前書き

『発酵食品の歴史:ビール、パン、ヨーグルトから最新科学まで』(原書房)

  • 2021/10/13
発酵食品の歴史:ビール、パン、ヨーグルトから最新科学まで / クリスティーン・ボームガースバー
発酵食品の歴史:ビール、パン、ヨーグルトから最新科学まで
  • 著者:クリスティーン・ボームガースバー
  • 翻訳:井上 廣美
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(264ページ)
  • 発売日:2021-09-18
  • ISBN-10:4562059516
  • ISBN-13:978-4562059515
内容紹介:
人間はいかに発酵食を発見し、付きあい、その謎を解き、産業として成立させてきたか。世界の発酵食の歴史をたどる。図版多数。
味噌、しょうゆ、ビール、パン、チーズ、ヨーグルト……日本はもちろん世界中で昔から愛されている発酵食品ですが、実は発酵食品は危険なものとされ、反対運動まで起こったことがあるのはあまり知られていないようです。
そもそも人間はいかに発酵食を発見し、付きあってきたのでしょうか?
発酵とはなんでしょう?
なぜ発酵食品は世界中でこんなに食べられているのでしょうか?
発酵愛に満ちた新刊書籍『発酵食品の歴史:ビール、パン、ヨーグルトから最新科学まで』(クリスティーン・ボームガースバー著/井上廣美訳/原書房)は、発酵にまつわるこうした数々の謎を解き明かしていきます。発酵のはじまりから巨大産業として成立する現在までを、酒、パン、野菜、乳製品、ソーセージ等を中心に世界各地の発酵食の歴史をたどります。マイクロバイオーム(微生物叢)の研究にもふれるなど、最新の情報もよくわかります。
本書の序章の一部を特別公開します。

 

発酵――微生物と人間の長くて深い関係

2007年の春、私はオレゴン・トレイル生まれのサワー種のスターター(元種)が入った小さな封筒を受け取った。アメリカの開拓者たちがオレゴン・トレイルという街道を西へ目指した時代の遺物だ。

そのスターターは、見たとたん思い切り眉をひそめてしまうような、まるでホコリのような代物で、もしかして間違えて注文してしまったのかな、とまで思った。

それでも、ともかくメイソンジャー[密閉性の高い金属性ねじぶた付きガラス瓶]にそのスターターと小麦粉とミネラルウォーターを入れて混ぜ、眠ることにした。

すると翌朝、ベタベタした泡が調理台の上まであふれ出ていた。その悲惨なベタベタの泡を拭き取りながら、この先祖伝来のスターターは、店でよく売っている乾燥酵母とは比べものにならないほど活発なのだと痛感した。

そのスターターは人間のようだった。しかも扱いにくいタイプだ。いつまでも使わずに冷蔵庫に入れっぱなしにしていると、ふてくされた。流行のグルテンフリー・ダイエットなるものを数か月間やっていたときに米粉やタピオカ粉を混ぜてみたら、もっとふてくされた。

もっとも実際には、冬場に保存温度を低くしすぎていたせいで機嫌を損ねたにすぎなかった。だから、春が来たら元気になってくれた。

暖かくなってきた頃、スターターに有機ライ麦粉を与えてみたらせっせと消化しだし、世話したかいもあって、パリパリの完璧なフランスパンやふわふわのチャバタ、どっしりしたサワーライを焼くことができた。

 
どうして微生物が存在するようになったのか――それは、はるか昔の話になる。微生物は、引き立て役となる人間が現れるのを計り知れないほど長い間待ち続けた。そして人間が絶滅しても、計り知れないほど長い間生き残っていくだろう。

微生物は40億年ほど前に出現した。当時の地球は、快適で穏やかで故郷と呼べるような世界とはとうてい言えないところで、彗星や流星や太陽の放射線が直接降り注ぐ惑星だった。そうした攻撃ばかりか、今よりも15分の1の距離に接近して周回軌道をまわっていた月の重力が、激しい高潮を引き起こしていた。

しかも、その荒れ狂う海の下では、地球の核が生み出す厖大な熱が大地の裂け目から噴き出していた。こうした熱水噴出孔の周辺には生命に不可欠な物質に富む泥が堆積していたが、イギリスのSF作家の草分けであるH・G・ウェルズが書いたように、まだ生命は「この空っぽの広大な広がりのなかでは、小さな光、かろうじてともっただけの光」にすぎなかった。

しかし今や、微生物はあらゆるところに存在し、あらゆる生物学的プロセスに関与している。世界中の生態系を維持し、生態系の内部に住む生物の健康に寄与している。死を迎えたものを分解し、生きているものを助けている。そして場合によっては、病気や飢饉や死をもたらす。

はるか昔、約20億年前にこの原初の生命体が人類とかかわり合うための舞台がついに用意された。そして今や、人間の体内には約39兆個の微生物が住んでいる。その役割については、ほんの一部しかわかっていない。

それでも、これら微生物の多くが人間の免疫システムを強化し、血糖値のバランスをとり、消化力を高めるなど、人間の健康と幸福に役立っている。人間のほうも、微生物を利用して食料の供給を増やしたり、食物の栄養価や風味を向上させたり、労働者にも兵士にも有閑階級にも等しく食料を供給できるよう、ウシやヒツジを家畜化したように微生物を飼いならしたりしている。

しかし微生物にとって、人間はどのように役に立っているのだろう? この悩ましい問いの答えはまだ出ていない。この目には見えない生物の動機が曖昧模糊としているからだ。

微生物は「人間の周囲のいたるところにはびこり、善悪いずれのこともなす並外れた可能性を秘めている」と1891年にパーシー・F・フランクランド教授は述べている。「人間の友であり誠実な召使として、ひと言の不平も言わず命じられた仕事をするように見えるときもあれば、容赦ない敵となって人間と対立し、人間の力と創意工夫に挑むときもある」。人間は、病気や死をもたらしたり、人類の努力の成果を台無しにしたりする微生物と闘うことに大きな労力を費やしてきたと同時に、それと同じくらい大きな労力をかけて健康と幸福をもたらす微生物を培養してきた。微生物が人間に有害なコロニーをつくらないよう、微生物を飼いならそうと奮闘している。

幸いなことに、この絶え間ない努力は、イギリスの小説家トマス・ハーディの言う「活気ある良い歴史」に貢献してきた――おまけに、少なからぬごちそうも生まれた。

だが、そうしたごちそうをたらふく食べる前に、まずは飲み物について考えるべきだろう。何と言っても最古の発酵食品は――驚くべきことでもないだろうが――強烈な醸造酒という形で登場したからだ。
 
[書き手]クリスティーン・ボームガースバー
ブラウン大学で英文学博士号を取得。デジタル教育の現場で働く一方、食文化の歴史を研究・発表してきた。オンラインマガジン「New Inquiry(ニュー・インクワイアリー)」で料理の歴史をつづったブログ「The Austerity Kitchen(質素な台所)」を執筆。同誌では寄稿編集員も務める。アメリカ、ロードアイランド州プロヴィデンス在住。
発酵食品の歴史:ビール、パン、ヨーグルトから最新科学まで / クリスティーン・ボームガースバー
発酵食品の歴史:ビール、パン、ヨーグルトから最新科学まで
  • 著者:クリスティーン・ボームガースバー
  • 翻訳:井上 廣美
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(264ページ)
  • 発売日:2021-09-18
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