に、他にも存在する多くの一族の物語が相関と離反を繰り返しながら複雑に絡み合っていく。ひとつの都市の歴史を有機的に浮かび上がらせるために、ラザファードが用意した架空の人物は、ざっと百五十人。リチャード獅子心王をはじめとする時代の統治者、チョーサーやシェイクスピアなどの文学者、ニュートンら科学者といった実在の有名人まで含めば、登場人物は三百人を下らない。

そうした多勢が織りなす幾層もの物語を、宗教戦争、ペストの流行、宮廷の醜聞劇、ロンドン大火、内戦、新大陸移住、ロンドン大博覧会、世界大戦などの史実を背景に、神話・政治・文化・科学・技術・経済あらゆる知識を総動員させて描いたこの本は、まさにロンドン百科全書! ……とはいえ、全二十一章がほぼ単独の物語として成立しているので、この博覧強記の長大さに怯える読者には、興味のある時代だけ拾い読むのをおすすめすることも可能だろう。が、やはり真骨頂は通読にある。

たとえば第二章「ロンディニウム」に、ローマ帝国軍の兵士が金貨が詰まった袋を埋めて隠したことを、ダケット家の遠い祖先が知るエピソードがある。この挿話は以降、ダケット一族の物語に様々な影を落とし、やがては意外な形で蘇ることになる。金貨が土中から再び現れたその時、発見者と共に喜び、それが埋められていた年月の途方もない長さに思いを至らせ感慨にふけるのは、通読そして精読してきた読者だけに許される特権というものだろう。そんな物語全体に妙味を添える伏線が、随所にさりげなく仕込まれているのだ、この本には。

わたしたちは時に自分に飽きる。同じようなことを繰り返すばかりの己が生活に飽きることがある。だから、わたしたちは物語を読むのだ。復讐に燃える厳窟王になったり、知能犯を追う名探偵になったり、波瀾万丈の愛憎生活を送るアメリカ南部の誇り高き女になったりするのだ。この長い長い物語は、わたしたちを三百人を越える人間に成り代わらせてくれる。かつ、ロンドンという大都市の意識を生きるという突飛な感覚すらもたらしてくれる。長大さが読書体験の深さに結びつかない小説が多い昨今、本書の存在並びに邦訳化は望外の喜びにちがいない。

【下巻】
ロンドン / エドワード・ラザファード
ロンドン
  • 著者:エドワード・ラザファード
  • 翻訳:桃井 緑美子,鈴木 主税
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(580ページ)
  • 発売日:2001-08-24
  • ISBN-10:4087733327
  • ISBN-13:978-4087733327
内容紹介:
著者は、ロンドン2000年の時の流れと人の営みを、多数の博物館スタッフの協力により時代考証を精緻に固め、10組のファミリーの長い長い栄枯盛衰の物語として描き切る。魅力あふれる大感動巨編。

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【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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ロンドン / エドワード・ラザファード
ロンドン
  • 著者:エドワード・ラザファード
  • 翻訳:桃井 緑美子,鈴木 主税
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(535ページ)
  • 発売日:2001-08-24
  • ISBN-10:4087733319
  • ISBN-13:978-4087733310
内容紹介:
世界最古の港湾都市ロンドンには、どんな物語が秘められているのか。ローマ時代から現代まで、歴史の転換期を舞台に、当時を生きる庶民の視点から巧みに描きあげた比類なき魅力満載の大長篇小説。

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初出メディア

週刊文春

週刊文春 2001年10月11日号

昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

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