そう思い立った時の嬉しさ、楽しさ、ドキドキ、ワクワクは何にも代えがたいものです。
しかし、あれもやってみよう、これもやってみようと色んなやり方を楽しんでいたはずが、段々と周囲の様子が気になってきます。
「私より上手だな」「あれ、案外自分は大したことないのかも」「どうせ僕には才能ないから」
周囲との比較、自己否定、他者からの評価……さまざまな要因が継続の意思を砕こうとします。
皆さんもどこかで立ち止まってしまったことが何度かあるのではないでしょうか。
「継続マニア」を自称する坂口恭平さんは、作家、画家、音楽家、建築家など多彩な顔を持っています。自身の携帯電話の番号を公開して、死にたい人からの電話を24時間受ける「いのっちの電話」は10年以上継続中です。
『継続するコツ』では坂口さんが自身の「継続」そのものを見つめ直したことで発見した、継続と幸福の関係を語っています。今回は特別に「第1章 人からの評価はいらない」から一部を抜粋して紹介します。
継続マニア・坂口恭平が説く、つづけるコツと幸せ
人からの評価はいらない
作家、画家、音楽家、いわゆる芸術を制作する人間として生活をし続けているのですが、僕はこれといって人から評価されたことがないんです。作家という職業は、何かの賞を受賞することで、活動を継続することができると思われています。そんなことは一度もありません。画家も絵を売ってくれるギャラリーに所属しないと生活していくのはかなり難しいです。音楽自体をお金にするのは難しいですから、説明はいらないですよね。
ところが、僕は継続することができてます。これは今も会社をやっていますから、確かなことです。
最近、感じているのは、別に売れなくても全然継続することはできるってことです。そこが問題ではないんです。もっと言うと、売れることよりもはるかに継続していくことのほうが重要です。そうすれば、人生は切り開かれていきます。
しかし、多くの人が売れないことを理由にして、お金にならないことを理由にして、継続を諦めていきます。
どうすれば継続できるのか=どうすれば幸福になれるのか
そうすると、人生が止まってしまいます。楽しくなくなります。幸福じゃなくなります。それは辛いことです。そして、興味はないけど、お金になることに向かっていきます。
でも結局、それも継続しなくてはいけないのです。生活ですから、人生ですから。生きるためには全て継続が関わってきます。継続は、実はお金とは関係がありません。だから、お金のために継続を諦めるのはおそらく勘違いです。
人生はお金ではありません。僕が感じているのは、人生は継続だということです。それのみです。だって継続とは毎日の生活ってことですから。
この本では、何かを作っている人に向けて書いてみようと思います。その人たちにとっては、僕も同様ですが、死ぬまで作り続けられたら、それは幸福だと思うからです。
みなさんも死ぬまで作っていきましょうよ。僕もそうありたいです。
そのためのコツを、僕が経験で得たことでしかありませんが、全てお伝えしたいと思います。
どうすれば継続することができるのか。
これを考え、実践することは、どうすれば幸福になれるのかっていうことに向かっていくのではないか。
そんな希望的観測をもとに、それでは始めてみることにしましょう。
みんな何かを作っている
何かを作る。僕はこの行為こそ、全ての人間に必要な楽しいことだと思っています。実際に、みんな何かを作っているはずです。僕は本を書き、絵を描き、歌を作っていますが、それ以外にもセーターを編み、陶芸をし、ガラスを吹き、織物を織り、先日はフェルトでフグの人形を作りました。畑で野菜も作っています。そこで収穫した野菜を使って料理することも大好きです。みなさんもそうやっているはずです。実は、みんな何かを作っているんですね。
まず小さい頃であれば、絵や歌をみんな作っていましたよね。今もみなさん、食事を作っていますよね。洗濯物を畳むのだって立体を作っているんです。部屋の掃除も「気持ちのいい」空間作りということです。家族も作る。子どもも作る。老後資金も作る、ですよね? お金になる、ならないは関係ありません。そんなことどうでもいいです。作っている人は作っていることが楽しいはずですから。
しかし、人は少しずつ作らなくなっていきます。昔は作っていた。でも今は……という人も多いのではないでしょうか。まずは、どうして人は作らなくなっていくのかということを考えてみることにしましょう。
慣れてくると、人と比べたがる。不安だから。
はじめはみなさんも、ただ作ることを楽しんでいたんだと思います。何事も初めてやるのって楽しいですもんね。知らないことを知ることが楽しい。ゼロから自分の手で少しずつ出来上がっていくのを見るのは、なんとも言えない喜びに溢れています。最初はみんなそうです。小さい頃なんか夢中になっていたはずです。しかし、段々と作らなくなっていきます。はじめは周りが何も見えていませんから、比べません。でも、少しずつ慣れてくると、周りを見渡すことができるようになります。そうすると、すぐに人は人と比べたがるんですね。不安だからなんでしょうけど、ついつい比べてしまいます。そしてついに、人と比べて、自分はたいしたことがないと悟ることになります。
そうなってしまうと、急に自信がなくなって、やる気がなくなって、作らなくなっていく。
さらに大人になっていくと、お金の問題も出てきますから、こんなことをやってもお金にならないと早急に判断してしまい、お金にならないことをやっても仕方がないと諦めてしまう。
僕は死にたい人からの電話を受けていますが、その時に、よくみなさんに「これまでの人生で何が一番楽しかったですか」って聞くんですね。死にたい時には楽しいことなんか思い浮かべることもできなければ、思い出すことすらできません。そこで、楽しかったというのを言い換えて「何をしている時が一番マシでしたか?」って聞くんです。
「いや、私、才能ないですから」
そうすると、みんな色々教えてくれます。その時に、昔、作っていたことを教えてくれることが多いです。でも、みんなもうやめてしまっています。そこで僕はすぐ「またやりはじめたらいいじゃん」って声を掛けるんですが、みんな口を揃えたように否定して「いや、私、才能ないですから」って言います。本当にみんな同じように言います。僕としては才能あるなし関係なく、それを作っているときは少しでもマシだったんだから、少しでも体調を良くするためにもやってみたらいいじゃん、と伝えるのですが、結構、みんなかたくなです。才能がないことはやってはいけない、みたいになってしまってます。
【書き手】坂口恭平
本稿は『継続するコツ』(祥伝社)より抜粋のうえ作成