大切な本を思い出ごと修繕する
本書は、傷んだ本を直す書籍修繕家のジェヨンさんが、普段仕事をするうえで気をつけていることや感じたこと、印象に残ったエピソードなどを綴ったエッセー集だ。書籍出版のオファーはこれまでにも何度かあったものの、1冊の本にするような長い文章を書く自信がなく、そのつど断ってきたという。そんな折、電子書籍プラットフォーム「リディセレクト」の担当者から、まずは連載という形で始めてみてはどうかと提案され、それならばと引き受けることにしたそうだ。2020年9月に連載がスタートすると、今度は出版社から連載内容を単行本として刊行したいとオファーが入り、そうして本書は、連載21本と書き下ろし9本を収録して2021年11月に刊行された。
刊行から数カ月経った2022年2月には、隔月刊の文芸誌『リッター』34号に、公演芸術批評家モク・チョンウォンさんとジェヨンさんへの同時インタビュー「たった一度の公演、たった一冊の本」が掲載された。本書では語られていない興味深い話もあったので一部紹介したい。
韓国で美術大学を卒業し、グラフィックデザイナーとして働いていたジェヨンさんが書籍修繕に初めて触れたのは、仕事を辞めて留学したアメリカの大学院でのこと。専攻のブックアートと製紙を学ぶうえで役に立つはずだと指導教授に勧められ、大学図書館付属の「書籍保存研究室」で働きながらノウハウを一から学びはじめた。そのなかでジェヨンさんは「時間の蓄積」によって生じた「本の破損」に魅せられるようになる。
「本の破損」を思う存分観察できるという環境にどっぷり浸り、当初の予定の10倍にもなる3年6カ月をその研究室で働いて帰国したジェヨンさんは2018年、ソウル市内に「ジェヨン書籍修繕」を構える。何千、何万冊と同じように印刷された本も、その後過ごした時間や持ち主との関係によってそれぞれ違った姿になり、独自の「自我」を持つようになること。人間の人生と同じように本にも1冊1冊「本生」があること。日々さまざまな本を修繕しながら、ジェヨンさんはそれらを身をもって感じていく。
書籍修繕は手先を酷使する仕事なので、アメリカの研究室では1日の作業時間は原則、4時間までとされていたが、ジェヨン書籍修繕オープン後はそうもいかなくなった。1日4時間という原則を守っていては、依頼される仕事に追いつかないのだ。スタッフを雇うのも、専門的な教育が必要となるため、なかなか難しい。そのため現在は予約制で運営している。
「本の破損」に魅せられたジェヨンさんにとって書籍修繕の仕事は天職のように思えるが、楽しいことばかりではないという。なかには「本1冊直すのがどうしてこんなに高いのか」「なぜそんなに時間がかかるのか」などと不満を口にする人もいる。そういう人に説明し、理解してもらおうとする過程は、ジェヨンさんの心に傷を残す。仕事から得られる喜びや楽しさがいくら大きくても、その傷は傷として残る。そのため、自身の技術があまりに軽んじられていると感じるときは、相手に理解してもらうのは諦めて、きっぱりと依頼を断り自分自身を守るようにしているのだそうだ。
書籍修繕の技術が軽視されるのは、韓国ではこの仕事がまだあまり知られていないことが要因の一つだろう。本書にもあるように、韓国では、すり減った靴底を直したり靴を磨いたりする「靴の修繕屋さん」や、ちょっとしたサイズ直しやリフォームをする「服の修繕屋さん」が町のあちこちに存在する。たいていはこぢんまりした店舗を構えていて、多くの客のさまざまな要望に対応する。中学や高校の近くにある店では、制服を「カスタマイズ」しようと訪れる生徒の姿も見られる。代金も総じて日本より手ごろで、気軽に利用できる身近な存在として親しまれている。だが「本の修繕」となると認知度はまだまだ低く、携わっている人の数も限られている。ジェヨンさんは、服や靴と同じく、本も傷んだら修繕するという行為が日常的になることを願っている。大量生産、大量消費、大量廃棄の時代に、「自我」を持ってそれぞれの「本生」を生きている傷んだ本たち。その本たちに新しい命を吹き込むジェヨンさんのような書籍修繕家が増えていくことを、また、書籍修繕という技術の価値が正当に評価されるようになることを、わたしも願う。
[書き手]牧野美加(訳者)